人間関係の話が続きます。

 


 

私は大変好き嫌いが激しゅうございました。(過去形)

 

そして、大変好き嫌いされるのが激しい存在でした。(過去形)

 

 

人に

ものすごく好かれるか

ものすごく嫌われるか

その二択しかなくて

 

 

過去の出来事にも書きましたけれど

 

中学時代は嫌われまくり

高校時代は好かれまくりでした。

 

 

まー、極端よね。おほほほほ。

 

 

 

で、ちょっとスピリチュアルや心の世界などを覗くと

「波動」というものがあることを知るわけですね。

 

「自分が出したものをそっくりそのまま受け取る」的なものね。

エネルギーとも呼びますよね。

 

これ、一瞬納得しかかったんですけどね。

どうも、しっくりこなかったんです。

 

 

 

そこで。

人を嫌いになる時。

あるいは、嫌われる時の仕組みをね

考えてみました。

 

 

 

これ、深いぞよ。

 

 

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嫌いな人がいたとしましょう。

理由がはっきりしている場合でも

そうでない場合でも

 

あなたはその人が、嫌い。

 

 

「あの人さえいなくなれば、私はもっと◯◯になれるのに」

「あの人がこうなら、私は△△なのに」

 

表面的には、こういう感情が湧きます。

 

 

 

でもこの反応は「ダミー」です。

 

反応は、前提によって作られるからです。

 

 

 

 

ではなぜ、あなたがその人をそんなに嫌いになるのか。

 

 

 

 

結局のところですね。

 

 

 

 

「その人と向き合うことで、会いたくない自分が出てくるから」

そして

「その人がいることで、自分にとって都合の悪い自分と出会わねばならないから」

 

 

 

 

 

そこ。そこだよ。

ここだよ、ここ!!

 

知ってる人どのくらいおるんやろ

 

 

 

 

 

もっと深く分析してみませう。

 

 

 

 

人を嫌いになる時というのは

その人そのものの「存在」と

「嫌い」という感情がセットになっています。

 

 

これをまず、分けます。

 

 

「嫌い」という感情が起こるメカニズムがあります。

 

 

それは、スピリチュアルの世界では

「自分がやりたいことを、相手がやっているから」

という風に表現されます。

 

 

 

ひとこと言いたい。

おい、雑やな(笑)

ぜき的見解。

 

 

 

闇雲に「あなたが本当はやりたいことを相手がやってるからだよー。本当は羨ましいんでしょー。あははははー」と言われたことがある人も、実にたくさんおられることでしょう。

 

 

 

 

実際、広く広く広く見れば確かにその通りなんだけれど、

 

もっと細かく丁寧に見ていくと、とても大事なものがそこにはあるんです。

 

 

 

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私たちは誰もがみんな、万能であることを知っています。

どんなことでもできるし、どんなこともやれる可能性がある。

 

しかし成長とともに、その万能さを次第に忘れていきます。

 

 

それは、親の教育であったり

社会常識だったり

人との摩擦だったり

感情の体験だったり

 

様々なことで、少しずつ「私はこうである」という小さな枠にすっぽりと収まる範囲になっていきます。

 

 

でも、根底のところでは、本当は自分が何をしたいか、何をやりたいかがわかっている。

わかっているというよりも、知っている。

 

 

でも、思い出したら、その今自覚している枠からはみ出ることになる。

だから、怖い。

 

 

枠に収まらない私なんて怖くて見たくない。

 

 

誰もが変わりたい、と言いつつも変われないのは

ここにもひとつの要因があります。

 

 

 

枠から飛び出した

出会ったことのない「私」が

何をしでかすかが怖い。

 

 

 

だから、なかったことにしてしまおう。

忘れてしまおう。

 

そう、封印しているんです。

 

 

その人は、その封印して、なかったことにした

あなた本来の何かを刺激する。

 

 

 

 

だから、その人に会うとモヤモヤするし、怖いし、近づきたくない。

 

 

 

この人に近づいたら、知らない私が出てくる。

 

 

よし、全拒否!! 

危険人物!!

 

 

そこから、人は「この人はやばい。何故ならば…」を自動的に弾き出していくんです。

 

理由は、後付けです。なんでもいいんです。

 

・何か言われた

・行動が変

・とにかく嫌だ

・傷つけられた

などなど。

全て、後付け理由です。そこに本質はない。

 

 

 

ここにもう、本人の意思は全くない。

 

意思関係なしに、無意識に、反応していってるんです。

 

 

 

 

だから実際のところ

あなたが、その人を嫌おうが何しようが

その人の本質は、変わらないわけです。

 

あなたにとって「嫌いな人」になっているだけ。

 

 

 

だから人に嫌われても特に気にしなくなりました。

あーははは。

 

そこに本人の意思はないから。これ鉄則。

 

 

 

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つまり、誰かに嫌われる時は

あなたが、相手の「封印した何か」を強烈に刺激している時であり

 

あなたが誰かを嫌う時も

相手があなたの「封印した何か」を強烈に刺激している時

である。

 

 

 

 

 

でね。

この先がとてもとても大事なんです。

 

 

それらは

 

 

全てが、自己防衛。

自分を守ろうとする機能。

 

 

つまりは、もうとことん、どこまでいっても「愛」でしかないわけですよ。

 

 

だから人を嫌いになるのも、愛ですよね。

 

 

自分の封じ込めた想いを解放したら、

どんな自分に出会うかわからない、

その恐怖を回避してくれるため

 

 

「嫌う」という行為をもって、自分を守ってくれている。

 

 

 

人に嫌われるのも、その相手にとって「愛」

 

 

 

もう、究極、全てが愛しかないんだなーと

最近特に、しみじみ思うわけです。

 

 

 

その愛の方向がどっちに向いているか。

 

それだけの差で、どれもが愛です。

 

 

側から見たら自分勝手に思えることも

その人にとっては、自己愛です。

 

 

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私たちは、自分の体験してきたことで

「価値観」や「世界観」を抱きます。

 

 

「信念」とも呼べるそれは

 

時に、あなたを助け

時に、あなたを喜びへと導き

時に、あなたを悲しみへと追いやり

あなたの怒りを呼ぶこともある。

苦しみや、絶望や、飛び上がるほどの愛おしさ。

いろんなものをあなたに運んでくる。

 

 

 

それら全てが、愛ゆえだなぁと

本当に、しみじみ思うのです。

 

 

 

 

私たちが目で見て判断しているものは、偽物です。

 

 

目で見ているものと

潜在意識下における目で見ているものは、全く違うのです。

 

 

表面的な反応は、あなたではありません。

 

 

それらをつなぎ合わせている

観念・思い込み・ブレーキ・トラウマなどなど。

 

 

それらは、愛であること。

そして、それを理解した上で

「それ」を持ってこれからも歩んでいきたいかどうか。

 

 

常に、どんな時も世界は私たちに語りかけてくれているのでした。

 

 

 

 

 

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