今回の寄港地は憧れのルーマニアでした。今回一番行きたかった場所。なぜなららエリザベス・コストヴァの書いた「ヒストリアン」という小説を読んだからなのです。



マカロンのサンクチュアリ  ~ココロは東へ西へ~


この小説は吸血鬼のモデルとなったルーマニア ワラキア公のブラド・ツェペシュに関する話。彼の埋葬されたスナゴフ修道院の描写があまりに見事で、この目で見たくなりました。ルーマニアの地図とにらめっこして、今回寄港する港からはヘリでも数時間かかるとわかり、スナゴフは諦めました。ルーマニアは本当に広いです。



さて、ルーマニアのコンスタンツァという港町に到着しました。冷房のかかりにくいメルセデスが迎えに来てくれていました。そしてルーマニア正教の教会を訪れます。




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ロシア正教と同じで、ギリシャ正教をベースにした、天井から蝋燭立てが美しく釣り下がっています。台の上には男性しか載ってはいけません。



それから博物館でルーマニアの文化をお勉強。建物の蛍光灯の明かりが昭和を思い出させます。私はこの蛇の神様が気に入りました。



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お食事はルーマニア料理をリクエスト。何やら賞を獲ったという素敵なレストランに連れて行っていただきました。店内も素敵ですね。



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酢漬けにしたキャベツで作ったロールキャベツや、ボルシチ系のスープ。とうもろこしのケーキも美味しかったです。



食べ終わってお会計の時にびっくり。ユーロで支払うと言ったら、聞いた値段が16ユーロ、約1600円ちょっと。二人分食べて、このお値段です。間違えていると申し訳ないと思って、もう一度メニューを見て計算しましたが、やはり16ユーロでした。



通りに出たら信号が壊れていたり、社会主義の記憶はまだ鮮明な街でした。そして、混血しているからだそうですが、黒髪の本当に美しい女性ばかりで、目の保養ですよ。



次は絶対にルーマニア周遊をしたいです。




明日も素敵な一日をお過ごしください。

黒海沿いのクルーズは続き、ウクライナの最終日はオデッサでした。黒海の真珠と言われる港町。海に面した階段が有名です。街並みも素敵です。



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建物は19世紀のものが多く、オペラハウスも歴史を感じさせました。



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ガイドブックに載っていなかったのですが、現地の人と話をしていて、地下鉄が作れないと聞きました。理由を聞くと、街の下にカタコンベがあるからということ。お墓ではなく、花崗岩を掘り出すための穴と聞いたので、行ってみました。



ところが、いざ冷たい迷路のようなカタコ ンベに入ってみると、旧ソ連のゲリラが地下にこもっていた痕跡がみられました。キッチンやベッドもあるんです。私はこういうのはとっても怖いので、足早に帰りました。



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ちょっと怖かった一日・・・オデッサでした。



ウクライナの公用語はウクライナ語ですが、皆が話しているのはロシア語でした。ウクライナ語は少しポーランド語に近いそうです。ほとんどの国民がロシアに戻りたいと願い、サッカーすらウクライナのチームよりもロシアを応援すると言っているので驚きました。元首相のティモシェンコもまだ牢獄にいるそうですし、まだまだウクライナは変化を迎えていくことになりそうです。



明日はルーマニアに入国します。




明日も素敵な一日をお過ごしください。

ウクライナのバフチサライの街に足を伸ばしてハーン宮殿を訪れました。私はチンギスハーンが大好きなのです。



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中央アジアから東ヨーロッパに、同じY遺伝子が大量に点在している。つまり一人の同じ男から生まれた子孫であるという事ですが、この男性こそチンギスハーンであるという説があります。



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小さな丘の小川のほとりに建てられた宮殿。実際にはチンギスハーンの末裔が住んでいました。奥のハーレムも見ることができました。




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プーシキンの詩「涙の泉」で知られる泉もありました。美しいエピソードを持つ泉です。ハーンが初めて恋に落ちた女性が亡くなり、涙のように水がしたたる噴水が作られました。



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ウクライナの女性は、かわいらしい子ばかりです。みなおしゃれなので、どこで買っているのかなと思ったら、ちゃんとZARAがありました。男性は格闘家のヒョードルちっくな大きな人をたくさん見かけました。ヒョードルは今はロシア人だけど、元々、両親はウクウライナ人なのです。



ヒョードル引退のニュースが出ていましたね。ヒョードル、大好きだったよ。お疲れ様でした。



明日も素敵な一日をお過ごしください。

黒海の旅、3日目の寄港はウクライナの港町、セヴァストポリでした。かつてのクリミア戦争の激戦地です。目が覚めると、私たちの船の窓の外にはロシアとウクライナの軍艦が停泊していました。



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7キロにもわたる港を見ながら、潜水艦博物館へ。
旧ソ連軍が使っていた元・基地に入ることができます。水路の入り口はシェルターの役割を果たしただけあり、重厚な扉でした。工場好きの私にはたまらない廃墟っぷりです。



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管の中に入ってみることもできます。狭いので太ったら通れません!



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当時の基地の写真が飾られていたのですが、これは恐らくアメリカのスパイが撮影したもの。日本人の視点から見ると、クリミア戦争があったからこそ、欧州が東アジアに目を向ける余裕がなく、当時の日本に来たのはアメリカのペリー提督だけだったと言えます。



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この日は、岸壁の上にある小さな洞窟教会を訪れて船に戻りました。



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明日も素敵な一日をお過ごしください。

イスタンブールから船旅をしています。
黒海に沿って、旧ソ連のウクライナに到着しました。初めて自分が共産圏というものに足を踏み入れていることに気が付きます。



最初の寄港地はヤルタ。長い間、旧ソ連のリゾート地でした。
驚いたのはその気温の高さ。連日30度を超すほどで、旧ソ連というイメージからはかけ離れていました。



まず、いかにもロシア然とした教会を訪れました。アレクサンドラ・ネフスキー教会という名で、私にとって初めてのロシア正教教会でした。



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玉ねぎのような屋根の形。
十字架の形が上下にもう1本ずつ多いのも、ロシア風。スターリン統治下で宗教を禁止された際も、人々に隠されて脈々と守られ続けてきました。女性は教会ではベールをかぶるルールがあり、私はスカーフを巻いていました。



素敵だったのは、リヴァーディア宮殿。
眩しい芝生と色とりどりのお花の先に、青い黒海が光っています。先の大戦でナチスドイツの行く末を決めた、ヤルタ会議が開かれた場所です。また、ロシア最後の皇帝であり革命によって処刑されたニコライ2世の夏の別荘でした。



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ヤルタ会談の内容を記録した貴重な資料、ニコライ2世とその家族の意外に質素な暮らしぶりを見ることができました。



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文豪チェーホフの家も訪れました。チェーホフ自身、医師であり結核患者でもあり、療養中に発表された「桜の園」「子犬を連れた貴婦人」などが書かれた家です。私はチェーホフを読んだことがなかったので、この2作を事前に読んでみました。「子犬を・・」はいわゆるリゾラバもので、昼ドラのような内容でした。



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ステンドグラスの光が溢れるチェーホフのアトリエ。友人だったというラフマニノフも弾いたというピアノがあり、これには興奮しました。



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この日はウクライナ料理としてボルシチやアップルパイを食べて帰りました。ボルシチの赤い色はビーツの赤で、体に良さそう。


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私の彼はロシア語が少しわかるので羨ましかったです。

言葉以外では、共産圏という事をまだあまり感じない一日でした。強いて言えば、ドコモのパケ放題がウクライナでは使用不可だったことくらいかな。




明日も素敵な一日をお過ごしください。