派遣先の現場が、急激に経営状況が苦しくなって来た。
それまで派遣としての生き方に何も疑問を抱かなかった、みんなの表情が曇っていくのがハッキリと感じられた。
そして間もなく、派遣切りが始まった。
僕は必死だった。公認会計士の基礎講座がまだ残っている、このタイミングでクビ切られる訳には行かないのだ。
確かに生活そのものは、貧しかったが、失業すると、その僅かな金も入って来なくなるし、またこの頃から派遣としての仕事が殆ど無くなって来ていたので、今失業すると死活問題だったから…。
僕は、人並み以上の作業量と、絶対に欠勤しない事とで、この状況を乗り切ろうとした。
それと同時に公認会計士試験の受験を2009年に定めた。
だから、2009年の3月まで。残りが答練のみになるまでは、失業出来無いのだ。
生産量は落ちていないのに、人は辞めさせられていく…。
そんなだから、残っている僕らは作業量が急激に増え、毎日の残業時間が4時間、時にはそれ以上になる事もあった。
流石に、体の方が疲れて来る…。
勉強が余り進まず、日々不安を抱えながら、それでも仕事と勉強を何とか両立させようと僕は懸命だった。
…こんな時、思い浮かべたのは
4年前に歩いた、鈴鹿山脈のあの山道だった。僕の置かれている立場、僕の前に聳える道は丁度あれと同じだった…。
これ以上落ちる事は無い
その想いだけで僕は生きて来た気がする。
僕は進まないながらも必死でこなしていった。
そして、何とか2009年を失業せずに迎える事が出来た。
2009年になり、更に悪化していく会社の状況。そして、3月いっぱいで派遣は完全に切るという事が決まった…。
何とか、目標としていた2009年3月まで生き残れた形となった。
そして、大分へと帰って来て直ぐにほぼバイトに近い形ではあったものの、仕事にはありつけた。
丁度その頃に携帯電話を購入して(プリペイド以外ではこれが始めて)、ネットの世界を知る事となったのです。
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長きに渡った『過去物語』こと自分史完全版ですが、
昨年5月17日に前のブログを開設する以前の物語は此処までです。
次から最終回。ですが2記事にまたぎます。
ブログ開設後を語ります。
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