テーマ「そんなに陽のあたらない名曲」は、だいたい年4回のペースで書いております。ひとつの季節にひとつずつ、という配分になりますね。もっとも、かならずしも春なら春、夏なら夏・・・に因んだものとは限らない内容ではあるのですが。
 それで去年の夏に書いた当コーナーを読み返してみますと
我が部屋は春先に動かなくなった窓が、まだそのまんまです。暑くても開閉できませんというくだりがありました。窓は現在も動いてくれません。しかも今年の夏は猛暑モードです。去年はやや冷夏だったのでなんとか持ちましたけど、今年はそうもいかないぞ。
 なので開かない窓とは反対側の窓を開けることに。そのかわり網戸がボロボロなのでムシさんたちからは簡単に不法侵入されます。みんなもマネするといいよ。

 

元気をもらえる曲

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 さて本日はよいこのデンジャラスセレクションシリーズ、テーマを【YOUNG DAYS】と設定いたしました。若さみなぎる音楽ばかりを集めましたので、これらを聴けば元気が出ること請け合い!
 これはぜったいです! 保障します! 3ヵ月の保証書つき! 武士に二言ナシでござる! ( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 

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音譜烏丸せつこ『Rock'n Roll Doll<作詞:浜田省吾/作曲:浜田省吾>



 当コーナーでは過去、⑱【涙】の回と㉓【夏の空】の回、二度にわたり“浜田省吾の無駄遣い”部門にかけては天才的な実力を見せつける能瀬慶子の歌を掲載してきた。浜田省吾はホリプロに所属していた1970年代から1980年代前半にかけて、同事務所のアイドル歌手を中心にオリジナル作品を多く提供していたのであるが、その代表格がもっとも「やらかし度」の強かった能瀬慶子になってしまってるのがうれしいような、かなしいような(by成田きん&蟹江ぎん)
 今回は烏丸せつこの巻。お騒がせ女優として名高い烏丸せつこはもともと浜田省吾のファンで、自身がレギュラーを務めていたラジオ番組へ浜田省吾がゲストとして来場したのをきっかけに親しくなる。浜田省吾は既婚者だったのだが週刊誌にもいろいろ書かれるほどの関係だったとのこと。
 そんななかにあった1981年、前年に女優としてのスタートを切っていた烏丸せつこはレコードデビューも果たす。その際、アルバム『Kiss Me』の1曲目に収録されていたのが本曲であった。間違いなく浜田省吾が烏丸せつこのために贈ったものであろう。もうね、ある程度は浜田省吾の音楽を知っている者からすればニヤニヤが止まらないナンバーでありますよ。詞も、サウンドも、彼の得意とするものだらけなのがすぐわかる。とりわけ色濃く感じる『土曜の夜と日曜の朝』あたりをベースにしてるのかと思って調べてみると、あれが収録されたアルバム『愛の世代の前に』がリリースされたのは『Kiss Me』の2ヵ月前。おんなじ時期だからおんなじような作品ができてしまった、というのも合点がいく。
 ただし烏丸せつこに贈る前は自分で歌っていたとの声もあるので、この曲こそがその後に彼が出すこととなる数々の名曲たちの原型だった可能性もありますね。
 いっぽうで烏丸せつこの歌声である(笑)。このクセのある歌唱法、誰かに似てるような気もいたすのだが誰だったかが浮かんでこない。まさか浜田省吾がこう歌えと指示したってことはあるだろうか?
 若者にありがちな「勝ち」にこだわる姿勢を描く内容から察するに、本来なら男歌として作られたものなんだろう。だけど烏丸せつこは勝気な気性だったそうなので、この曲でもいいのかもしれない。
 はたしてこの企画、“浜田省吾の有効活用”あるいは“烏丸せつこの有効利用”となったのだろうか?


