棄教から2年半である。
何が良くて、私はあんな絵空事の理想を求めていたんだろうか。今はそう思える。そして、私はさまざまな現実的な問題にぶち当たって、結局棄教したのだが、そうなるべくしてそうなったのである。
最近も、家庭内でさまざまな問題が発生している。そうした問題を、かつてかの宗教は、悪霊やサタンの仕業であると言ったり、逆に神が与えた試練であると言ったりして、うまく脚色、いや言い訳をしていた。
しかし、それらの問題は、発生すべくして発生したのである。今は、そう思うのである。
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私と、私たち家族は、さまざまな問題が発生しやすい生き方をしてきた。そうした問題が発生するたびに、右往左往し、事後的な対処を行ってきた。
そんな生き方は、もうやめにしたい。
人間には知恵がある。そして、先人や偉人たちが遺したくれた貴重な経験の蓄積がある。それらによれば、諸問題が発生する前に食い止めることが、きっとできるはず。そう信じている。
これからは、そうした問題発生を未然に防止できる生き方をしたい。そのためには、日々の生活習慣や、人生観・世界観などの価値観が重要であると思う。人としての基礎力が試されている。
かつて絵空事として信じていた「為に生きる」という信仰スローガン。世の為・人の為に生きるということは、どういうことなのか。これを自分のものとして、モノホンの人生哲学にしたいと思っている。
棄教後の人生。それは『棄教!!劇的ビフォーアフター』。では、ピアノ演奏『匠』を聴きながら、さようなら。
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