そして2004年9月。
僕は愛知県にある、自動車部品工事へと行かされる事になった。
この頃になると、母の病気もだいぶ安定してきていたし、1年予定だった為、僕は行く事にしたのだけど…。
その工場で待ち受けていたのは、職場での新人イジメだった。
人が出来無い程の作業を要求し、出来無ければ暴力。休憩を取る暇すら与えず、陰口と暴言づくしの会社だった。
最初は、やはり自分を強く持っていたくて、後ろ向きな事は経験したく無くて、気丈に振る舞っていたのだけど、
日々続く、その暴力的な日々に、自分を追い詰めるようになっていく…。
会社では、昼夜二交代だったけれど、昼勤の夜には、不安と暗さが押し寄せ、
夜勤明けの昼間は、このままどうにもならないような恐怖感に包まれていた。
窓も無いその部屋で、休みの日や勤務から帰った後などは、引きこもるようになっていた。
毎日、ゲームに明け暮れるようになったのです。
眠れなく、無茶な生活を始めた僕は、当然会社でも恰好の的となっていたようで、暴力的な日々は更にエスカレートして行く。
それでますます、現実が嫌になり…
と悪循環していた。
そして、僕は倒れてしまい、病院で入院する事になりました。
入院した時点で、その派遣会社はクビになり、退院した後に行き場が無くなった。
だけど、それでも良いと僕は思えた。
職場の人間は誰一人として来なかった。母に入院した事は内緒にしておきたかったので、実家に連絡を入れて、退院予定日から数日以内に家に帰る事だけを伝えた。
ただの疲労とストレスが溜まった
そう診断されたのだが、夜毎に襲ってくる不安と孤独さは丁度、うつだった頃と似ていた。
早く家に帰って治さなければ、一層酷くなる…。
僕は、退院予定の2日前に病院から抜け出して、夜の闇を歩き始めた。
財布を見ると、名古屋からでは交通費が足りない。京都から乗ってギリギリなのだ。
僕は、愛知県の安城からひたすら国道1号線を歩き始めた…。京都まで約200キロだった。
―――――――――――――――――――――――――
此処まで毎回追記を書いていましたが、今日は終盤という事もあって、最初執筆時から敢えて追加するような要素は無いので、追記なしで行きます。
拍手を送る
↑
記事に何かを感じて下さった方は応援のクリックをお願い致します。
↑
ブログランキングにも参加しています。
クリックして頂けると嬉しいです。
携帯の方は此方から
↓
人気ブログランキングへ