早朝散歩復活。林試の森気持ちよす。

 

 

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昨日は遠藤氏と定例会議。

 

定例会議と言いつつも、もはや対談である。

 

 

互いの一ヶ月の気づきや学びを

フル回転で放出し

お互いを可視化して話す、という

大変有意義な時間を過ごしておる次第。

(これだけで一本、音声配信ができそうな濃さ)

 

 

だいたいは私の馬鹿話からスタートし(今回は台湾の珍道中の報告から)

語りすぎて止まらなくなり

話があちこちに飛び

昨日も4時間あっという間に過ぎ去っていった。

 

 

私は大変な人見知りさんなので(そういう設定にしている)

男の人とふたりきりになるのがとても苦手で

大抵は先手必勝で喋り倒してガードしまくるのだが

 

 

最初から全くもって大丈夫だったのは

この世で、福ちゃん遠藤さんだけなのであった。

理由不明。

本能です(笑)。

 

 

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昨日の対談の中で、

孤独さ、というものを俯瞰する機会に恵まれた。

 

 

 

いろんなものを学んで実践して

さらに進化して現在に至るわけですけれども

ここに来て、ただひたすらやらなければならないのは

 

 

 

 

 

「諦めること」

 

 

 

 

 

 

ただもう、これだけ。とことんこれだけ。

 

 

 

 

これは「マイナスの諦め」ではない。

 

 

「ないものねだりをやめる」ことであり

「理想の私になることを手放す」ことであり

「結局、自分の初期装備でやるしかない」ことであり

「それに適したカスタマイズじゃないと、無理だった」と知ることであり。

 

 

 

世間一般に溢れている「型」というものが、実は自分に全く合わないことを昨日知った。

 

 

昨日だよ、昨日!!!

 

 

ガーン。カルチャーショック。

 

 

 

 

まぁこ、みひろ、

言われてたことおいら全然わかってなかったYO。

 

 

 

 

 

 

私は「普通」への憧れが、恋い焦がれるくらいあった。

 

 

 

破天荒でたいそうデンジャラスな人生を送ってきている「から」

「普通」に憧れたのかと言うと、そうではない。

 

 

 

私はこんなに変人なのに

そしてそれを誇りに思っている反面(B型あるある現象)

 

 

 

 

 

「普通」でないことを、どこかで受け入れたくなかったのである。

 

 

 

 

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世の中には

例えばビジネスだったら「普通の私が年収◯千万円になりました」

っていうメソッドが、ものすごくたくさんある。

掃いて捨てるほどある(失礼)。

 

 

 

「普通だった私にもできたんだから、あなたにもこうなれる」っていう

未来を魅せる「希望」を与える仕事のやり方。

 

 

それにめっちゃ憧れた。

主流がそうだから、それをやってみたかった。

 

 

 

そう、人に希望を与えたかったのだ、私は。

 

 

だがしかし。

私の人生そもそもが破天荒で、人様との共感ポイントゼロ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼロですよ、ゼロ。

 

 

 

 

 

 

私の話はただただ、後から聞くと面白い話なだけであって

共感、なんぞ生まれるわけがないし、ましてや「希望」なんぞ論外だ。

「できない」ことしかないから。

 

 

 

だから私は自分の再現性を徹底的に分析し実践実証してきた。

なんかあると思っていたの。やり方が。

 

「再現性」にこだわりまくり

3年間ただ淡々とやり尽くした結果、私は劇的に進化したが、そのやり方は世間一般に浸透しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

だってそれは私自身のためのメソッドじゃねぇか!!!!!!

 

 

おおう!!!!!

なんということだ!!!!!!

 

 

 

 

「私もそうでした」って人、ひとりしか会ったことない…。

それはMさんあなたです。

 

1年前のMさん。もはや別人。

あとでぶっ殺されるな… 逃げよう(笑)

 

 

 

 

 

 

 

そりゃーもう「孤独」でしかない。当たり前だ。

 

 

 

 

 

結局、私たちは共感できる仲間がほしい。

人はひとりでは生きていけないし、誰かと常に関わっていたい生き物。

 

それは「同じ思い」を分かち合いたい、というどこかしら突き上げるような衝動から起こるもの。

 

 

 

 

 

 

 

だけれど、誰とも分かち合えない「もの」を持っている人は

その部分に共感ができない。

「同じ思い」がないのだ。

その人の持つ思いは、共有も共感もできないものなのだ。

 

 

 

ただひたすら、自分の持つ「孤独さ」を受け入れていくしかない。

 

 

 

 

けれど、不思議なことに

孤独さと特異性を受け入れ、諦めた途端に

 

 

「孤独さを受け入れた人たちのコミュニティ」ができてくる。

 

 

 

 

 

ここには、思いそのものへの共感はない。

ただ「孤独さを知っている」という共感が生まれる。

 

 

 

 

 

 

私の周りにはいま「孤独さ」とその「寂しさ」を抱えた人がいっぱい集まって来ている。

それらの人たちは、個でありながら、全てに通じる深淵の「世界観」を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

どこをさまよっていたか、なぜしっくりこなかったか、

やっとわかった11月の1日でございました。

 

 

 

またひとつ進化しました。まる。

 

 

 

 

 

 

2018年中に、まだまだ諦めることがたくさん出て来そうな予感。

 

 

 

 

 

そんなわけで

「普通じゃない人が行く道」を生きます。(今更感半端ない)

 

 

 

 

 

 

「孤独? それはその先に最高の世界が待ってるってことだぜ?」

 

 

 

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