フランスのセクト(カルト)対策と「反セクト法」を総まとめ! | 波立つ海に沈みゆく月 ~旧統一教会さよならブログ~

波立つ海に沈みゆく月 ~旧統一教会さよならブログ~

統一教会は、だいぶ前から衰退している。二世の未来は全体として明るくない。
これに最後に責任を持つのは、本人と社会だと思ふ。(しばらくブログの本説明文をいじります)

旧統一教会やカルト宗教(セクト団体)による被害者の救済のために、フランスの反セクト法(About-Picard Law)を日本にも導入してはどうかという声が上がっています。

 

確かにフランスでは「反セクト法」があることにより、セクト団体の活動を規制することができますが、実際にフランスで数々のセクト対策を行っている政府機関は「ミビルーデ(MIVILUDES)」と呼ばれます。そのほかに、フランスの警察や学校、民間団体なども協力してセクト対策を行っています。

 

かつて1990年代のフランスでは、セクト害の壮絶な有り様に衝撃を受けて、セクト問題の対策方法を検討し、反セクト法を制定して、セクト対策を押し進めました。しかし、セクト団体自体への強い対策には国内外からの批判の声があったため、その後、特定宗教を信じる者の良心や信教の自由を保護するためにセクト団体の行為のみを規制するよう妥協することとなりました。そうした試行錯誤の結果が、現在のフランスのセクト対策と反セクト法であるといえます。

 

ただし、当時のフランスのセクト問題は、セクトと称される団体に入教した宗教一世によるもので、宗教二世の問題はほとんど提起されていなかったようです。現在の日本統一教会における極端な高額献金や政治との癒着の問題も、日本特有の問題であるように思われます。

 

それでもフランスのセクト対策と反セクト法は、日本でのカルト対策に参考になる点が多く、本記事では押さえておきたい事項をまとめてみました。

 

 

[目次]

  • 概要:セクト対策の政府機関「MIVILUDES」と反セクト法
  • 1970,80年代:フランス社会へのセクト浸透と被害者による問題認識
  • 1990年代:セクト対策の加速化と反セクト法の制定
  • 反セクト法(2001年)の主な内容
  • 反セクト法への国内外からの批判
  • 2002年以降:MIVILUDESの設置、セクト的逸脱行為の対策へ

 

※なお、私は専門家ではないこともあり、本記事には誤りが含まれている可能性がある点を予めご了承ください。

 


 

■概要:セクト対策の政府機関「MIVILUDES」と反セクト法

 

ミビルーデ(MIVILUDES)「セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部」の略称で、フランスのセクト対策を担う政府機関である。今から20年ほど前、2002年11月28日に、大統領令(デクレ)により設置された。

 

MIVILUDESは、官僚12人で構成される小さな部署だが、フランス政府内のすべてのセクト対策の関連部署の重要な結節点となっている。


セクト対策と言っても、フランスには教義内容などで特定団体をセクト(カルト宗教)として判定するような定義はしていない。したがってMIVILUDESも、団体そのものに対策を講じるのではなく、その名称からわかるように、団体によるセクト的な逸脱行為(注1)を取り締まる方針をとっている。

 

MIVILUDESは、セクト的逸脱行為の危険性として、セクトに関する10の指標(後述のギュイヤール報告書に記載されたもの)などを挙げている(注2)。セクト的逸脱行為には、宗教団体の行為だけでなく、違法な医療、詐欺、家族を遺棄するといった行為も含まれる。

  • ①精神の不安定化
  • ②法外な金銭の要求(献金など)
  • ③元の生活からの意図的な引き離し
  • ④身体への加害
  • ⑤児童の入信強制
  • ⑥反社会的な言説
  • ⑦公共秩序のかく乱
  • ⑧裁判沙汰の多さ
  • ⑨通常の経済流通経路からの逸脱(高額な物品販売など)
  • ⑩公権力への浸透の企て

 

