そんな錯覚を抱く程に長く
春が来るまでかなり長い月日を要した
そんな冬だった…。
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1992年になっても、まだあの頃のように戻れる気配は無く、暴力的な日々は続いていた。
母がいつ来てくれるとも分からず、かと言って施設から脱走する計画は練りつつも中々思い付く筈も無く、モヤモヤした空気の中で過ごしていた。
もしかしたら、このまま此処で大人になるのだろうか…
そんな不安も日々抱えていた。
だけど、僕はまだ救われていた方かも知れない。少なくとも母が居て来てくれる期待が持てるだけでも、みんなと比べれば…。同じ部屋の人と話す度にその事を思う自分が居た。
小4の三学期が始まり、陰口を叩かれても僕は冷静を装うようになっていた。
施設の中でシスターに受ける暴力と比べればまだマシ、同じ部屋の高校生を怒らせたらこんな程度では済まない。
そんな考えが根付いて装うだけで無く、本当に何とも思わなくなっていく自分の変化が怖かった。
そして、意識しないと笑えなくなった自分にも…。
そして、母との面会でも、僕は嬉しい気持ちと共にもう一つ、
「こんなに変わってしまった自分を受け入れてくれるのか?」
そんな不安が交錯していた。
だから、母が言ってくれた、
「どんなに変わっても、絶対に一緒に暮すんだからね」
の一言は、僕にとって凄く大きかった。
1992年3月
季節は春なのだが、心は寒い状態の中、一つだけ楽になった事がある。
施設の僕の部屋を担当していた、最も暴力的なシスターが他所の土地へと追放になったのだ。
同じ部屋の人たちと繋がりが出来てから、部屋のみんなと時々理事長室に行き
シスターの暴力に耐えられない旨の訴えをしていて、それが漸く実を結んだ形だった。
そして、その次にやって来たシスターは、とても心穏やかな人だった…。
1992年春。凍りついた僕の中で、ほんの少しの安らぎがやって来た瞬間だった。
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(以下、追記です)
相変わらず、母子そろう事は叶わない状況ですが、
そんな中で、暴力的なあのシスターが居なくなった事は
漸く長い冬が終わった感じがしました。
これから後もそうですが、
苦しい事に突然終わりが訪れる事が多々あり、
明日は何が起こるか分からないから、どんな苦しい事も必ず終わりが来るから、
それまで前を向こう
と今なら思えます。
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