カフェを経営していた時は

とにかく、お金が欲しかった。

 

それこそ

業界でも注目されていたし

期待もされていたけれど

内面は不安がいっぱいで

眠れない日々が続き

 

嫉妬と羨望から

友達だと思っていた人たちに酷評され

嘲笑われ

失望のどん底の中

 

私を支えてくれたのは

公私ともに

ずっとそばにいてくれた

番頭キン。

 

もう30年になる。

家族以上に家族みたいな存在。

 

私はいつでも

どんな時も

人にとても、恵まれていた。

 

 

 

 

 

「好きなことで稼ごう」が

その時のブームだったし

 

好きなことで稼ぐことは

とても幸せなことだった。

 

 

やりたくないことで

お金を稼がなきゃいけない時期が

若い頃「ちょっとだけ」あって

 

 

二度とこんな働き方はしないと

心に決めてから

 

一度も、嫌な仕事に就いたことはなかった。

 

 

好きなことを仕事にする。

それは、未来がキラキラ輝いて見えた瞬間でもあった。

 

 

でも私は

好きなことが、仕事にならなかったよ。

 

 

10代からやりたくてやりたくて仕方なかった

永遠の夢でもあったカフェ経営は、どん底だった。

 

 

今思うと

あまりにうまくいかなすぎて

うまくいってることにも目がいかなくなってて

鬱状態だったし

何度も何度も死にたくなった。

 

「私には価値がないんだ」って思った。

 

 

 

そしてまた、人との出会いで

素晴らしい機会にも恵まれて

 

意識のことを伝える仕事を始めた。

 

それは「やりたくて始めた」というよりも

「ぜっきーちゃんならできるよ」

「一緒にやろうよ」と言われて始めたこと。

 

 

でも

やってみたら

めっちゃくちゃ楽しくて

 

今もその仕事を続けてる。

 

 

楽しくて仕方ないから

どんどんいろんなこと思いついて

カフェではいっぱいイベントして

いろんな人に使ってもらって

 

お金もたくさん稼いだ。

 

 

そして

自分の力で

行き着くところまで行き着いて

これ以上は自力では無理です、ってところに来て

 

やっと、気づいたんだよ。

 

 

 

「好きなことは仕事にしなくたっていい」ってことに。

 

 

 

やりたいことがあるとすぐ

仕事にしてきた。

 

 

全部仕事。

全部形にして、お金稼いでみよう。

 

 

それを思いっきりやり抜いたし

人にもそう、アドバイスしてた。

 

 

「それ、仕事にできるよ」

「それ、お金もらえるよ」

 

 

自分が知らない

自分の力を

当たり前を

 

仕事にできる。

お金を生み出せるものに変えられる。

 

 

そう、知ることで

気づくことで

それをやることで

 

胆力がとことん鍛えられたし

磨き上げられた。

 

 

だとしたらもう

何をやってもいいんじゃないの?

 

 

何でも生み出せる力があるんだから

好きなものをチョイスして仕事にしたらいいんじゃない?

 

いや、むしろ

全部、仕事にしなくたっていいんじゃない?

 

 

 

仕事と遊びの区別なんて

全然、いらなくて

 

 

「お金を稼ぐために」とか

「仕事にするために」とか

 

 

わざわざそういう枠作ってたけど

もうそれ、いらないんじゃない?

 

 

だって、ただ遊びたいだけだから。

 

 

 

 

そして

好きなことを仕事にする、って

躍起になってるのが

超絶・つまらなくなったから

 

 

 

「やりたいこと」さえも

仕事にしないまんま

寝かせたまんまにしてた。

 

 

 

 

だから「ただ、やってないだけ」なんだってわかったんだよ。

 

 

 

 

 

だって私の命式

印綬だらけ。

 

 

 

知性と遊び心しか、ないんだよ。

 

 

天下を取るような星もないし

リーダーシップもない。

人脈も行動力もないの。

 

 