MIVILUDESによって実施される、現実的なセクト的逸脱行為への対策は、以下のような職務を含んでいる。

  • 公共な秩序や法を侵害するセクト活動を監視・分析する
  • セクト的逸脱行為に対し、公的機関の予防・抑圧行動を調整する
  • 潜在的なリスクや危険を国民に知らせる
  • 被害者が支援を受けるための手伝いをする


実際にセクトの問題行為があったときは、被害者がオンラインでMIVILUDESに通報するシステムがある(参考:通報サイト)。いわばセクト問題の総合窓口であり、MIVILUDESは通報内容を検討し、被害者への対応が必要であれば介入し、場合により、関係省庁に報告したり、社会的サービスや司法手続きに導くよう支援したりする。

 

また、MIVILUDESは、セクト的逸脱行為を発見した場合には、警察に事件を付託したり、悪質なセクトに対して税務署に監査を提案したりすることもできる。そのほか、セクトの危険性についての学校教育や広報活動、公務員への教育なども行っている。

 

現在、MIVILUDESのトップであるグラベル氏は、フランス警察庁で、官僚60人からなる「犯罪・過激化・セクト的逸脱行為の防止に関する省庁間委員会(CIPDR)」も率いているという。


こうしたフランスのセクト対策に関連して、2001年、セクト的団体の防止および取締りを強化する法律として「反セクト法」が制定されている。この法律により、セクト的団体が刑事上の処罰を複数回受けたときには、一定の条件で団体の解散を可能としている。

 

フランスは、このような徹底したセクト対策と反セクト法の存在により、セクトの活動が日本のような大きな問題になっていないと言われる。

 

以下、フランスでセクト対策が、時代ごとにどのようになされてきたのかを、反セクト法の内容とともに紹介する。

 

 

 

■1970,80年代:フランス社会へのセクト浸透と被害者による問題認識


ヨーロッパで、セクトと呼ばれる新興宗教の問題が社会問題化し始めるのは1960・70年代頃だったという(注3)。

 

特にフランスでは、1968年に「パリ革命」と呼ばれるパリ大学の学生運動が活発化しており、この年にパリではフランス統一教会も創設された。こうした時代に不安を抱える学生たちを集めて、フランス社会に統一教会は浸透していったという(FNNプライムオンライン8/1記事)。

 

1974年、フランスの統一教会に入教した息子(18歳)を取り戻すために、その両親によってADFI(セクト被害者と家族を守る協会)という民間組織が設立された。この組織は、1982年に、UNADFI(セクト被害者と家族を守る協会全国連合)に発展的に改称されている。

(※UNADFIの正式名称は「Union nationale des associations de défense des familles et de l'individu」。)

 

ADFI設立後も、フランスでは統一教会に入信した子供たちと連絡を取れない問題が両親たちによって提起され、1982年には「シャトー事件」と呼ばれる統一教会女性信者の脱会誘拐事件が起きた。当時21歳のシャトーさんを脱会させようと、彼女の両親と兄弟を含む7人が彼女を誘拐したのである(東洋経済オンライン9/6記事)。

 

その後、警察は裁判所の判断により彼女を解放し、彼女は誘拐者である家族たちを訴えた。しかし、このシャトー事件は、フランス社会に広く知られるようになったことから、信仰擁護派と両親擁護派とで、世論が二分されるようになった。そして、その2か月後には、フランス国内の統一教会事務所21カ所が一斉に強制捜査され、さらに2年後、統一教会のフランス事務所のトップが脱税で起訴されるようになった。


ただし、こうしたセクト問題は、1980年代までは、フランス社会全体の大きな問題になることはなかったという。

 

 

■1990年代:セクト対策の加速化と反セクト法の制定

 

フランスでセクト対策が本格的に進められるようになるのは、1990年代後半のことであった。

 

その背景としては、1990年代前半に、いわゆるカルト宗教による衝撃事件が世界各地で立て続けに起こったことがある。1993年にアメリカでダビデ教団集団自殺事件、1994,5年にスイスやフランスで太陽寺院教団集団死事件、そして1995年3月には日本でオウム真理教地下鉄サリン事件が起こり、カルト宗教により市民の命が危険にさらされたのである。

