黄檗宗慈雲山瑞龍寺(通称鉄眼寺)は、大阪市浪速区元町1-10にあります。
創建年月は不詳らしいですが、
御本尊は薬師如来です。
大阪の黄檗宗の拠点になったために、俗に鉄眼寺とも呼ばれているそうです。
元は難波村の薬師堂であったそうですが、
寛文十年(1670)に黄檗宗の僧、
鉄眼道光和尚を招いて中興開山し、
延宝四年(1676)に慈雲山瑞龍寺と改号したそうです。
本堂の階段の中段あたりに布袋様がいました。
布袋様とは、後梁の禅僧で四明山に住み、容姿は福々しく
体躯は肥大で腹を露出し、常に袋を担って喜捨を求め歩いた人です。
世の中の人は弥勒の化身と尊ばれており、
鉄眼和尚は、肥後の国の生まれで当初は浄土真宗を学びましたが、
明暦元年(1655)に隠元隆琦に参禅して禅宗に帰依します。
寛文四年(1664)
に「大蔵経」の刊行を発願し、全国行脚して浄財を集めますが、
二度洪水や飢饉による大坂難民の救済に施し、
三度目に集めた浄財でようやく一切経の木版6956巻32万頁を完成させます。
延宝六年(1678)
のことで、「鉄眼は一生に三度一切経を刊行せり」とその偉業を称えられました。
天和二年(1682)3月22日に、このお寺でお亡くなりになり、この場所で荼毘に付されました。
昭和四年(1928)には、昭和天皇より宝蔵国師の名を下賜されています。
境内の墓地には
「日露出役戦死軍人忠魂碑」がひときわ高く建てられていました。
乃木将軍が激戦を戦った203高地、当時世界最強と言われたバルチック艦隊を破って、大国ロシアを降伏させた日本。
その戦いにはこのような人たちの犠牲があったのです。
日本の国のために命を賭けて闘ってくれた人たちの菩提を弔うことを忘れてはいけないと思います。