そんな折。

メイクのじょーさんから

 

「PERSONZのJILLさんが

 テレビに出てますよ!!」と。

 

久しぶりにLINEが届いた。

(ありがとうじょーさん・笑)

 

 

その何気ないLINEがきっかけで

久々に喋りましょう、ということになり

 

その、じょーさんの口から

語られたことがきっかけで

私の気づき・腹落ち連鎖コンボの日々がスタートした。

 

 

 

 

 

「不自然なことは、しない」

 

これが

じょーさんからこの日教えてもらった

大事で、大切なギフトだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不自然なこと」の定義は人それぞれ違う。

 

 

人というのは

あまりにも愚かで

 

宇宙理論を早く理解したい

マスターしたいと

達人になりたいと

そこにこだわるあまり

 

 

どんどん「不自然なこと」を

やるようになる。

 

 

 

全てにおいて

大切だと言われている

「ただ、やりたくてやる」が後回しになるのだ。

 

 

これをやっといたほうがいい「はず」

こうしておいたほうがいい「はず」

 

そうやって、型に自分をはめ込んでしまって

それが心地いいかどうかを、忘れていく。

 

 

「宇宙理論の達人になりたいのだから

 これはやりたいことの『はず』」と

大義名分を掲げて

 

 

逆算思考で

イマココの自分の気持ちを

ないがしろにしていく。

 

 

そういうものやことが

日常の中に

どんどん増えていく。

 

疑問に思う気持ちや

ちょっと疲れたなとか

今日はやりたくないなとか

 

そういう小さな自分の気持ちでさえ

 

「宇宙理論をマスターしさえすれば

 『幸せ』になれるのだから」と潰していく。

 

 

そのこと自体がもう

とてつもなく、不自然で不自由なことなのだ。

 

 

だって

イマココで幸せでなかったら

イマココで、いい気分でなかったら

 

勝手に予想している「未来」が

幸せであるはずがないのだ。

 

 

 

日常の細かいことに目を向けると

それはもう

ビビるくらい、不自然なことだらけで

 

無理させるとか我慢するとか

わかりやすい不自然さではないところで

 

もっともっと細かいところで

自分に「不自然なこと」をやらせまくっていた。

 

 

 

気づきというのは本当にすごい。

 

 

同じこと

同じ言葉で語られても

 

自分に染み込んで来るものが

その時によって全く違う。

 

同じ本を繰り返し読んで

そのたび、あたらしい発見があるように。

 

 

 

そうか。

不自然なことはもう、しなくていいんだ。

 

 

そう思ったら

小さな、細かい「気負い」が

まだ自分の中に

たくさんあったことに気づいて

 

 

わたしは

どんどんそれを外していった。

 

 

 

今日、瞑想がしたくないなら

やらなくていい。

瞑想が効果的なのは知っている。

でも、今ここで「やりたくない」自分を選択する。

 

 

今、トイレに行きたい。

でも、ブログを書いている。

どう? どっちがいい?

今はトイレだな。

そうしたら

書きかけたブログをやめて

すぐに行く。

 

 

今、水が飲みたい。

本当に水でいい?

いや、水じゃなかった。レモン水がいいな。

冷蔵庫を開ける。

あ、やっぱりお茶がいい。

 

 

 

あー、配信したいな。

でも昼間だし、人が集まるかな。

ああそうだ、これも不自然だ。

人が集まる時間にやろうとしなくていい。

今、やりたいんだから、やろう。

 

 

 

そういう、小さな我慢を

自分にさせないことを

もっとより丁寧にやることから始まり

 

 

さらには

無意識で「不自然にやっていること」に気づいて

それもどんどんも解いていった。

 

 

食べ過ぎることも不自然だし

飲み過ぎることも不自然。

 

エゴかどうかとか

いちいち、頭で考えることも不自然。

 

結果の出ていないことに

無理やり決着をつけようとすることも、不自然。

(そのやり方よりももっといいものがあるんだな、という意識の変化)

 

誰かを上に置くことも

誰かの言葉を上に置くことも、不自然。

 

 

時に

自然な状態ってなんだろう?と思ったりもするけれど

 

それすらも

一刻一刻、時とともに変化していくもの

固定されていないもの

 

 

その時、その時の

一瞬一瞬の不自然さに気づけることは

 

とても、幸せで豊かなことだった。

 

 

それ、やらなくてもいいよ。

そう、自分に言ってあげること。

それ、やっていいよ。

そう、自分に言ってあげること。

 

 

 

「自然にやりたいこと」

 

 

それにひとつひとつ

正直になる行為は

隅々まで私を癒し

 

 

そして、しんしんと

心を満たしていった。

 

 

 

私はもう

「不自然なことは、しない」と

心に決めた。

 

 

誰がなんと言おうと

それがどんなに遠回りだと他人に言われようとも

 

 

私はもう

不自然なことは、しない。

 

 

 

 

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この時

 

いしばしゆうこさんの配信が

すごくいいですよ、と教えてくれたのも、じょーさんだった。

 

 

ずっとSNSから離れていた私が

「これは聞いてみたいな」と感じ

 

 

YouTubeにアップされているものを

聞いてみることにした。

 

 

 

 

そこから

 

初期の初期

2015年に

さとうみつろうさんから

さんざん、教えてもらっていたことが

 

 

 

急激に私の中で腹落ちし

そして同時に

思いっきり開花していったのだった。

 

 

 

 

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「今わからないことは置いておく」の意味が

どうしても理解できなかった。

 

 

今すぐ知りたいと思うことが

自分の本音

今やりたいことだと思い込んでいたから。

 

 

わからないことが

気分が悪いから

なんとか、わかろうとしていた。

 

 

 

違うのだった。

 

 

「わからないことは、よくないこと」

「今わからないと、大変なことになる」

そういう思い込みと

エゴの声を採用しているから

 

 

「わからないことが、気分が悪い」のだ。

 

 

それこそ最大の不自然。

 

 

わからないことは

わかるときまで、置いておく。

 

それが、自然。

 

 

 

不自然なことをしている時は

ほぼ、100パーセント

「気分が悪い」のだから。

 

 

現実(だと自分が認識している世界)=事実+解釈(前提。思い込み)

久しぶりに、このことを思い出した。

 

 

 

 

さてここから

私は

 

 

今まで学んできた

脳科学や潜在意識や

ちょっとかじった量子力学が

そして、全てを包括する宇宙の法則

 

 

それらすべてが

全方位から一挙にまとまり

 

最新版のぜき理論を構築するまでに

いたるのである。

 

 

 

 

次回は「観測問題」について。