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今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

あの地に居た時全ての人が優しかった

人と人の繋がりを僕は、あの日ほど感じた事は無い

だから僕も不慣れな作業をこなせたのだと思う


人は一人では本当に弱い

僕も例外ではない

だから助け合っていくのだろう


善意の押し売りでは無く

見返りを期待してでは無く

心のこもった愛は必ず届く

どんなに離れていても

ただその人を助けたい

それだけの想いで動く事は必ず伝わる




最近聞くとやけに心に染みる一曲です
あの日、僕の目の前で街が消えた

あの日、穏やかな海は凶暴な生き物のように襲って来た

何とか生き残った僕ら

しかし、夢も希望も全てあの海が奪い去ってしまった


でも人間には、自分を修復させる機能がある

そして絆で人々は繋がっている

目を開ければそこには、痛みを分かち合おうとする人がいる

何かをやらなければ、と動く人がいる

僕らは少しずつ、少しずつ

穏やかな暮らしを取り戻すために動き始めたのだ


支えてくれる人に支えられて

僕らの旅路は、また始まる

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こんにちは。またしても久しぶりになりました。
僕は、3月の初めから仙台の方に出張してました。
そして、仙台市の海沿いに会社の東北支社があった為、あの日、大地震を受け、更に13メートルの津波を目の当たりにしました。同じ会社の仲間の車で飛ばしまくって、高台に逃げる事が出来たので、今はこうして僕と共に津波を逃れた何人かの社員と救助された何人かの社員と共に九州に帰って来て、無事に仕事をしています。

しかし・・・
あの地は報道で見るよりも現実は遥かに残酷で、避難場所では食料も届かず、何時ものように余震に襲われ、じっとしているとあの地獄の光景が、昼夜問わず襲って来て、今現在もあの津波が夢に出てきます。
気分を紛わせたくて、少ない物資が来ると炊き出しをしたり、要介護の方の面倒をみたり・・・と避難所では常に動き回っていました。

そして、本社と連絡がついて、東北支社の方をみんな連れて、此方の方に戻って来たのが3月28日のことでした。
同じ会社にいた仲間も何人も亡くなり、そして未だに行方が分からない方も何人も居ます。

此方に帰る前に、実家とは連絡がついたので、母に余っている毛布や買い溜めしている水などを送るようにいっておきました(当時大分では、県庁で被災者への救援物資を受け付けている、という話を母に聞いた為)。
僕に出来ることと言えば、その程度しか無いのですが、一日も早く被災した方々が穏やかな生活を取り戻せるように・・・
今はただ、それを祈るばかりです。
こんにちは。
かれこれ、2ヶ月近く振りになってしまいました。

本来であれば、もっと早くに来る筈だったのですが、あの後色んな事が起こり、今になってしまったのです。

簡単に言えば・・・

1月16日。
昨年末に好きになった方と、お付き合いする事になりました。
彼女は、僕と同じ会社で会計職をやっている、僕より5つ年上の方です。
そして彼女は英語が凄まじく長けています(TOEICスコア920)。その事が後々凄く有利に働きました。

1月22日。
アメリカ、ニューヨークにある支社で、アメリカ式の開発の技術を学ぶために2月から一ヶ月間ニューヨークに出張しろ
という命令が下り、僕が余りに英語力が無い事(会社内でダントツの最下位です)、僕のいる部は現在超多忙な事から通訳など余裕が無い事、などの理由から、会計部に居る彼女が僕の通訳として共にニューヨークへ行く事となりました。

2月1日~3月4日。
僕らは日本を出国。同じ日に(時差が14時間あるため)、ジョン・F・ケネディ国際空港に降り立ち(飛行機酔いして顔色は余り良く無かったです…)、ニューヨーク支社のあるマンハッタンへ向かいました。
そして此処から約一ヶ月に及ぶ外国勤務が始まった訳ですが・・・

言葉が通じない

それがこんなにも不便だとは、今までに感じた事が無かったです。
一応彼女が通訳してくれるので、らしい内容にはなるのですが、如何せん彼女は専門が違う為、専門的な内容の話になると、上手く内容がお互いに繋がらず、僕も現地の開発社員も身振り手振りで会話するというような事が多々起こりました。

そのせいか、日本に帰国した今現在でも喋ると手が勝手に動きます…。

ホテル暮らしを余儀なくされて、外に出る時は僕一人では凄まじく不安なため、必ず彼女を引き連れてニューヨークの様々な町並みを歩きました。
この時、あの日彼女とお付き合いさせて頂く事にならなかったら、今頃どうなっていただろうか?
あの日に余りに唐突過ぎる告白と、それを受け入れてくれた事に凄く感謝しました。

そして、3月2日にジョン・F・ケネディ国際空港から成田行きに乗り、僕は二度と来る事は無いであろうアメリカの大地に別れを告げて帰国。
・・・で、今日の午前中にやっと日本に着いたって訳です。

今回の出張は凄く疲れましたが、滅多な事では経験できない貴重な体験が出来たので良かったと思っています。


ニューヨークの空は、日本で見る空と変わらず、
何時か、『同じ空の下で繋がっている』と言った事がありましたが、
海外に出ても、やはり空は同じ景色が広がっていました。
世界中、何処に居ても
同じ空の下で繋がっている・・・。
そんな事を感じたのでした。