当たり前話し〜⑧人間はサイヤ人ではない〜 | 波立つ海に沈みゆく月 ~旧統一教会さよならブログ~

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統一教会は、だいぶ前から衰退している。二世の未来は全体として明るくない。
これに最後に責任を持つのは、本人と社会だと思ふ。(しばらくブログの本説明文をいじります)

統一教会の常識とはこの社会の非常識。この記事は、この社会の常識当たり前のように叫んでスッキリしようとする記事である。

 

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そういえば、かつて統一教会では「自己の限界に挑戦せよ!という、作者不詳の“完全投入”という信仰決意があった(前回も紹介したが、全文はこちら)。

 

信徒たちは、日々の生活の中で目を血走らせて、完全投入!を叫び、み旨の道に励んだのである。

 

確かに、この日本社会にも『巨人の星』のような鬼スポ根精神で、厳しいスパルタ式教育論を振りかざす者もいる。

 

いや、そんな教育は昔の話だろうか…。時代がゆとり世代、さとり世代と下るにつれて、そのような完全投入の精神は今は消え失せているのかもしれない。

 

 

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さて、私のような団塊ジュニア世代と言えば、その漫画は『ドラゴンボール』である。

 

主人公である孫悟空は、スポ根精神など超越していた。その彼の人生で、自己の限界など何回突破したかわからない。

 

そんな彼は地球人ではない。サイヤ人だ。彼が限界突破する方法は多数あるが、もっともオーソドックスな限界突破方法はスーパーサイヤ人になることである。

 

さらに、サイヤ人というのは、死にかけるとパワーが増すという特性を持つ戦闘民族であった。「自己の限界に挑戦せよ!」という統一教会の信仰宣言を、地で行く人生哲学を持った存在。それがサイヤ人なのである。

 

 

 

 

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さて「自己の限界に挑戦せよ!」は、人生哲学たりえるのだろうか。

 

統一教会の教えでは、限界突破して自分のすべての力を使い果たした時、大いなる神の前にマイナスとなり、神と一つになる、と言われていた。

 

この社会でも、若い時には苦労せよと言われる。したがって、限界に挑むという精神は、人生のどこかでは必要であるに違いない。

 

しかし、私もあなたも地球人、つまり人間である。自己の限界に挑戦する生き方は、肉体的または精神的疲弊を招き、その副作用や後遺症は決して少なくない。

 

したがって、人生哲学の中には、ゆとって生き、さとって生きるという姿勢も必要だと思われる。そして280%の確信を持って、少なくともこれだけは言えるであろう。

 

 

「人間はサイヤ人ではない。」

 

 

人間は、自己の限界を突破して生きても、パワーアップ、いや神と一体になることなどできない。少なくとも、そんな法則性や再現性は見つからない。

 

なぜならば、私もあなたも普通の人間、つまりサイヤ人ではないからである。

 

そんなのは当たり前だい、そう。平和を愛する地球人にとって、それは当たり前なのである。

 

 

 

そして最後まで読んで、私一体何を読んだのだと我に返った方は、普通の人間ですので、平和を愛する心で以下をクリック!!

 

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