 

1995年7月に国会のセクト調査委員会が設置され、12月に重要な調査報告書を提出し、翌年1月に公表された。このギュイヤール調査報告書には、いくつかの重要なセクト対策の提案がなされており、それはセクト対策組織を設けることや、新たな反セクト法を通過させることも含まれていた(注4)。


ギュイヤール調査報告書には、セクトの定義が困難であるとしながらも、特定団体が「セクトかどうか」を判断するための『10の指標(上述)が示されており、この指標に1つでも当てはまる173の団体が、セクト団体のリストとして載せられた(なお、このリストは、2005年に差別的だとして廃止)。

 

上記のリストに載った団体としては、統一教会、サイエントロジー、エホバの証人、ファミリーインターナショナル、ラエリアンムーブメント、創価学会(現地法人)などがあったようである。当然、これらの団体からは激しい反発を受けたが、フランス行政機関のセクト対策や裁判所の判決において、このリストは参照されたりもした。

 

特筆すべきは、報告書提出の翌日にフランスで太陽寺院信者16人の集団自殺事件が起こったことで、これによりフランスの人々はセクトの危険性に大きな衝撃を受けた。こうした世論の後押しを受けて、報告書の提言は迅速に実施されていった。
 

翌年の1996年には、国会で反セクト法を制定することに全会一致し、報告書の提案に従って、首相直属のセクト対策組織も設置された。1998年には、大統領令(デクレ)により関係省セクト対策本部(MILS、現在のMIVILUDES)が設置されている。

 

こうしたセクト対策の検討の成果は年次報告書にまとめられ、5年の歳月の後、2001年6月12日に反セクト法が制定された。

 

  • 1990年代のセクト対策については、小泉論説(2006)のp.329~338を参照。

 

 

■反セクト法(2001年)の主な内容


反セクト法の正式名称は『人権および基本的自由を侵害するセクト的団体の防止及び取締を強化する2001年6月12日の法律』である。

 

全6章24条からなる法律(注5)で、反セクト法の主な内容は、人権および基本的自由を侵害する“セクト的”団体について、特定条件でのセクト的団体の解散を定めたことと、セクト的団体の不法行為に対する刑罰を強化(新たな犯罪類型の新設、現行刑罰の強化)したことであった。

 

これにより、該当するセクト的団体の反社会性や悪質性を勘案して、資金募集の禁止や事務所の閉鎖を命じることを可能とし、最も重い処分は団体の解散となっている。

 

反セクト法で規制の対象となる「セクト的団体」は宗教団体だけに限らず、そうした幅広い団体の問題ある「セクト的逸脱行為」を処罰することとしている。これには詐欺医療などの行為も含まれる。

 

セクト法による団体の行為の規制は「セクト的団体の宗教の自由」を奪うという観点ではなく、「国民の精神の自由」を守るという観点に基づいているという。

 

①セクト的団体の解散(第1条) (注6)


解散の対象となる団体は「法的形態または目的のいかんを問わず、活動に参加する者の心理的または身体的服従状態を作り出し、維持し、利用しようとする目的または効果を有する活動を続けるあらゆる法人」と定義されている(第1条)。

 

かかる法人または代表者が刑事上の有罪判決を複数回宣告された場合、検察庁の申請または関係者の請求により、司法裁判所の判断で、法人自体の解散をすることができる。なお、両罰規定により、個人の犯罪行為であっても、法人を罰することができる(1996年2月9日の法律)。

 

対象の犯罪としては、刑法典に定められた殺人、暴行、遺棄、自殺教唆、逮捕監禁、窃盗、詐欺、横領などに加え、その他の法に規定された不法医療行為罪および虚偽広告罪などがある。

 

なお、現在まて、反セクト法によって解散命令が出された団体はない

 

②無知・脆弱状態不法利用罪の新設(第20条) (注7)

