本日、4月8日。
お釈迦様の誕生日、ですね。
写真お借りしました。
お釈迦様の有名な言葉
「天上天下唯我独尊」
確かオーケンのつなぎにも刺繍されていたはず(笑)暴走族じゃないよ!!
唯我独尊。
辞書で調べてみると「自分だけがすぐれていると自負すること」と書かれています。
だからきっと、ジャイアニズム的な解釈をしている人が多いんだろうな。
自分勝手さ。傲慢さ。人のことなど気にしなくていいという姿勢。
二極の世界にいる人たちは、そう解釈する。
「私だけが尊い」
「私だけがえらい」
「私さえ、よければいい」
お釈迦様がそんなこというと思うか?(笑)
おりゃー、言わんと思うでー(誰だ・笑)
この言葉、私はとても大好きなんですが
他者と比べて、自分は優れていると自惚れることでもないし
自分のためなら人を蹴散らしてもいいということでもない。
これは、いのちの尊さを説く言葉でもありまた、どこまでも「私」を見いだすことの大切さを伝えている言葉。
このことがわかっている人と、わかっていない人が発信する「自分さえよければいい」「まずは自分から」という言葉は、意味が180度変わる。
どちらにせよ、私たちは自分の見たい世界をいつでも選ぶことができる。
そしてそれがそっくりそのまま、目の前に現れ続けるのです。
風邪がよくならず、日中もずっと寝て過ごしているのですが
とにかく、ちょっと油断すると情報、情報、情報の渦に巻き込まれる毎日。
不安の大きさは、地方の比ではないな、肌身をもって体感します。
公式LINEにも、不安だけれどどうしたらいいかわからない人、いろんな怒りが噴き出している人、いっぱいメッセージもらいました。
今、目の前に起きている出来事は、常にフラット。
それをどう捉えるかは、その人次第。
そして、その人の前提次第。
みんな、そういう教育受けてるから仕方ないのかもしれないけど、文句言いながら黙って従わなくていい。
それ以外の方法もあるんだよ。
逆らえ、ではない。
私たちは選ぶことができる。
会社に行かなきゃならない、のではなくて、行かないことを自分で選んでもいい。
学校に子供を活かせなきゃならない、ではなくて、行かないことを選んでもいい。
「出社してください」とか「入学式はやります」とか
そういうことに対して怒りを覚える人がすごく多いけれど
それは単に、自分がずっと怒りを押し殺してきただけ。
我慢してきただけだということ。
それが今回の騒動で、一気に表面化しただけのことなんだな。
ここまでで、ずっと自分と向き合ってきた人は、そもそも怒らない。
自分の感情そのものに飲み込まれない、といったほうがいいかな。
情勢がどうあれ、何がどうあれ、自分で淡々と選ぶだけ。
やろうがやるまいが、国や行政にその決定を委ねたりしない。
外出する人たちに怒りを覚えることもない。
自分は、ただ選ぶだけ。すごくシンプル。
だから怒りや悲しみを感じた人は、それをちゃんと認めるいいチャンス。
「私はこんな風に、怒りや悲しみを、いっぱい溜め込んできちゃってたんだな」と自覚するチャンスだよ。
起きている出来事は、関係ない。
私たちは、選べるし、いつでも選んでいい。
感情は自分の「今」を知らせる絶好のサインだね。
今晩20時頃より再販します。
引きこもってノートワークしたいあなたに、最適だよ♫