 

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音譜森本和子『ハイティーン・ゴーゴー<作詞:吉岡治/作曲:船村徹>


『酔いどれ女の流れ歌』で知られる森本和子が、それより4年前の1966年、19歳のころに出していたのが本曲。
 サックス混じりのビートが効いたサウンド。しっとりと歌い上げるなかにもどこか女の怨念のようなものを感じさせる『酔いどれ女~』の人はティーンの時期にはこんなに狂ってたのかと納得しなくもないが、それにしても狂いすぎだろうと思わずにはいられない。それほどまでにこの歌いっぷりにはインパクトがある。動画サイトへ投稿された
「ケツに電極ブチ込みながら唄ってるみたいなキワッキワの全力歌唱がたまりません!」「クスリでもやってるのかな」「焼野原やん」・・・などのコメントが物語るように、すべてを焼き尽くしてしまうようなパワーみたいなものは、たしかに感じられます。
 しかし、それでいて音程も鼻濁音もしっかりしているあたり、これでもやはり計算されたものなんだろうなぁ。あるいは遠藤実先生に師事したことで歌の基本が叩き込まれているがゆえ、仮に狂ってたとしても要所だけは本能的に押さえられてたのか? だとしたら歌手の鑑だな。ちなみにコロムビア同期の杉良太郎は元カレ、という情報が出てきたぞ。
 まぁとにかく本曲最大の聴きどころは、ヤケクソ感の半端なさ。とりわけ当時、最先端だったエレキギターの音を口でやってしまうくだりには腰を抜かします。テケテケテケテケテケ~♪ギター


 

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音譜大門弓子『どうだっていいわ<作詞:幸田栄/作曲:越純平>


 こちらもヤケクソ感の強い女子の歌。1968年発売の本曲、歌いますのは大門弓子。当時16歳3ヵ月のデビューシングル。
 ところがところが彼女の表現力はとても16歳のそれではありません。どう考えても三十代か四十代以上の、やさぐれた人生を過ごしてきた人の歌声としか思えない。16歳にこれを歌わすか? 歌うほうも歌うほうだろ。
 そして演奏のほうではファズが無駄に主張しておるのが特徴の作品です。ナスの漬物をかじると脳みその裏側がこちょばゆくなることがありますけど、このファズの響きにもそれと似たようなこちょばゆさを感じるのであります。やるなぁ、ミノルフォンオーケストラ。
 この大門弓子という歌手、調べても情報が薄い。ただ上の画像をクリックして拡大してもらいたいのだが、1968年7月および1969年1月の新聞記事があったんです。どうやらミノルフォン全国歌謡コンクールで入賞し、遠藤実先生にも認められる新人であったようだ。しかし、ひとりでレコードを手売りしてもそれほど芳しい結果は出せなかったとの苦労ばなしが綴られている。ずいぶん行動力のある16歳ですが、そこまでやっても成功できないこの業界の厳しさよ。
 ついでにこの時期にありがちな、実家の住所が記載されている。ここはどうでもいい情報だな(笑)。
 記事には「モダン演歌調歌手」として紹介されていますけど、1970年7月に芸名を「波純子」と変え、クラウンからふつうの演歌を出していたとのことです。でもやっぱり大きな成功には至らなかったのだろうな。モッタイナイね、十代でこれほどの表現力があるのなら逸材といっても過言ではなかろうに。ヤダヤダヤダ、ヤダヤダヤダヤダ・・・♪

 

 
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音譜キャッツ★アイ『めっきり冷たくなりました<作詞:伊藤アキラ/作曲:森雪之丞>