 

反セクト法第20条で新たに導入された犯罪類型で、マインドコントロールのような判断力を奪う行為を処罰できるようにしたものである。これにより、刑法典上の「無知または脆弱な状態を不法に利用する行為」が処罰の対象とされるようになった(刑法典223-15-2条)。

 

この規定は、もともとマインドコントロール(精神操作)罪自体を規定しようとしたものであったが、それは個人の人権と自由を侵害するという理由で断念された。その代わりとして、一定の要素を保ちながら既存の刑法典「未成年者・弱者に対する罪」に倣って修正された規定である。未成年者保護の観点が強くうかがえる規定であるという。
 

 

 

■反セクト法への国内外からの批判

 

反セクト法は、セクト団体による人権侵害行為を規制す目的で制定されたが、法案審議の過程で、良心の自由や国家の宗教的中立性への配慮から、宗教団体やセクト団体であるかどうかを問わず広く団体への適用ができる法となった(第1条参考)。したがって、セクト団体を規制するためのセクト特別法という性格よりも一般法の補足という性格が強いと言われる。

 

特に反セクト法は、団体のセクト的逸脱行為を広く規制するものであるため、伝統宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など)も規制の対象になるという反発があった。

 

加えて法案審議過程において、セクト被害者の声が重視されたため、研究者の意見を聞き入れずに制定されたことへの批判もなされた。宗教学者や法学者からは、セクトを具体的に定義できないことや、マインドコントロールや心理的服従といった言葉の概念があいまいなままセクトの規制をすることへの批判があった。

 

さらに国外からは、特に米国からの批判が強かった。米国の『国際宗教事由報告書(毎年発行)』では、少数派の信教の自由を不当に侵害していると批判された。

 

 

 

■2002年以降:MIVILUDESの設置、セクト的逸脱行為の対策へ

 

上記のとおり、2001年頃まではフランスでセクト問題が大いに議論されてきたが、その後は社会全体として、セクト問題はあまり注目されなくなったという。その理由としては、セクト対策が進んで、セクト団体の活動が慎重になったためともいわれる(小泉論説 p.329)

 

特に、2002年にフランスの政権交代があり、カルト対策を担ってきたMILSの長であるヴィヴィアンが辞任することにより、MILSは機能停止の状態になった。こうした経緯を経て、2002年11月にMILSの代わりに、首相の下にMIVILUDES(セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部)が設置されて、セクト対策の修正が図られた。

 

MIVILUDESは、その名称からわかるように、セクト団体への対策よりも、セクト団体の逸脱行為のみを問題とすることを意味する。この方針変更は、セクト団体の宗教的自由とライシテ(政教分離)の原則(注8)に基づいたものであり、変更後のセクト対策は「地味ではあるが、着実に進化した」と評されるものであった(小泉論説、346ページ)。

 

MIVILUDESの組織体制は、MILSとほぼ等しいが、MILSと比較すると、幅広い構成員による集団的な活動方式をとり、情報交換に重点を置いている。国会議員やセクト対策の民間団体・教育団体の代表と共に、裁判官、医師や研究者、大学教授も加わり、共同で検討を行う性格が強くなっている。

 

したがって、MIVILUDESの事務として、セクトに関する分析、対策の調整、公務員への情報提供・研修、被害者援助だけでなく、セクト対策のため各省など関係機関との情報交換が加わっている。そのほかの事務として、外務省の所管に属する問題への関与も加わっており、国際関係への配慮がなされている。

 

このように、MIVILUDESがセクト団体の行為のみを問題視する姿勢は、2005年の二度の通達に現れている。2月の内部大臣通達では、地方公共団体がセクト団体の施設建造を妨げないようにする通達がなされた。5月の首相通達では、セクト団体のリストを作成することと、それに基づく対策を行うことを明確に否定した

 

このような2002年からのフランスの動きは、国外からの批判を好転させた。2004年のアメリカの国際宗教的自由報告では「宗教的自由の尊重の改善」と表現され、2005年の国連宗教の自由に関する特別報告でも、MIVILUDESについて「均衡のとれたアプローチ」と評価された。


