今の気持ちを綴ったブログVer 2.0 -96ページ目

今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

扁桃腺で入院している間は、喉が痛く体も非常にだるかったのだけど、精神的には穏やかだった。
まだ性格が変わる前の僕は、自分から話し掛けていき、友人を率先して造っていた人間で、此処でも同じ病室に入院していた人達とは、あっという間に打ち解けた。

母が用事で外に出ていて、僕が少し気分が良い時には、ゲームの攻略話しで盛り上がっていた。
「あの敵はどうやったら楽に倒せるの?」
「基本的に魔法は効かないので地道に攻撃するしか無い。だからバイキルト使うのもアリなんだけど、そうすると道中がキツいからやはり、攻撃3人+回復が理想だろうな」
…とか、こんな会話は日常的だった。

他に、小4当時の僕は、母が教育ママでもあった関係で、2つ年上の従姉の勉強も教えてあげられるレベルにあった。
こと算数・数学に関しては、中1でやる一次方程式まで習得していた。

母は僕が産まれる前に、家庭内暴力がキッカケで離婚し、小さい頃にトロッコ事故を受けて片足義足なのにも関わらず、女手ひとつで僕を育ててくれた人…。

そして自分が障害者である事に強い劣等感を持つ分、その反動で僕には出世して欲しいと教育熱心だった。

しかし…、あの日から母も変わったのです。教育熱心とは真逆に
成績なんか良くても意味が無い
という人に変わり、後に進学問題で対立する事となるのです。

扁桃腺の方は、穏やかな入院生活の中で回復してきた。
母は、手続きの関係から、僕の入院を延長させた旨の事を言ったけれど…

本当の理由は、福祉施設へ行くのを1日でも遅らせたかったからなんだ…
と今なら分かる。

そして、10日間の入院生活は終わり、僕達は祖母の家へと戻った。
そこで待ち受けていたのは、
母の障害年金を我が物にしようと企む、血の繋がらない祖父だった…。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
最近(今年の5月頃)、この血の繋がらない祖父の行方を訪ねて、あちこち調べてみました。

この祖父母は、母以外が全て血の繋がった子どもで、7人も居るのですが、誰にも看取られる事無く祖父は亡くなり、祖母はボケが進んで老人ホームに居ると言います。

この祖父母はかつて母含め、4人の子どもを捨てた経歴があり、
まさに因果応報という物だな…、と感じます。

僕が祖父の行方を探した理由は
この祖父が曾祖母の遺骨をお墓に納めず持っている
という話を聞いた為、曾祖母の遺骨を取り戻し先祖が眠る墓に納める目的があったのですが、
この事により、曾祖母の遺骨の行方まで分からなくなってしまいました…。


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僕は、あの日
1991年8月24日…。
この日以降、心の底から笑った事が無い。
表面的にしか笑えない、笑顔の無い人間になってしまったのだ…。

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そこから遡って、1991年5月31日。
僕と母は、とある場所行きの高速バスに乗って、祖母の家へと向かっていた。
理由は、母が僕の養育費として借りた借金が嵩み、破産をするに際して取り立て屋から身を隠す為、だったのだが
当然、当時小4の僕がそれを知るよしも無い。

あの頃母は、連日ゲーム、ドラクエ4をプレイしていて、親子で攻略法の研究をしたりしていて僕の前では決して不安な表情は浮かべ無かった。

ただ、そのバスの中では僕より少し年上の従姉に会える事だけが楽しみで、
直ぐに家に帰れると僕は思っていたのです。

母が祖母に事情を説明し、書類を書いている間、僕は従姉と遊んでいた。
勿論、ゲームでドラクエ4。母親ゆずりでゲーマーな僕が唯一従姉に教える事が出来る分野で、時には1ターン毎に細かく指示していた事もありました。

それから2日が経過して、家に帰る気配が無い事に不安を抱いた僕は、
「何時帰るの?」
とそれと無く母に聞いてみたけれど、母は
「もう少ししたらね。話しが長引いているだけだから…」
と言い、本当の事は何も話してくれなかった。

更に3日経った6月5日。
雨が降りしきる中、僕は起き上がる事さえ出来無かった。
割れるような頭の痛みと、39℃以上の高熱…。
母がタクシーで近くの病院に連れて行ってくれて診察した結果
扁桃腺だった。

後にイジメのキッカケとなるのが、声がかすれている為なのだが、この時に患った扁桃腺がその声がかすれる要因となったのです。

母は、入院した僕に付き添ってくれた。
今思えば、母はこの時既にそれぞれの施設に行き親子が切り離された生活を送るようになる事を悟っていたのかも知れない…。

―――――――――――――――
(以下、追記です)
小学校4年になる以前は、比較的穏やかな日々が続いていて、
僕の中で平和だったと言えるのは、その頃までと現在だけのような気がします。

某所コメント欄で書いたのですが、今の僕はこの当時と顔付きから体型まで様変わりしていて、
当時の幼なじみと出会ったとしても、まず気付かれません。

何より、暗い影を背負ってしまった事が、後に人を近付けさせない何かに変わったような…
そんな気がします。


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過去を変える事は出来ない

しかし、過去を見つめる事で

現在に想いを繋いで成長出来る

過去に後悔は無い

今があるのは過去の積み重ねなのだから…。

この記憶は、此処に置いて

前だけを見て生きたい。

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今までに何回か、過去を見つめたり、自分と向き合ったりしましたが(今年の1月辺りから、暗い時代を題材にした物を少しずつ書いていました)、
その最大の目的は、昨年6月に執筆した『僕の過去』を当時思った事や心の葛藤を含めて、詳しく執筆したいという思いがあった為です。

それが身を結び、過去に思った気持ちを表現出来るようになった今だから伝えられる物があると思います。

人と少し違う経歴を持つ僕の過去を描く事により、こんな人生もあるんだな…って思って頂ければと思います。

この物語は全部で4つの章から成り立っています。以下の通りです。

第1章 笑顔が消えた(全12記事)
実は、心の奥底から笑って笑顔だったのは小4の時が最後です(バラエティー等面白い物を見て表面的に笑う事はありますが、本当に楽しくて笑った事はありません)。
この時に起きた『児童施設への入所』が僕から笑顔を消し去ったのですが、其処までの経緯、施設内での生活を中心に、小学校卒業までを書きます。

第2章 青い時代の葛藤(全14記事)
此処は中学生の頃のイジメと、高校時代の孤独感、青い時代特有の『目標は無いのに上だけ見てしまう』心理などが多いです。
そして孤独と絶望に包まれたこの時代、東京大学合格と、今までの人生で只一度だけの恋で一気に駆け上がったと思いました。
中学時代のイジメがメインですので、高校時代の記述は薄いです。

第3章 頂点からの堕落(全8記事)
しかし、そんな幸福も続かず、母の緊急手術とそれによる出費から大学を退学し、精神的にうつ状態になります。
この頃は青い時代以上に環境の変化が受け入れられずに苦しみ続けた日々でもあります。
余りに辛い日々で、言葉で表現出来ない点が多々ありますので、軽めに流しています。

最終章 僕が僕である為に(全4記事)
章を分ける必要あるのか?
と思うくらい短いですが、
うつ病から回復し、資格というものを取っていく現在に至る経緯をこの章では書いてます。
僕が僕である為には今を大切にするという思い。ブログを始めたキッカケ。
そんな思いを書いていきます。

では、次記事から本編を始めます。

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