今日、友人とLINEしていて
ギャグネタが2年前のことでびっくりしたぜっきーです。
そうかー、もうそんなに経ったか。しみじみ。
2018年といえば「二極の世界」についてとことん知る一年でした。
二極の世界、どっちかにしかいられない、と思っていた人
たくさんいたんじゃないかな。
白・黒
善・悪
良い・悪い
光・闇
男・女
大きい・小さい
強い・弱い
これらのどちらかを選ぶ、という視点ではない。
それら全部ひっくるめての世界に在る、ということ。
二極の世界は、勝ち負けの世界で
どちらかが良しとされて、どちらかが間違っているとされるけれど
対等・調和の世界は、全部ひっくるめてそのまま。
文字通りそのままでいい。
その中で、好きな世界は自分で選べる、ということ。
久しぶりにビジネスのお話。
▶︎その「やりたいこと」ではお金が稼げないという永久不滅の悩みについて〜伝えたいことシリーズその2
「二極の世界」に生きる人たちのビジネスは
こういう視点なんだよね。
そもそも、自分が「勝ち負けの世界」に存在しているから
その世界での「好きなこと」を選ぼうとしている。
ここで感じた「直感」や「ワクワク」なんてピントがずれているの、当たり前。
「勝ちたくて、ビジネスしたい」だから。
「負けたくなくて、ビジネスしたい」だから。
「私でも勝てそうなもの」を探しちゃう。
勝ちたいから
集客力だったり
マーケティングだったり
ブランディングだったり
稼ぐ方法だったり
フォロワーを増やすやり方だったり
人脈だったり
何かの講師になったり
資格を得たり
そういったこをまず、身に付けようとしちゃうんだけれど
全くもって、逆。
順番が違う。
こういうやり方っていうのは
「自分という存在」を無視して繰り広げられていく。
認知度が大事、とか
プロモーションにお金かける、とかね。
だから、うわべだけ、形作られていって
どんどんそれが拡散していっちゃった後に
ふと、我に帰る瞬間がある。
「私って一体、誰だったっけ?」
そりゃあ、カッツカツに枯渇します。
カピカピですよ。
すぐ、エネルギー切れて倒れちゃう。
自分で自分のことを全く知らないと、こうなるのは当たり前。
「外側の部分」を
世間にとってウケのいい
都合のいいものに作り込んでいくんじゃなくて
全て、内側。全て、自分の反応。感情。感覚。
そこに全てがある。
私はいま、肩書きというものを全く重要視していません。
「何している人?」と聞かれますが
私がぜっきー(オオゼキアキコ)である、ということ以上に大切なことなどない。
それが腹落ちしています。
それが何よりも強いブランディングになり、ブロモーションになる。
自分がぜっきー(オオゼキアキコ)である、ということを
徹底して内側に潜れば潜るほど
文字通り
何をやろうが何を売ろうが全てぜっきー(オオゼキアキコ)になる。
勝ち負けの世界にいたら、自分の反応や感情を誤魔化さず、素直に自分で見られるようにはなれない。
プライドが先に立ったり誤魔化したくなるんです。
自分の反応を直視できないから、相手や周りの反応ばかり伺うようになる。
そんなことしてたら、自分の創造力なんぞ弱くなる一方。
自分とコミュニケーションが取れない人が、ビジネスがうまくいくわけなんて絶対にない。
自分を知ろうとするか、目を背けて誤魔化し続けるか、
それすらも自分で自由に決めていい。
今って本当に、SNSのおかげで、この身体なんてなくても自由に自分が「存在」できてしまうからね。
仮面をかぶり続けることだって容易にできてしまう。
自分を知りたくない、気づきたくないって思う人は
そこからずっと目を背けていた結果
仮面を被った方が自分だ!!と強く信じ込んでしまう。
そして仮面の方が、自分の姿になってしまう。
(それすら、望んだことだから叶っているという事実)
自分で感じて
自分で考えて
自分で決める。
それは、自分ひとりでやること。
どんなに不安でも
どんなに寂しくても
自分一人でやることです。
外側にある何かに「自信」や「信頼」や「道筋」を決めてもらおうとするから
いつまでたっても自分とコミュニケーションが取れないんです。
▶︎気持ちを、言葉を熟成させる。自分の中の聖域に潜ることは楽園に浸りきること
「頭で感じたつもり」じゃなくて
しっかりと今、自分で自分とコミュニケーションを取ろう。
ノートは最高の自己対話ツールだよ♫
良き夜を。