見るということと
読むということは大きな違いがある。
mailで本当にありがとうございましたと書くことは
読んでいうよりもいやらしさがない。
と思いました。
見るということと
読むということは大きな違いがある。
mailで本当にありがとうございましたと書くことは
読んでいうよりもいやらしさがない。
と思いました。
電話対応をやってて、小さな発見がありました。
どうして部で同じ電話番号を使っているんだろう。
それは
「物理的限界」によって成り立っていると思いました。
つまり「呼べる範囲」です。
個別だと席を外しているときにうるさく、
またあまりに広範囲だと声が届かなく
つなぐという電話の役割を果たさない。
最後は人というところがこの時代にしてはおもしろい
と勝手に感じました。
今日はSPとして、
何かの体験場所としてキオスクとかが利用されていることを知る。
これは「待っている」「暇だなー」という時のニーズである。
同じ構造として、踏み切りで待っているときに
何か広告を打つというものがあったと思う。
この情報過多の時代において、僕たちは忙しい
だから基本的に広告なんてものは見られないものである。
しかし、僕たちの中で、外に向かう⇒(考えることとかやるべきことがあるとき)
っていうのが少ない時がある。
それが「何かあるかなーニーズ」「探しているニーズ」である。
こう考えると体系的にいろんなことが見えてくる。
以前僕が感動した茂木さんの言葉、「偶有性」(ある部分は必然・ある部分は偶然という状態)
人間の本質的な法則である。
これはまさに「探しているニーズ」であるということができる。
何かないか探したいという欲求がある。
こういう「偶有性(探しているニーズ)」があるから
TVを見るとかインターネットでblogを見るとかいうものが受け入れられる。
何かを探しているのである。
(駅で待っているときとblogを見ているときでは、もちろん、
blogの方が「探しているニーズ」が強く、駅の方が「待っているニーズが強い」と思うが)
そしてそういう状態(心理)の時が広告の狙い時である。
何かを受け入れる用意ができている状態である。
これは最近感動した消費者行動であるIASASとも通じると思っている。
Intrestingな場をつくるということである。
こういう時にしか今の広告は見てもらえない。
最後にちょっと感じたことっていうのが2点
①まず広告が入り込むっていうことを毎回狙うより
広告が消費者の外に向かう⇒となってしまえば
本当に強い。
生活者がやりたいと思うことに広告を見るということが
入ってしまえば本当に強い。
そしてそれこそがパーミションマーケティグではないかと思った。
関係性を気づくことによって、広告を見ることを受け入れられ、
生活者の外に向かう⇒自体になってしまうということである。
②イキイキしている時間
つまりintrestingの時間をつくることが広告において重要であると先ほど述べたが、
もちろんその質は違う。
blogを見ているとき、
街を歩いているとき、
飛行機に乗っているとき、
そらー違う
とにかく外に向かっている⇒が少ないとき
これが第一の広告のチャンスだ!
と思う
電話対応をしていて思ったこと。
人は5感で覚えたほうが覚えやすい。
眼で見て知った人の方がすぐ覚えられる。
当たり前っちゃ当たり前。
でも実感したので、ここに書いておくことに。
以前代入というルール を書いた。
これも同じようなものであるが、
BOSSのCMで、宇宙人が日本の文化に触れるというCMがある
例えば、外国人に扮した宇宙人がカラオケでバイトしたり、
ホストになったりするというものである。
その新作で、宇宙人がディープインパクトのところにいく
というものがある。
これはちょっと変な感じがある。
独特の世界観がある。
なぜだろうか?
それは「違う世界観に存在する」からであるからであると感じる。
ディープインパクトはリアルである。
一方でBOSSはCMの世界観の中にいるものであるとわかっている。
そのBOSSのキャラクターがリアルの世界観にいるということが違和感を生んでいるのである。
石鹸と携帯っていうのは
おもしろい組み合わせである
石鹸と同じ大きさに携帯をデザインすると
docomoのらくらくホン
いやー一本とられたという感じで・・・
なるほど、
手に持って気持ちがいいものということで、
石鹸×携帯
僕が新しい環境に飛び込んで、
そういえばもう2週間が経とうとしている。
まだまだ覚えきれないことがいっぱいあるけれども、
ここでもう一度自分を見直していかなければならない。
今は覚えることが多すぎて、いっぱいいっぱいである。
そうなるとどうなるか
余裕がないとどうなるか。
余裕がないと、考えなくなる。
考える暇がないから、すべてを受け入れる。
とにかく覚える。
そういう生活だ。
言ってしまえば、お勉強である。中学・高校に戻った気分だ。
しかし、これはある意味危険なことだ。
余裕がない⇒考えない⇒染まる(モノゴトの常識化)
となってしまうからだ。
すべてのことを当たり前と思ってしまう。
そして柔軟な発想ができなくなる。
僕は以前から思っていたことがあった。
それは「会社に入ると柔軟な発想ができなくなるからねー。」
ということばだ。
ほんとにそうなのか?
どうしてそうなってしまうのか?
その答えがなんとなくわかった気がする。
身をもって体感した気がする。
僕もこのままではone of themになってしまう。
なんで?なんで?と思うこと。
枠組みを外れてやろうと思うこと。
うーん、このままでは危ないよ。
雰囲気がすべてを決めるということを今日感じた。
さらにのった料理というのは、料理ではなく皿が大切だったりする。
皿が料理を決めたりする。
人のコミュニケーションにしてもそうだ。
会話ではその情報は決まらない。
会話している調子や雰囲気によってその情報はきまってしまう。
調子・雰囲気が大切。
勝手な法則、そこに理屈がなくても僕たちはそれを受け入れてしまうことがある。
例えば、こんなこと。
ダンシングフラワー
マイクとマイクの音量を表す波打つディスプレー
これら変な法則を見つけたとき、
僕たちは何かうれしさを感じてしまう。
僕たちは、時間の中で生きている。
対して数学というのは静的な空間にあると感じる。
今日は交渉のシュミレーションみたいなことをしたが、
僕は数学的なことを考えすぎてしまい失敗してしまった。
これが経営者になると「時間」という概念を大切にするということを聞いておもしろいと思った。
交渉で、お金を少し無駄にしてもいいから、その分時間を買うということである。
経営資源は5つある。
人・モノ・カネ・情報、そして時間である。
一瞬が大切。