棄教から3年経った。
石の上にも3年とはよく言ったもので、もはや3年も経つと、かつての信仰の記憶など、ずいぶん薄れてしまった…。
今は真の愛の理想世界など求めなくても、人が人として生きることの価値を、そのまま普通に感じられるようになった。
けれど信仰という束縛から解放された代わりに、現実の問題に自分の力で立ち向かわなければならなくなった。
もともと私の心の底では、そういう生き方を求めていたのだと思っている。だから、今はたとえ苦しい時があっても、そこに生きがいを見出すことができる。
はてさて、現実の苦しさについて…。
私は棄教したのは確かなのだが、だからといって棄教前の過去の人生も、目の前の家族の現実も、私の目の前から消え去ったわけではない。
むしろ、次から次へと、今もさまざまな問題が噴出してくる日々である。
かつての私だったら、そんな現実にうんざりしていたに違いない。そして信仰に救いを求め、神や霊界の力をひたすら頼りにしたと思う。その心は、ただひたすらに、人生の安全を確保したいだけだったのだから。
だが今は人生の安全など、私はひとまず棚上げした。
そして、自分で自分の人生を変えなければならない、家族の人生を変えなければならないと、心は固まっている。
しかし人生を変えるとは、何をどうすることなのか。
それは自分の人生の習慣を変えること、家族の日々の習慣を変えることだと思っている。
幸せに生きるとは、すなわち悪い習慣をなくすことである。自由に生きるとは、すなわち新しい習慣を身に付けることである。
とりあえず現時点の私の心境を、結論だけ書けば、そういうものである。
これが棄教から3年経って至った今の境地である。
棄教後の人生。それは『棄教!!劇的ビフォーアフター』。では、ピアノ演奏『匠』を聴きながら、さようなら。
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