皆様にご報告です。

骨腫瘍、再発しました。

 

 

先に断っておきますが

「良性」です。

 

 

ほぼ100パーセント良性。

稀に悪性になることもあるらしい。

 

 

 

 

正式名称は「内軟骨種」。

 

 

成長過程で

骨になるはずだったモノが

骨にならず腫瘍化したもの。

 

中から骨を溶かして

どんどん増殖するので

骨が、卵の殻みたいに薄くなるそうで

 

 

大抵骨折して見つかるんだけど

私の場合

突き指でレントゲン撮って発覚。

不幸中の幸いでした。

 

 

骨に穴を開け

腫瘍を搔き出し

 

中を洗浄して

自家骨を移植をし

経過観察を経て

完治しました。

 

 

それが16年前のこと。

 

 

結婚していましたし

専業主婦でした。(この私が!!!!!!)

 

 

 

 

 

先週キャンプ行った時

やけに手の甲が痛むなーと思った。

 

そこからの始まりです。

 

湿度とか気圧で

よく、古傷が痛むので

それかなと思っていたら

次第に腫れてきて

しかも指を反らすと激痛。

通常はほぼ、なんともない。

 

心当たりがある痛み。

状態もおかしい。

 

 

昨日病院に行って

レントゲン撮ったら

先生が一言。

 

「これ、再発してるねぇ」

 

患部はこちら。

 

赤丸の部分

周りに骨が薄く残っていて

中が空洞になってる箇所。

 

 

青丸は

前回も指摘された

内軟骨種だったんですが

こちら16年経っても

大きくなっていないので手術はナシ。

 

 

ということで

緊急性は低いのですが

また、入院。

また、手術。

 

 

 

でね

今回、再発が発覚した時

真っ先に思ったこと。

 

 

「ああ、チャンスしかないな」だった。

 

 

 

 

前に

私の本音は

「生きてるだけでお金が欲しい」だと言った。

 

 

ただ、生きてるだけ

呼吸してるだけで

のんびり過ごして

楽しいことやって

好きなことやってるだけで

お金が欲しい。

 

これが全人類の望みだと、そう言った。

 

 

まさにこれ、今やるやつでしょ。

 

 

一度再発したら

二度、三度と繰り返すことが多いこの病気は

今回手術しても

この先また、再発するかもしれない。

しないかもしれない。

 

 

だけど、

病気を理由に

やりたいことがやれないとか

お金が稼げないとか

ビジネスができなくなるとか

そう思ってしまう自分が、とことん不自由だと思った。

 

 

ましてや

再発しないように過剰に気をつけたり

いつ再発するか怯えながら生きていくのも

絶対に嫌だと思った。

 

 

 

よくさ

病気になると

「私の何が悪かったんだろう」って

原因探しする人いるけどね。

 

 

コロナにかかった人の中にも

そうやって自分責める材料探す人がいっぱいいた。

 

 

かかっちまったもんはしゃーない。

 

 

つか、私が生み出したもの

私が創り出したものに

意味ないものなんてない。

価値のないものなんてない。

 

その状態をどう解釈するかも自由だし

価値あるものにするのも自分次第。

 

 

 

この病気

遺伝でもなんでもないし

発症する原因がよくわかってない。

 

だったら原因探しなんて意味がない。

 

 

病気を排除しよう

なくそうとするより

 

このまんまの私で生きていけばいい

そう、腹決めちゃったほうがいい。

 

 

本当に不自由な時こそ

真の底力が発揮される時だ。

 

 

不自由さをいかに自由に変えていけるか

それこそが挑戦であり

めっちゃワクワクすること。

 

 

 

私がこの状態で

左手がしばらく不自由になって

 

それでも、反映していく姿を

世界に見せていったら

きっとものすごい渦が起きる。

 

私がその渦を見たい。

誰かのために渦を起こすんじゃなくて

私が誰よりも最先端で、その渦が巻き起こるのを見たい。

 

 

 

意識の世界が本当に本当なら

それはいとも簡単に起こせるはずだから。

 

 

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病気は、ただの現象。

そう教えてくれたのは母方の祖母だった。

 

70歳手前の頃に

祖母は突然

多発性骨髄腫を発症した。

 

 

今ほど症例もなくて

研究も進んでいない

30年近く前のこと。

 

 

大量の薬を摂取しなきゃならないし

骨が潰れて背はどんどん縮むし

日常でも

骨折しないように気をつけなきゃいけなかったり

不自由なことがいっぱいあって

 

普通の人なら心が折れていたと思う。

 

 

 

でも祖母は

いつもと変わらない生活を送っていた。

 

それどころか

病気になってからの方が

行動範囲が一気に広がった。

 

念のためにと

杖を片手に持って(それでも時々持っていくのを忘れてた)

俳句の会だ、集まりだと

全国飛び回っていた。

 

 

ものすごい難病で

不治の病で

二度と回復することはない病気。

延命することしかできない病気。

 

祖母がそんな病気だったとは

周りの人は誰も気づかなかったと思う。

 

 

病気が悪化して

入院した最期の半年間

 

祖母は亡くなる直前まで

「スパイシーモスチーズバーガーが食べたい」と

ぼやいていた。

 

そして、母に内緒で

友達に頼んで

こっそり差し入れしてもらって

病室で完食していた。

 

亡くなった後

病室のゴミ箱見て

笑っちゃったよ。

 

 

ものすごいお嬢様だったけど

一般市民と結婚する道を選んで

戦争で壮絶な引き揚げも経験して

 

いつもおしゃれでかっこよくて

母に間違えられるほど若くて

いつでも私の選ぶ道を

全力で応援してくれていた祖母。

 

 

こんな風に

自由に生きられるんだ。

生きていいんだ。

 

生きられるんだと思った。

 

 

だったら私の病気なんて大したことない。

 

 

万が一

この腫瘍が悪性だったとしても

それが私の意識に影響することはひとつもない。

 

そう思ったら

なんだか妙にワクワクしてきちゃってね。

 

 

病気ウェルカーム♫じゃないんだけど

 

あ、これも

新しい周波数に行くって決めたから

起きた出来事だ、って

すんなり納得。

 

 

全部やるって決めたんだから

全部やる以外の道、ないでしょ。

 

 

 

 

今朝、インスタライブ で

この話をしました。

 

 

 

私よりも

なぜか

ぜき組のみんなの方が

 

心配したり

泣いたり(勝手に殺すな!!・爆)

良性で良かったとか言ってるし(最初からそう言ってるよ・笑)

 

いつでも話聞きますとか

不安になったら私でよければ言ってくださいとか

ほんと、みんな優しいなー。

 

 

私はめっちゃ軽くてのほほーんとしてるのに

 

コミュニティの人たちの方が

深刻そうなのはなんでだ・笑

 

 

私は

不自由さを創り出して

わざわざ自由になるゲームをしてる感覚。

ただの遊びだなってほんと思う。

 

 

身体がたとえ不自由でも

意識はいつでも自由でいられる。

 

 

そうしたら本当に

何が起きても怖くないし

むしろ全部が楽しみでしかないんだよね。

 

 

 

手術自体は、春過ぎの予定。

それまでは手をガードして過ごします。

 

 

ぜっきー