一方、2001年に米国で同時多発テロ事件が発生し、2010年代にイスラーム過激派によるテロ事件が頻発したことにより、フランスでは、セクト対策よりもイスラーム過激派の対策に力が注がれらようになった。

 

近年は、コロナ禍において人びとの不安につけ込み、科学的根拠のない健康法を喧伝して心理的従属を強いるなど、セクト的な行為や集団の急増に伴う対策が取られている。

 


注1:「セクト的逸脱」とは、思想、良心、あるいは宗教の自由の逸脱であって、基本的権利や人の安全や完全性、公共の秩序、法を侵害するものを意味する。セクト的逸脱は、組織化された集団や、孤立した個人によるものであるかを問わず、またその性質や活動を問わず、人に対して自由意志による判断能力の一部を奪い、その人や周りの人々もしくは社会にとって損害を伴う結果を招来する、心理的あるいは身体的服従を生み出し、維持させ、あるいはこれを利用することを目的とする圧力や技術を実施することにより特徴づけられる。 (→本文に戻る)

 

注2:MIVILUDESは、セクト的逸脱行為の危険性としてギュイヤール報告書におけるセクトに関する10の指標に追加して、次のものを挙げている(小泉論説 p.355)。 (→本文に戻る)

  • 公序侵害のおそれ
  • 精神不安定を招く生活条件
  • 脆弱・無知状態にある者への侵害
  • 損害を生ぜしめる作為・不作為を導く精神的服従
  • 集団における他の者の拒否
  • 共和国基本原理の侵害
  • 国際条約の不遵守

 

注3:フランスで法的な舞台にセクトが本格的に登場したのは、1967年の離婚請求事件控訴審判決についての注釈であるという。エホバの証人に入信した妻が、カトリックである夫との同居を拒み、また子供の養育を等閑にしていたことから夫が離婚請求を提起した(中島論説 p.937)。 (→本文に戻る)

 

注4:ギュイヤール報告書の骨子は、セクト調査の体制づくり、セクトに関する情報提供、現行法の厳正な適用、法的措置の整備およびセクト被害者への支援であった(小泉論説 p.332) (→本文に戻る)

 

注5:反セクト法の構成(→本文に戻る)

  • 第一章 一定の法人の民事的解散(第1条)
  • 第二章 一定の違反に関する法人の刑事責任の拡大(第2条~第15条)
  • 第三章 刑事責任のある法人に対する解散刑に関する規定(第16条~第18条)
  • 第四章 セクト的団体の宣伝制限規定(第19条)
  • 第五章 無知又は脆弱な状態に付け込む不法侵害に関する規定(第20条~第21条)
  • 第六章 細目規定(第22条~第24条)

 

注6:反セクト法 第1条「法的形態または目的のいかんを問わず、活動に参加する者の心理的または身体的服従状態を作り出し、維持し、利用しようとする目的または効果を有する活動を続けるあらゆる法人は、〔法律の定める一定の〕犯罪のいずれかについての刑事上の確定した有罪が、法人そのもの、あるいは法人の法律上または事実上の幹部に対し、複数回宣告されたときは、本条の定める手続に従い解散が宣告されうる」 (→本文に戻る)

 

注7:反セクト法20条「未成年者に対して、もしくは年齢、病気、身体障害、身体的欠陥、精神的欠陥または妊娠状態のため、著しく脆弱な状態にあることが明白な者または行為者にそれが認識される者に対して、もしくは重大または反復した圧力行為または判断を歪めうる技術の結果、心理的または身体的服従状態にある者に対して、その者に重大な損害を与えうる作為または不作為に導くために、その者の無知または脆弱状態を不法に利用することは、3年の拘禁刑および375,000ユーロの罰金に処せられる」 (→本文に戻る)

 