 1977年当時、ピンク・レディーの爆発的成功により、次々とピンク・レディーの二番煎じ的なアイドルがデビューしていた。キャッツ★アイなるアイドルデュオもそのひとつで、1年近く活動。メンバーはノンとナナ。私はまったく認識がなかったのだが、どうやら「ごんべえが種蒔きゃカラスがほじくる♪」でお馴染みの「ロッテごん米」など、いくつかのCMへ出演していた方たちらしい。
 表記は「キャッツアイ」ではなく「キャッツ★アイ」なのだそうだ。このへんは「つのだ☆ひろ」みたいなものかとも思うのだが、星の色が違うのでキャッツ★アイを文字で書く際は星を塗りつぶさなくてはならないのだろう。星
 本曲はキャッツ★アイ2枚目のシングルになるのですけど、彼女らの歌声はただマイルド、曲じたいも平凡。つまり聴覚的にはローインパクトでしかないので、本来ならこのコーナーで扱うことはないはずだった。なのにこれを特例として出しましたのは、そのあまりにも斬新な振り付けに目を奪われたからなんでありまする。
 まず、歌いながら手品をしております(笑)。歌の世界観的にはひとつも必然性は感じられません。しかしメインの見どころは、そのあとマイクスタンドからハンドマイクに切り替えてからなのです。カラオケ 激しすぎる脚の動き! こんなの見たことがありません。いつヒザが破壊されても不思議ではないほど負荷がかけられている。しかもハイヒール履いてるんですよ。サンダル まさかこれをしないと歌えない特異体質ではないだろうな?
 衣装にせよ初冬の歌なのに真夏を思わせるやつで、これもまた必然性がない。コメント欄見たら
「おかんの若い頃海岸の水着姿がこれだわ」「手品、衣裳、振付け、三拍子揃っての外しました感が凄い」というのがありました。これは是非、令和の若者に伝えなくてはならない衝撃映像でございますね。
 なおキャッツ★アイは、ノンの突然の失踪により活動停止を余儀なくされる。留守を守るかのようにナナが孤軍奮闘するも、ついにノンが戻ってくることはなく事実上の解散となったもよう。よって今回のサブテーマ「若い季節と若気の至り」に相応しい素材と相成りましたとさ。どうだ、ここへエントリーした理由に納得したか。 <(`^´)>

 

 

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音譜Village People『Y.M.C.A.(Hypersonic Mix)<作詞:Henri Belolo;Victor Edward Willis/作曲:Jacques Morali>



 ヴィレッジ・ピープルのベストアルバムを聴いてみると、誰かにカヴァーされたような曲ばっかり入っている(笑)。それだけ多くのシンガーが歌いたくなるような曲がいっぱいあったということなのだろう。なかでも1978年、グループ最大のヒット曲『Y.M.C.A.』は日本では翌年に西城秀樹が『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』としてカヴァーしたことで知られるディスコソング。同曲は新御三家が出してきたすべてのシングルのなかでも最大のセールスを誇るのだが、もし「外国人の作曲作品は審査の対象外」とするルールさえクリアしていれば1979年の日本レコード大賞は『YOUNG MAN』になっていた可能性すらあった。

 この年の大賞はジュディ・オングの『魅せられて』だったわけだが、審査員による一次審査の段階では『魅せられて』が投票数27だったのに対し、西城秀樹サイドはルールが破れず仕方なくエントリーされることとなった『勇気があれば』でも23票で次点。3位はさだまさしの『関白宣言』が2票だったというから、ルール次第ではどうなっていたかわからなかった。
 ところで、日本では「
若いうちは やりたい事 何でもできるのさ♪」で知られる『YOUNG MAN』。では原曲の歌詞はどうだっただろうと考えたことのある人はどれくらいいるだろう? 日本語版では西城秀樹のマネージャーだったあまがいりゅうじ氏が訳詞を担当し、原型の名残りを残しつつも爽やかに仕上げています。作詞が本業でもないのに、うまいこと仕事してくれました。でも、あまがい氏のフィルターを通さない原型ではどうだったのかというと・・・なにやら異臭がいたします(笑)。
 そもそもヴィレッジ・ピープルとは「ゲイの象徴的グループを作ろう」という思いつきが始まりで結成されたグループであったことを考慮すると、肝心のY.M.C.A.側には快く思われなかったというエピソードはわからなくもない。森進一の『襟裳岬』が、えりも町の人々から「うちの町のことを“何もない春”とはナニゴトだ」と抗議されたやつに通ずるものを感じます。


