その日は、突然にやって来た。

 

なんの前触れもなく

不意に。

 

 

ある日の夜、私は

猛烈に具合が悪くなった。

 

 

強烈な寒気が襲って来て

身体の節々が痛くなり

気持ち悪くなって

吐き始めて

 

 

そして短時間で

ガッと、高熱を出した。

 

 

お腹も壊し

ヨレヨレになりながら

ベッドに入る。

 

 

そして、次の朝、目が覚めたら

 

文字通り、世界が一変していた。

 

 

 

今まで学んで来た理論と

体感覚が

がっつり、リンクして紐付いた感じ。

 

何かやったわけでもなく

ただ、安堵感に浸ってていいと許可し続けた結果

 

本当に何もしなかった結果

 

私が変わったのではなく

世界の見え方が変わった。

 

 

あ、これがパラレルなんだと

パラレル移動したなと、わかった。

 

 

 

 

 

 

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実はこの段階にきて

なぜか「引き寄せの法則」に触れることが増え

 

「願望実現」

単なる「願いを叶える」という視点ではない

別の部分から

 

引き寄せの法則を

再度自分の中で

インストールし直した。

 

 

その直後

とある方からのご縁で

 

不思議なセッションを受ける機会をいただいた。

 

 

その時にもらったメッセージが

 

「内観」と「自己愛」が人生のテーマで

とにかく、既存のやり方

今までやって来たこと全ての

真逆をやる時が来ている、と

何度も繰り返し言われた。

 

掴んでいたものを手放す時だ、と。

 

 

その時は

「ほー、やっぱりそうなんだ」と思っていたけれど

 

 

この、ほんの一瞬だけ

身体を壊しまくったのは

意識と肉体の調整が

自動的に行われて

 

 

 

文字通り

あたらしい自分になる

 

そして

今までの古い自分

手放せなかった自分

いろんなものに執着していた自分

自我で捉えることを優先していた自分

自分でなんでもやろうとしていた自分

目に見えるものにこだわって自分責めしていた自分

 

 

そういう「自分」から

視座が思いっきり、切り替わったのだった。

 

 

 

そして

自分で

意図しようがしまいが

どんなに抵抗していようが

 

その時は勝手に来る。

 

 

 

流れに自我で抵抗していても

そっちの「流れ」の方が強いから

いずれ、「その時」は来てしまうのだ。

 

 

人間的視座の

時間という言葉で例えるならば

 

「遅かれ早かれ」だ。

 

 

遅かれ早かれ

気づく時は来る。

だから今

何をしていても

何を思っていても

本当に、自由。

 

 

誰もがみんな

ここにたどり着けるんだから。

 

 

 

 

 

つまり

流れに乗る、沿うとは

オールを手放せとは

こういうことなのか!!と

 

 

自分で漕ぎ続けていても

結局そこにたどり着くなら

 

 

「降参した方が、早いんだ」と

 

 

深く深く深く、納得した。

頭ではない、心の奥底で。

 

 

あ、そうなんだ

そういうものなんだと

 

 

理論や理屈や根拠などなく

すとん、と自分の中に落ちたのである。

 

 

 

そこからがまた、早かった。

自分がものすごくシンプルでクリアになったので

 

 

やってくるものも

シンプルでとても簡単になった。

 

 

「これ、知りたいなー」とさらっと思うと

自分が動かずとも、勝手に向こうからやってくる。

 

 

そして、意図していないような

すごいこともたくさん起きた。

(まだ書けません・笑)

 

 

毎日、人生がシンプルになっていくし

頭で考える必要がなくなっていく。

 

 

コンサルの時

パール先生に

「もっとバカになればいい」と言われたことが

すんごい、腹落ちした(笑)。

 

 

その時は

「いや、結構バカなんだけどな」と思ってたけど

それじゃダメだ、とどこかでブレーキをかけていて

 

 

バカのまんま、突っ走ればよかったんだな。

 

 

なんでも自分でやろうとするから

身が持たなくなったんだな

そして、比較競争の波に突っ込んでいったんだな。

 

 

なんでも自分がやろうとする必要なんてなくて

なんでも自分が理解する必要なんてなくて

 

 

ほんとに、ただやりたいことやればいいんだ。

 

そう、わかったのだ。

 

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完璧主義って
「物理的なことを止めること」から始まって

最終的には

意識レベルでの完璧主義をやめる段階に行き着く。

 

 

なんでも自分が理解しなきゃ

なんでも自分が腑に落とさなきゃ

なんでも自分が答えられるようにしなきゃ

なんでも自分が言葉で説明できるようにならなきゃ

 

 

『わからないことがあるのが気持ち悪い』

『今、理解したい』

『今、納得したい』

 

 

そうなっている人が本当に多い。

でもそれが完璧主義からくるものだと

知らない人も本当に多い。

 

 

今、わからないことは必要ないことで

勝手にわかる時は来る。

そのタイミングが自分にとってベスト。

 

 

これを

言葉で知っている人は多いけれど

 

自我の自分が

なんとしてでも今それを掴んでおきたいと思う。

思ってしまう。

 

それがまた、自分責めにつながるなんて

予想もつかないであろう。

 

 

それも「手放せ」なのだ。

 

 

だって、それを考えている時は

絶対に「気分が悪い」から。

 

 

それが腹落ちしたら

ますます私は

 

自分がちゃんとするとか

褒められるとか

理解するとか

学び増やすとか

発信するとか

 

本当に、そういうことが

いい意味で、どうでもよくなって

 

 

ますます、日々のんびり過ごすことに

徹したのだった。

 

 

 

そこから連鎖的にぜっきーに起こったことが

本当に、神がかっていたと、今でも思う。

 

 

いや

神がかっていたのではない。

 

 

本来の人間の力って

そういうものなんだ。

 

 

 

 

 

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60日間の記録を書こうと決めた

このブログでさえ

 

日々どんどんと気づきと進化が進みすぎて

もはや、内面の変化のスピードに

記事が追いつけなくなってきた(笑)

 

すごい勢いでパラレルをどんどん移動している感じ。

ちょっと前の感覚がもう、思い出せない。

 

 

だからどんどん綴ります。

書いておきたいんだもの❤️

 

 

たぶん、その10くらいで終わる予定。

いーそーげー(笑)。

 

 

話したいことがいっぱいだよ。

 

 

 

次のタイトルは

「不自然なことは、やめる」です。