1991年8月24日…。
この日以降、心の底から笑った事が無い。
表面的にしか笑えない、笑顔の無い人間になってしまったのだ…。
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そこから遡って、1991年5月31日。
僕と母は、とある場所行きの高速バスに乗って、祖母の家へと向かっていた。
理由は、母が僕の養育費として借りた借金が嵩み、破産をするに際して取り立て屋から身を隠す為、だったのだが
当然、当時小4の僕がそれを知るよしも無い。
あの頃母は、連日ゲーム、ドラクエ4をプレイしていて、親子で攻略法の研究をしたりしていて僕の前では決して不安な表情は浮かべ無かった。
ただ、そのバスの中では僕より少し年上の従姉に会える事だけが楽しみで、
直ぐに家に帰れると僕は思っていたのです。
母が祖母に事情を説明し、書類を書いている間、僕は従姉と遊んでいた。
勿論、ゲームでドラクエ4。母親ゆずりでゲーマーな僕が唯一従姉に教える事が出来る分野で、時には1ターン毎に細かく指示していた事もありました。
それから2日が経過して、家に帰る気配が無い事に不安を抱いた僕は、
「何時帰るの?」
とそれと無く母に聞いてみたけれど、母は
「もう少ししたらね。話しが長引いているだけだから…」
と言い、本当の事は何も話してくれなかった。
更に3日経った6月5日。
雨が降りしきる中、僕は起き上がる事さえ出来無かった。
割れるような頭の痛みと、39℃以上の高熱…。
母がタクシーで近くの病院に連れて行ってくれて診察した結果
扁桃腺だった。
後にイジメのキッカケとなるのが、声がかすれている為なのだが、この時に患った扁桃腺がその声がかすれる要因となったのです。
母は、入院した僕に付き添ってくれた。
今思えば、母はこの時既にそれぞれの施設に行き親子が切り離された生活を送るようになる事を悟っていたのかも知れない…。
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(以下、追記です)
小学校4年になる以前は、比較的穏やかな日々が続いていて、
僕の中で平和だったと言えるのは、その頃までと現在だけのような気がします。
某所コメント欄で書いたのですが、今の僕はこの当時と顔付きから体型まで様変わりしていて、
当時の幼なじみと出会ったとしても、まず気付かれません。
何より、暗い影を背負ってしまった事が、後に人を近付けさせない何かに変わったような…
そんな気がします。
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