過去物語 Ver37 最終章 僕が僕である為に③ | 今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

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自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

2006年12月
僕は、新幹線に乗り東京へと行った。
大学を中退してから、恐らく二度と踏み入れる事は無いと決めた、あの街に向かうのは、次の派遣会社の面接が、有楽町で行われた為だ。

東京駅で新幹線を降り、そこから山手線に乗り換える。
東京は日々発展しているだけあり、微妙にあの頃と変わっているけど、迷う事は無かった。

そして、面接をした後、高崎線に乗って、群馬県の現場へと向かう事になったけど、その前にどうしても見ておきたい所があった。

新宿の西側、超高層ビル街である。
大学生の時に夢見たこの地に足を踏み入れ、必ずこの地に来る事を心に刻み込んで、群馬へと向かった。

職場の人間関係は今までに無い程良かった。だけど、寮の家賃が途轍もなく高く、1ヶ月普通に生活するのにもかなり節約する必要があった。
その手取りは5万円未満。
とにかく、頭を振り絞り節約出来る事は全て節約した。

貯金していた金は、将来への投資として公認会計士の予備校で通信講座を受ける為に使って、残りは受験する年の答練(答案練習会という模試形式で行われる講義の事)に注ぎ込むつもりなので、使う訳には行かなかった。

その為、日々の生活は凄く苦しく、土日休みの時は2日で1食とかザラにあった。
それでも倒れなかったのは、飢え死に同然の過去と比べれば、これでもまだ救われていたから…。
心が前向きだったから…。

そこの派遣先は、小さい工場ながらも仕事量が多くあり、忙しさにアタフタしながらも仕事自体は楽しかった。
みんなは、賭け事に金を注ぎ込み、派遣の社会で生きる事に戸惑いも何も持っていない人ばかりだったので、
彼らから見て僕はかなり特殊だった。

金が無いので、2007年は一度も実家に帰れず、その間に母が
『九州で生まれ育ったから、元気な内に戻りたい』
と言い、大分県へと引っ越したのだった。そこが今僕が住んでいる場所となる。

そして、2007年の一年間は、群馬県で手取りが少ない中でも、通信講座で必死に勉強して、公認会計士試験を受験する基礎力を身に付けていったのだ。

2008年になって…。
不況の荒波が、この小さい工場にも押し寄せようとしていた…。

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(以下、追記です)
当時の『手取り5万円未満』は、派遣会社に居て、外の寮に住む方なら経験あるかも知れませんが、普通に生活すると直ぐに無くなる金額です。

此処では、一番負担になりそうな食費を削ったのですが、
そのせいか未だに体重は47キロ、体脂肪率は5%というある意味奇跡な体つきをしています。
しかし、この時は苦しさとひもじさがかなりあったので、これで痩せるなんて事はオススメしません。


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