クリップ詳細はこちらで。


 ヴィレッジ・ピープルのベストアルバムに話を戻します。このなかにはもちろん『Y.M.C.A.』が入っているのですけど、それとは別に『Y.M.C.A.(Hypersonic Mix)』という別ヴァージョンも収録されていました。1990年にリミックスされたもののようです。
 リメイクだとかリミックスなどというのは往々にして「前のほうがよかったね」と、ガッカリしてしまうパターンに行きついてしまいがち。ですがコレに関していうと、私はオリジナルよりこっちのほうが好きだったりします。確実にパワーアップしてるのを感じられましたしね。
 ただ、このころ現実のヴィレッジ・ピープルではメンバーの構成も大幅な入れ替えがおこなわれていたみたいで、たぶんリードヴォーカルのヴィクター・ウィリスも離れてた時期だったんじゃないかな? まぁ彼は2017年、35年ぶりに復帰したそうだけど。


 

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 以上、5曲。どれがよかったですか?
 若さにもいろいろありますね。

「若さってなんだ ふりむかないことさ」

「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」

「オレの人生最大の黒歴史は、ノストラダムスの大予言を信じていたこと」

 あ、3番目のやつはお世話になってるKさんからカミングアウトされたものです。
 若さゆえの黒歴史。人は誰もがそれを胸に抱え、ふとした拍子に思い出しては消えてしまいたくなるものなんだろうな。それでは次回までごきげんよう~。 (T_T)/~~~

 

かお

 

かお

 

かお

 

かお

 

かお

 

 あの。スイマセン、もうちょっといいですか?
 せっかく浜田省吾の有効活用(?)なやつを書きましたので、これについて深掘りしたくなりましたのよ。

 

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音譜烏丸せつこ『バラード<作詞:浜田省吾/作曲:浜田省吾>


 アルバム『Kiss Me』の最後に収録されたもので、やっぱりどこからどう聴いたって浜田省吾作品だとすぐにわかる。これはいいですよ、曲としては。個人的に、浜田省吾作品のなかでもお気に入り度の高い『ガラスの部屋』や『センチメンタルクリスマス』を彷彿させる構成。さらに彼の作品によく使われがちな「ドア」「タバコ」「ベッド」「寂しい」「ケンカ」「自由」・・・といったワードが、結果的になのか狙ったものなのか烏丸せつこのキャラクターと合致しているのもポイントか。
 だけど本曲においてとくに傑作だと思ったのは、彼の作品のなかでもあまり見られないフレーズが含まれていて、それがじつに意味深だったこと。

 

喧嘩しても怒らないのね
でも決して許さないのね

 

 ナルホドねぇ~! これはやられましたねぇ~! こんなのを烏丸せつこに歌わせたのか。そりゃ合うわ。あんぱんと牛乳くらい合うわ。
 ではここで、浜田省吾ファンと思しき方の記事をリブログいたします。本曲について、そして烏丸せつこのラジオにまつわるエピソードも書いておられます。記事によりますと、烏丸せつこが
「53年間生きてきたなかで一番好きな男」「あの人の顔が好きなの」と発現していたとの証言が。

リサイクル長いこと更新を滞ってるようなので、リブログしても気づいてもらえない可能性が高いと思いますけど。

 ええっ、すると烏丸せつこは浜田省吾の素顔を見たことがあるのか! 浜田省吾の素顔なんて、キン肉スグルやエル・サムライのマスクの中身を見てはいけんくらい神聖なものじゃろ。彼の親や嫁でも見たことあるのかわからんくらい触れてはいけんものなんじゃないのか。あれはデビルマンが誰なのか知られちゃいけないくらいのシークレットであろうが! え? え? Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)

 

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 きょうは女性シンガーの活躍が目立ちましたね。回によっては女性が手薄になってしまい、バランスをとるため探すのに苦労することもあるのですが、こういうこともあるので今後はそのへん、あまり気にせずやっていこうと思います。
 裏を返せば、このテーマにおいては女性の得意分野だったのかもしれません。きっとこれらを聴かれた読者さんらは、みんなみんな元気になられたことでしょう。
 だけどもし元気が出なかったらそれは脱水症を起こしてる疑いがありますので、すみやかにバウムクーヘンを食べてください。そのあと、さっさと病院へ行ってください。そしてお医者さんには「チアーさんのブログを見たのに元気が出なかったので脱水症です」と伝えてください。