注8:1905年に成立した政教分離法(ライシテ法)の第1章第2条に「フランス共和国はいかなる宗教も公認せず、俸給を与えるまたは助成金を支出することはない」と書かれている。 (→本文に戻る)

 

以下を一日一回クリックいただけると、このブログを続ける力になります!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合 批判・告発へ

 

 

■参考:反セクト法制定に関連する経緯

  • 1905年 政教分離法の制定
  • 1968年 パリ革命(パリ大学の学生運動)。
     パリでフランス統一教会の創設
  • 1974年 ADFI(セクト被害者と家族を守る協会、UNADFIの前身)の設立
  • 1978年 南米ガイアナで人民寺院集団死事件
  • 1980年代前半 統一教会の入信者と家族との問題続発
  • 1981年 民間の反マインドコントロールセンター(CCMM)の設置
  • 1982年 統一教会信者の脱会誘拐事件(シャトー事件)。その後、信者は解放。
     2月後、統一教会の事務所21カ所を一斉強制捜査
     UNADFI(セクト被害者と家族を守る協会全国連合)に発展
  • 1983年 ヴィヴィアン報告書「フランスにおけるセクト、精神的自由の表現か悪質なかつぎ屋か」の提出(1985年4月公表)
  • 1984年 統一教会のフランス事務所のトップが脱税で起訴
  • 1993年 アメリカでダビデ教団集団殺事件
  • 1994年10月 スイスで太陽寺院教団集団死事件
  • 1995年3月 日本でオウム真理教地下鉄サリン事件
  • 1995年7月 議会でセクト調査委員会の設置
  • 1995年12月22日 「フランスにおけるセクト」と題するギュイヤール報告書の議会提出。セクト識別のための10の指標とともに173団体のリスト作成(後に差別的だとして廃止)
  • 1995年12月23日 フランスで太陽寺院教団集団死事件
  • 1996年 多くの犯罪について、法人と個人の両罰規定を導入(2月9日)
     セクト対策に関する司法省の通達(2月29日)
     国会で反セクト法を制定することに全会一致
     首相直属の、セクト関係省監視室(Observatoire interministériel sur les sectes')を設置(5月9日)。
     UNADFIが公共事業団体として認定。
  • 1998年 関係省セクト対策本部(MILS: Mission interministérielle de lutte contre les sectes)を開始(10月7日)。MILS本部長にアラン・ヴィヴィアン氏が任命(11月23日)。
    セクト対策に関する司法省の2回目通達(12月1日)
  • 1999年 「セクトと金」という議会報告書を提出(6月)。 上院議員アブーが反セクト法案を提出(11月)
  • 2000年2月7日 MILSの報告書で「人権及び基本的自由を侵害するセクト団体に対しての予防と規制を強化しなくてはならない」との結論
  • 2001年6月12日 反セクト法の制定
  • 2001年9月11月 米国で同時多発テロ事件
  • 2002年 フランスの総選挙による政権交代。アラン・ヴィヴィアン氏がMILS本部長を辞任(6月)
  • 2002年11月28日 シラク大統領令によりセクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部(MIVILUDES)を設置
  • 2004年 公立校でスカーフ着用を禁じる法律制定
  • 2005年 内部大臣通達により、セクト団体の礼拝用建物の建築・改築を妨げないことを地方公共団体に注意喚起(2月14日)。
     首相通達により、ギュイヤール報告書(セクト団体のリスト)の効力を公式に否定(5月27日) 
  • 2010年 公道でブルカ着用を禁じる法律制定
  • 2010年代 イスラム過激派に感化された若者の増加が社会問題化
  • 2014年 イスラム系セクト感化防止センターの設置
  • 2015年1月 イスラム過激派による週刊風刺新聞社の襲撃(シャルリー・エブド襲撃事件)
  • 2016年 イスラム系セクト感化防止センターの国家との連携中止

 

■参考情報

 

■参考記事

 

 

最後に、一日一回クリックいただけると、このブログを続ける力になります!

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合 批判・告発へ
にほんブログ村

 

〜本ブログについて〜