過去物語 Ver 7 第1章 笑顔が消えた⑦ | 今の気持ちを綴ったブログVer 2.0

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自分の心と向き合って言葉を詩に乗せて紡いでいきます

僕にとって誕生日と言えば

あの日が一番印象に残っている。

プレゼントも何も貰わ無かったけど

思い出として残る宝物…。

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1991年10月12日。
あの施設で10歳の誕生日を迎えた。

施設では相変わらず暴言や暴力は続き、すっかり人を信用する事が出来ず、常に歯を食いしばりながら、本屋さんで地図を立ち読みして、母の居る所までの道を頭に叩き込んでいた頃に迎えた誕生日…。

施設では、数ヶ月に一度だけ面会が許されていた。
そして母の方も、付き添いと言うより見張りの方が付くが、数ヶ月に一度外出出来る。
この誕生日の日に母は面会に来てくれたのだ。僕の方も外出許可を取り、街中を歩いた。

母は、その頃僕が患った蓄膿症と、僕の手に残る傷跡に、心を痛めたと後に言ってくれた。

母に久し振りに会った時、笑う事すら出来無かった…。僕には余りに色々と起こり過ぎていて、安堵感で一杯だったから…。
そんな僕に気付いて、前以上に明るく接してくれる母の姿は、何にも代え難い当時一番欲しかった宝物だった…。

プレゼントも何も要らなかった。
僕にとって、一番欲しかったのは、あの頃のように戻りたい。
ただそれだけだったから…。

だけど、この時は
見張りが居る為、まだ本音で物が言えなかった。
と後に母は話してくれた。当時は全く気付か無かったけど、母の方も脱出する計画を立てていたと言う…。

外出許可が出ているのは18時まで。
そのギリギリまで時間を使い、都会では無い街並みを散策して、デパートの屋上で遊んで、レストランで食事した。

その時のレストランの名前も、食べたメニューも思い出せないけど、施設の食事と余りに違い、またその味わいに思わず涙した事だけは未だに忘れられない。

病院にも連れて行ってくれた。
耳鼻科で診察して薬を貰い、施設側と話してくれた関係で、蓄膿症の治療はこの後させて貰えるようになった。
しかし、完治したのは広島の地に移った後、これから約8ヶ月後となる…。

そんな母と過ごした10歳の誕生日は、思い出として深く刻み込まれ、また変わらない暴力的な日々の中で、僕の支えとなった。

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(以下、追記です)
この10歳の誕生日。
当時の僕は、歯を食い縛りながら、気力だけで何とか進んでいたけれど、心は寒い。
という状況下で当時の一番の夢だった『母に会う事』が時間限定とは言え、叶ったので、
今現在までの人生の中で最高の思い出になっています。
家庭の、親の温もりって凄いですね…。


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