過去物語 Ver10 第1章 笑顔が消えた⑩ | 今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

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自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

5月31日という日付は、やたら僕の歴史で絡んでくる。
事の発端となった、祖母の家に旅立った日も
施設から出て、広島の地へ向かったのも
この日だった。

そのせいか、未だに忘れられない日として頭に叩きこまれている…。

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1992年4月
小5になり、クラス替えがあった。
特に親友が居た訳でも無いし、この地に長く居ないと思っていた為、別にどうでも良かった。

ただ…、ここからのイジメは、それまでとは少し違い、机ごと無くなっていたりするなど、より大掛かりになっていくのが続く内に、折角春になりかけていた心はまた冬へと戻った。

この頃、僕にとって、本当に必要な物がすっかり解らなくなっていた…。
ただ、毎日を送るのに疲れた。
そんな言葉しか出て来ない。

丁度、そんな不安定な気持ちの時に、母が外出許可を取り、一人で来た。
1992年5月31日の事である。

僕は、母が一人で来た(見張りが居ない)事にある種の決意を感じ取る事が出来た。
その日も他の面会日と同じように、
街中へ出て歩き回り、デパートの屋上で遊び、食事をしたんだ。
午後3時を過ぎて、母は突然時計を気にしながら、公衆電話に行き何処かへ電話をし始めた。広島に居る母の友人である。

母は、電話が終わった後少しため息を付いて、
「行くよ、広島まで」と言い僕の手を引いて電車の乗り場まで走り出した。

乗り換えの時間は殆ど無い。
その上、長くこの街に居ると連れ戻されそうな気がして、僕もだけど
母は僕以上に必死だった。足に障害を持ちながら、その時の母の足は途轍もなく早かった。

電車を降りてからは、西鉄天神駅から、天神バスセンターまで全力疾走して、広島行きの高速バスに飛び乗った。
当時既に遠距離の高速バスは、座席予約制だったが、偶々空きがあった為、乗れたのです。

1992年5月31日17時45分。
僕らを乗せたバスは関門橋を渡った。
この時、もう二度とこの海峡は渡らない。
そう心に誓った筈だった…。

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(以下、追記です)
あの生活に終わりを告げる日は突然に訪れました。
ただ、この施設での生活を経験した事により、心がすっかり暗くなってしまいました。
だけど、小学生の残りの間は、まだ穏やかに過ぎ去ります。

次に苦難が待ち受けるのは…
中学生になってからになります。


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