あの日、僕の目の前で街が消えた
あの日、穏やかな海は凶暴な生き物のように襲って来た
何とか生き残った僕ら
しかし、夢も希望も全てあの海が奪い去ってしまった
でも人間には、自分を修復させる機能がある
そして絆で人々は繋がっている
目を開ければそこには、痛みを分かち合おうとする人がいる
何かをやらなければ、と動く人がいる
僕らは少しずつ、少しずつ
穏やかな暮らしを取り戻すために動き始めたのだ
支えてくれる人に支えられて
僕らの旅路は、また始まる
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こんにちは。またしても久しぶりになりました。
僕は、3月の初めから仙台の方に出張してました。
そして、仙台市の海沿いに会社の東北支社があった為、あの日、大地震を受け、更に13メートルの津波を目の当たりにしました。同じ会社の仲間の車で飛ばしまくって、高台に逃げる事が出来たので、今はこうして僕と共に津波を逃れた何人かの社員と救助された何人かの社員と共に九州に帰って来て、無事に仕事をしています。
しかし・・・
あの地は報道で見るよりも現実は遥かに残酷で、避難場所では食料も届かず、何時ものように余震に襲われ、じっとしているとあの地獄の光景が、昼夜問わず襲って来て、今現在もあの津波が夢に出てきます。
気分を紛わせたくて、少ない物資が来ると炊き出しをしたり、要介護の方の面倒をみたり・・・と避難所では常に動き回っていました。
そして、本社と連絡がついて、東北支社の方をみんな連れて、此方の方に戻って来たのが3月28日のことでした。
同じ会社にいた仲間も何人も亡くなり、そして未だに行方が分からない方も何人も居ます。
此方に帰る前に、実家とは連絡がついたので、母に余っている毛布や買い溜めしている水などを送るようにいっておきました(当時大分では、県庁で被災者への救援物資を受け付けている、という話を母に聞いた為)。
僕に出来ることと言えば、その程度しか無いのですが、一日も早く被災した方々が穏やかな生活を取り戻せるように・・・
今はただ、それを祈るばかりです。