それまでも寂しさはあったものの、この時に一層強い孤独さと虚しさを感じて、
後悔の念が苦しめていく…。
1996年はそんな年明けだった。
これで友人でも居るのなら、もっと気分は楽だっただろうし、精神的に追い詰められても絆で何とかなったかも知れない。
だけど、人が変わって友人を作る事すら不可能になっていた僕には、当然そんな事は無い…。
実は中2の秋に林間学校があって、3泊4日で山での体験をする行事が学校ではあったのだけど、僕はそれにも参加していない。
勉強する為、バイト(新聞配達)が休めないから…
言い訳だと分かっていた。
本当は、クラスの場に溶け込めない僕が居るのは場違いだと、それと無く感じていたからだった…。
中学三年間の間で、唯一イジメが無かったのに、この中2の間は、自分の孤独を感じる心との葛藤が非情なまでに厳しくもあり、キツい…。
曾祖母の死は、僕に暗い影を落とし、二度と救われ無いような、そんな闇へと引き込んでいくかのような錯覚を覚えた。
幾ら割り切ろうとしても、後悔が残る日々。
それは、自分の存在価値の無さを尚更に強調していた。
これから中2の終わりまでに、
飛び降りや、睡眠薬の大量服用など3回自殺未遂をしている。
だけど、あの入院中に感じた死への恐怖、そして実行している途中に母の姿が浮かび、いずれも未遂で終わっている。
そんな、救いようも無い暗闇の中でさ迷う頃、進学問題(特に大学の方)は敢えて考えない事にした。
そして家庭と、陸上部という部活だけは変わらぬ温かさがあった。
この頃になると、一年の時の猛特訓について行けず次々と辞めていき、人数は駅伝に出場出来る程も居なかった。
だから、単純に『走るのが趣味』な奴らの集まりになっていて、相変わらず過酷な練習量だけど、グラウンドを走り回る事や同じ趣味の連中といる、その時間は何にも変えられない時間だった。
部活での仲間や、母の支えを受けながら
僕は少しずつだけど、暗闇の気持ちから脱出して行く事が出来るようになっていった…。
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(以下、追記です)
こうして振り返ると、中学時代は特に孤独との闘いだった気がします。
今も時々孤独感に襲われるのは、きっとこの時の影響が残っているからなのでしょうね。
忘れたくても忘れられないのなら、如何に良い方向に捉えて行くか?
前向きになるのには、そういった事への答えが必要なのかも知れません。
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