ある人の前に、聖者が現れた。

その探求者は嬉しくて、憧れていた聖者の登場に心から魅了された。

だが、その聖者があることをすると、その探求者はすぐさま、聖者を聖者とみなすことをやめた。

「どうして、聖者がこんなことをするだろう? 彼はきっと。本物の聖者ではないのだ」

そうして、聖者は偽物になった。

 

このようなことが、あらゆるところでいつも行われている。

自分の考えと固定観念こそ、事実に違いないと信じているから。

聖者も偽物も、どこにも存在などしていない。

ただ、頭の中にたくさんのリストがあって、想像(イメージ)として存在しているだけ。

 

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こちらの本からの抜粋。

 

 

 

 

昨日の記事

いろんな方に響いたことがあったようで

いっぱいメッセージいただきました。

 

ありがとうございます。

嬉しいです♫

 

 

 

内側から出たものを言語化したものって

外側の言葉とはまるで違う。

 

 

同じ言語であり、同じ言葉であるには間違いないんだけれど

伝わり方も感じ方も全くもって別物です。

 

 

翻訳は得意ですが、通訳はしません。

 

言葉そのものよりも、その奥にある本意を感じ取る力を養ってほしいから。

 

 

 

本当にね、感じる力が必要。

感じ続ける力が必要なんです。

 

自分の五感と日々、丁寧に向き合ってみて欲しい。

 

 

  • 今、どんなものが見える?
  • 今、どんな匂いを感じる?
  • 今、どんな味がある?
  • 今、どんな触り心地を感じてる?
  • 今、どんな音が聞こえる?

 

 

 

 

自分自身が普段、どんな言葉を放っているか。

自分の口癖は何か。

それには、どんな気持ちを載せているか。

無意識に放っている言葉は、何か。

ひとつひとつを、立ち止まって振り返る。

 

 

そこに全部の答えがあります。

しかも完全、あなただけのオリジナル

オーダーメイドの答え。

 

 

▶︎ノートは徹底した自己研究。瞬時に落ち着く。落ち込みたくても落ち込めなくなる!?

 

 

▶︎私は、常に疑う。それは自分への信頼の証。好みではないものに、一秒たりとも使わない。

 

 

 

「疑う」とは?

立ち止まって振り返ること。確認すること。

 

 

 

 

言葉ってね、本当に

全ては伝わらない。

 

だから言葉でいろいろ説明することって

ある意味、ものすごくカオスな状態を作る。

 

私の言いたいことはこうでああで…と、説明したくなる。

 

それは「理解して欲しい」という思いから発するもの。

 

 

「理解して欲しい」のはなぜかを見た方がいい。

理解されたらどうなると思っているかを見る。

誤解される、という不安と恐怖を見る。

誤解されると何が起こるか、を見る。

 

 

 

言葉は、あくまで伝えるひとつの手段にすぎないのです。

 

 

 

本質が全て。

伝わったことが全て。

結局のところ、行動したことが全て。

 

それは、自分から放ったエネルギー、熱量が全てだから。

 

 

 

人に対して、だけではありません。

自分に対して。

内側に対して。

世界に対して。

 

敢えて言うならば、宇宙に対して。

 

 

 

あ、熱量の前提も疑ってね。

 

 

私の「熱量」の前提は

 

 

暑っ苦しくて

エネルギッシュで

ギラギラしていて

力強くて

パワフルで

 

って前提ではないからね。

(もちろんこれも、自由です。好き好きでいいです)

 

 

 

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冒頭に書いた、抜粋文。

 

 

だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は得られないんだよ。
One can never be truly free if one admires others too much.

 

 

私の大好きなスナフキンの名言。

これと全く同じことだと思います。

 

 

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私はクリスチャンだった時があるので、聖書を徹底的に読み込んでいた時期があります。

 

 

 

人はどうして救いを求めるのか。

それはただひとつ「安心したいから」に尽きる。

 

 

その生き方でいいよ、という許可。

そのやり方でいいよ、という赦し。

大丈夫だよ、という安心。

それを「誰か」に委ね、「誰か」に認めて欲しくて、「誰か」に許可を出して欲しい生き物。

 

 

本当は、自分一人でできることです。

自分で自分を「ちゃんと見て」「全部明らかにして」「決めていく」ことができる。

 

 

ひとつの正しさの中に身を置くのではなくて

それぞれの中にある「正しさ」を自ら決めていくことができる。

 

 

正解を求め始めると、人は混乱します。

正解なんてどこにもないから。

 

正解はないんだ、と認めた上で、自分はこうありたい、こう生きていきたいと決めていく。

それこそが、生きる姿勢。生きるという行為です。

 

 

「どうあってもいい」「何を感じてもいい」「全て喜び」

それがわかった上での

「自分はどうしたいか」は「自分で全部決められる」

これこそが、絶対的安心と繁栄を知ることのできる生き方だと、そう思います。

 

 

 

昨日の本は、ちょっと聖書にも似ている。

 

▶︎【重要記事】光を強めよ。内側の光を色濃く、深くすることで、あなたの存在は勝手に浮彫りになる。

 

 

 

 

 

 

昨日久しぶりにJAGUARさんのところに行ったら

工事がめっちゃ進んでいてびっくりした。

 

 
あと1ヶ月後となりました。
 
クラウドファンディング支援者限定イベント
3月21日開催のJAGUAR CAFE復活記念イベント&パーティですが
 
少しだけ、一般席をご用意できる運びとなりました♫
 
ゲストはJAGUARさんと所縁のとっても深い彼の方です。
こ、こんなに早くご一緒できるとは…ドキドキ。
 
 
私はMCとフードコーディネートを担当します。
久しぶりのフードの仕事♫ ちょっと気合い入ってます。
 
 

近日中に、公式LINE最優先でお知らせします。

 

 

 

 

そういえば、ずっとリンク貼ってませんでしたが

公式LINEもやってます。やってますってなんだ(笑)

よろしくメカドック。

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今日も良き日をお過ごしください。