統一教会の祝福家庭が二世たちを育てて、信仰と祝福を受け継がせようとすることは、一世にとって初めから攻略困難な無理ゲーであった(第1回記事)。なぜなら、二世たちは独立の意思を持った個人であり、多くの二世にとって、統一教会の信仰と祝福を自ら選択することは極めて困難だったからである。
しかし、統一教会の信仰を最後まで固持する一世信徒たちは、その無理ゲーに挑まなければならなかった。そうまでして、信徒たちが二世に受け継がせたい統一教会の祝福とは何なのであろうか。
第2回の記事はこれについて考えてみたい。これにタイトルをつけてみたが、それは「エンドレス祝福ガチャ」である。
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統一教会の祝福結婚を受けた一世信徒たち。その中でも特に信仰に篤い者たちは、家庭の理想を実現するために邁進した。
というのは、統一教会の信仰のうたい文句であったが、現実はどうだったのだろうか。
これについて統一教会の家庭の理想は、神のもとで一対一の男女が結婚することによって実現されるといわれた。統一教会で祝福結婚をした夫婦は、神の血統に生まれ変わったものと信じられていたのであった。
こうした信仰に支えられた夫婦の理想を実現するために、信徒たちは信徒同士であっても恋愛禁止で、婚前の貞操と純潔を守ることが絶対視された。そして結婚後に男女の愛は、夫婦の片割れに100%注ぐべきものとされたのであった。
さらに、そうした祝福を受けた家庭を、周囲に数多く作り出すことも信徒の理想であった。特に自らの子供が祝福を受けることは、親である一世たちが成し遂げなければならない信仰の死守線であったのである。
そこまでして親である一世たちが守りたかった祝福とは何だったのか。それは結局、家族の愛よりも家族の血統を守ることであった。つまり統一教会の祝福とは、信仰により受け継いだ神の血統を守る為に生きることだったのである。
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したがって、統一教会で祝福結婚をした一世信徒にとっては、神の血統を受け継いだ家庭を守り、さらに子供たちも統一教会の祝福結婚を受けて神の血統を受け継ぐことが、人生を賭けた家庭の理想となった。だから祝福家庭の親たちは、子供が祝福を受ける瞬間こそが信仰の最高の到達点だったである。
そうした篤実な一世信徒たちにとって、子供が祝福を受けた後にどのような家庭を築くかは、優先度の下がる事項であった。そうした一世信徒の信仰の願いは、二世である子供が祝福を受けた後も満たされることなく、さらに三世にも祝福を相続させてほしいということをひたすら願うのであった。
つまり、統一教会の祝福結婚とは、信仰というカプセルに梱包された結婚であった。そして、飽くなき信仰の理想のもとに、神の決めた祝福結婚が代々続いていく。それは結局、祝福結婚の中身は軽視され、ひたすら代々の祝福結婚の瞬間のために人生もお金も捧げる、名づけて「エンドレス祝福ガチャ」だったのである。
祝福家庭について考える第2回の記事はいかがでしたか。最後に、一日一回クリックいただけると、このブログを続ける力になります!
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