その人は、サークルの先輩だった。

2学年上だが、年齢は4つ上。

つまり2浪して入学してきたのだった。


年上のせいもあり、もともと頼られる性格のせいもあり

みんなに「お兄ちゃん」と呼ばれ親しまれていた。

包容力の塊のようなその人に、私は惹かれていく。

彼が大学を卒業してしまうという時に

意を決して告白した。

そして、彼女となることができたのである。


付き合ってみて驚いた。

私とは、まったく正反対のような人種であった。

彼は公務員に就職し、仕事ができて、

常識もあり、人当たりも良く

とにかく、社会的にまじめな人間だった。


しかし、部屋をのぞいてみると、足の踏み場もない汚さ。

仕事は日曜日の夜中から徹夜で仕上げる。

趣味は麻雀、スロット。

私は最初、もうダメかと思った。


しかし、彼や彼の友人と付き合っていくうちに

自分の殻を少しずつ破き始める。

私は、社会的にまじめであることはもちろん

完璧を目指して常に努力するべきだと思って生きていた。

しかし、彼は私に言った。

「華は十分頑張ってるよ。

もっと気楽に生きて大丈夫だよ。」

心配する私をよそに、

彼は週末にこれでもかと私を遊びに連れて行き

自分の仕事はぎりぎりにきっちり仕上げるのだった。

私だったら、きっとパニックになってしまうような状況も

彼は泣き言も愚痴も言わずこなしていく。

しかし、週末は大いに遊ぶのだった。


私は、今までの自分が

いかに堅苦しい人間であったかを知った。

汚い部屋、ぐうたらの週末。

自らをダメ人間だと笑う余裕。

それでも揺るぎない、仕事への責任と社会での信頼。


なんだ、人間はこんなにいい加減でいいんだね、

と私はいつか彼に言った。

彼は

「いい加減は、良い言葉なんだよ。

良い加減、良い塩梅ってことだよ。

適当も良い言葉。適したものを当てることなんだから。

いい加減で適当がちょうど良いんだよ」


私は、彼といて

本当の自分、というものが初めて分かった気がしたのだ。

大学には、地方からの入学者が多く、

ほどんどの学生が学校周辺に一人暮らししていた。

親元を離れた学生生活で

私は生まれて初めて、

心を許せる友だちや仲間ができた。


私の両親は心配性で、過保護だったせいか

それまで私は友だちの家に泊まったことが一度もなく

旅行をしたことも一度もなく

遠出したことさえほとんどなかったように思う。


それが、3日に一度は友だちの家で夜中まで飲み、

語り明かすようになったのだから、環境が人を変えるのだ。

入学当初は、あまり積極的に遊ぼうとしなかった私も

徐々に友だちと過ごす時間が多くなり

過食をせずにいられる時間が長くなっていった。


もちろん恋愛もした。

一緒にいる時間が長いので、過食嘔吐のことを

どうしても話さねばならない。

幸い、恋人は私の病気を受け入れてくれる人が多かった。

何度か人を好きになり、出会いがあり別れがあり

ようやくまともな恋愛ができるようになっていた。


そしてついに、私を病気から救ってくれる人と出会うことになる。

県外の大学なので

私は一人暮らしをすることになった。


大学進学には、一つの目標を持って臨んでいた。

大学を卒業するまでに、

摂食障害を克服しよう、と。

必ず克服して、摂食障害は治るんだという

生きた証拠になってみせよう、と。


渦中にいるとき、

この病気はとても治る日が来るとは思えない。

だからこそ、苦しむ人たちのために

少しでも力になりたい。


そんな決意を胸に始まった一人暮らしは

やはり簡単にはいかなかった。

小さな木造2階建てのアパートに住んでいたので

最初は音がしまいか、

トイレがつまらないかと心配した。

しかしすぐに仕送りも、奨学金も、バイト代も、

過食に消えていくことになる。


学生街ということもあり、コンビニが多かった。

一つの店で買い込むと恥ずかしいので

コンビニを何軒もはしごして買い込んでいく。

しかも、移動中我慢できずに

袋に手を突っ込み、食べながら歩く。


それでも、一日中食べ吐きをし続けるようなことは

少なくなっていた。

一日一度は必ず過食嘔吐してしまうが

少しずつ少しずつ、増えたり減ったりしながら

だんだんと落ち着いていったように思う。