ただ、知りたがりで

ただ、遊びに来てるだけの星。

 

 
 
 
 
 

「☆Dream&Real」のワークで

 

 

Dream側の「仕事」の欄に

私は

 

「生き方が全て仕事になる」と書いた。

 

別にわざわざ

枠組みなんか作らなくても

遊ぶように自由に

もっと自分を解放させてたらいいだけ。

 

それをやりにきてる。

それを楽しみに生まれて来てる。

 

 

そのことに気づいたらもう

 

やりたいこと、やってないだけなんだから

やりたいこと、やったらいいだけ。

 

わざわざ

「これ、仕事になるだろうか」とか

考える必要なかった。

 

 

 

 

私は

どんなに精神的に満たされても

物質的な結果を手に入れないと

満足できない面があって

 

命式にもそれがしっかり描かれてる。

 

 

それってさ

意識の世界でいうと

「結果にこだわる」から

「ダメ」って言われがちなやつだけど

 

 

仕方ないじゃん、欲しいんだから。

もう諦めようよ。

欲しいんだから

取りに行こうよ。

 

 

 

何気ない日常をね

もっと楽しみたいの。

そこは変わらないけど

 

 

日常を楽しむために

やりたいことは、とっととやること、なんだよね。

 

 

 

やりたいことやってないのに

日常が幸せだから

私は幸せなんです、なんて

 

つまんない嘘ついて

自分に我慢させてる場合じゃない。

 

 

その「我慢」が

自分を鈍らせるんだよ。

 

 

 

欲しくないものを欲しいものだと勘違いしていて

それを「憧れ」の場所に

置いたまんまにしておいて

しかもそれを叶えるための努力をしてないと

 

 

他の望みも

その間違った「憧れ」が主軸になるの。

 

間違った「憧れ」目指して

どんどん方向がずれていく。

 

 

 

 

 

昔にこんな記事書いてた。

 

成田空港からロンドンに向けて

飛び立った飛行機は

 

 


角度が2°ズレると



バグダッドへ着くそうです

 

 

 

 

 

 

舞ちゃんのこの言葉が沁みる。

 

日常を満たしていれば、

やりたいことをやらずとも

心から幸せになれるわけじゃないと思うの。

 

だっていくら日常を満たそうとしても、

やりたいことは頭の片隅から消えてなくならない。

 

 

やりたいことをやった充実感。

日常の幸せの至福感。

 

 

両方があって、

人の幸せは成り立つと思う。

 

 

至福は無くならないけど、

やりたいことには旬がある。

 

 

「やりたいことをやらなくても

日常が満ちているから幸せだ」なんて、

ますます自分への嘘偽りは複雑になり、

 

自分からズレた1mmは、

気付かないままとんでもないほど

この先大きくズレていく。

 

 

 

「やりたいことをやる」

それは何でも全部。

 

「やりたいことをやる」

それはいくらでも。

 

「やりたいことをやる」

それは飽きるまで。

 

 

「やりたいことをやる」

考えている場合じゃない。

 

「やりたいことをやる」

もっとスピードを上げていこう。

 

 

 

 

 

私もね

両方欲しい。

だから、やるよ。

 

 

 

そう

またカフェやりたい、って

すんなり自分から出て来たの。

 

 

稼ぐための材料にしようとしたから

苦しくなったって

今ならわかるから

 

 

カフェ、またやりたいな。

懸巣工房喫茶室。

大好きすぎて死にそうなくらいときめいてたあの場所。

また作りたい。

自分の場所を。

 

 

 

 

やりたいこと

もっとやろう、自分。

愛と叱咤激励、両方込めて❤️

 

 

 

 

 



 

PLAYDUCE

泣いても笑っても

今日までの申し込みだよ。

 

 

 

 

私の勘だけど

「この講座は、二度とやらない」よ。

 

 

 

 

 

 

こちらもまだまだ受付中❤️

 

 

ぜっきー