このところ、ヘビーローテーションで脳内リフレインしている曲がありました。
テネシー・ワルツ』。そうです。日本では1952年、当時14歳だった江利チエミさんがカヴァーして大ヒットとなった、あの有名なやつ。以前にも江利チエミや『テネシー・ワルツ』については少し調べたことがあったのですが、この1月11日が彼女の誕生日だったことを機に、もういっぺん調べ直していたら本人が歌っている動画がみつかり、すっかり聴き入ってしまったのでした。うまいですねぇ~。

 テネシー・ワルツといえば、私は生のお芝居でこの曲を使ってた演目を観たことがある。ちょうど5年前の2019年1月26日、高橋春菜さんのラストステージ『花は咲けども山吹の(仮)』です。脚本は『けっこう仮面2』などの監督を務めていた秋山豊さんが担当。それを春菜さんが、ひとり芝居として公演されたものでして。


リサイクル詳しくはリブログ先をたどっていってください。

 

 これを最後に春菜さんは、結婚と出産もあって(?)役者を引退。ブログやツイッターなどの更新も止まり、いっさいの情報が途絶えた。もう会えないんだろうとも思っておりました。

 それが、つい先日のこと。たまたま、本当にたまたま、ある方のブログを訪問してみたら、なんと春菜さんが復帰しているとの情報を知り驚愕することに! あらためて彼女のブログを訪ねてみると、昨年10月から更新を再開しておられた。どうやらこのたび、ラストステージのときと同様、APOCシアターで開催されるAPOFES2024へ参加することが決定。これに合わせてブログやツイッターも再始動していたらしい。しかも復帰後初の公演が、まだ1日残ってて間に合うタイミングだったのです。
 驚いたなぁ。まぁ、大仁田みたいにカラダがダメになって引退(・・・と復帰を何度も何度も繰り返す)するんじゃないんだから、またやりたいと思うんだったらやったらいいと思うよ(笑)。

 

 

 ちなみにブログのほうは「アラサージャンル」にカテゴライズされてましたけど、メインはママさん日記になっていて、事実上「子育て(幼児)」部門に近い。引退公演のときが妊娠5ヵ月だったそうですが、その子はいまや幼稚園生の男の子。息子さんとの平和なやりとりが綴られています。実際は大変なこともあるんだとは思うのですけど、ブログを見たかぎりではイイかんじにママさんをされてるようなので、ひとまず安心いたしました。

 

 

 さて復帰後初公演なんですが、なんと引退公演で使った『花は咲けども山吹の(仮)』の再演なんだそうです。あれはもういっぺん観てみたいと思っていたやつでしたし、日程的にもタイミングがいい。これは是非、行きたい。行かねば!
 問題は「会場がマスクの強要をしているところじゃないか?」という点。ご存知のとおり私は、これについては病院であろうと譲れませんので(苦笑)。予防
 メールで会場へ問い合わせてみたのですが、どういうわけか応答がありません。なので春菜さんへ伺ってみたら、大丈夫そうでしたので行くことに決めました。ヨカッタ、ヨカッタ。




 閑話休題。
 5年前は現場へ着くのが早すぎてしまいましたので、今回はちょうどいい時間を狙って。だけど予定の電車よりも一本遅いのに乗ってしまったので少々焦りましたが、いざ現場へ行ってみると、やっぱり早すぎる時間になってしまった。どうもこういうの、私は下手です。
 入場料は1500円。ひとり芝居だからか、安い。映画よりも安い。公演時間は約40分なんだそうで、前回よりも20分くらい短めのような気がする。でもこういうのは、時間の長さはあまり関係ない。わかりやすい例を挙げると、1987年1月14日の後楽園ホールでおこなわれた藤波辰巳(現:辰爾)vs木村健悟のワンマッチ興行。あのときは観衆2200人の超満員札止めとなり、大いに盛り上がった末、現在も語り継がれる伝説の一戦になった。内容さえよければ客は納得するんです。
 では本公演はどうだったのでしょう? 私も観劇は2019年の5月以来なので、ちょっと緊張しています。

 会場へ入った瞬間、珍しいものを見れました。まだ始まる前だというのに春菜さんがステージの上にいて、来場者の一人ひとりに挨拶しているのです。秋山さんが場内の案内係や説明をされていましたが、いわく「いつもは楽屋ですることなんですが、今回は出演者(春菜さん)がみなさんと長く共有したいとのことで・・・」なんだそうです。その間、場内を見まわしてみましたら、前回もそうでしたが、見たような顔がポツポツと。ひとりは春菜さんがイベントをやったときにお手伝いされてた方、それはわかりました。でも、どうしても思い出せない方も。どこかで見た役者さんだったのか、それとも前にも来ていた一般客の顔を私が憶えてただけなのか・・・?
 そんななか春菜さんは独特の深呼吸を始めたり、ストレッチを始めたり、発声練習を始めたり、ついには寝転んでしまったり・・・。裸足でした。👣 緊張されてるのが伝わってきます。


リサイクル稽古のときもこんなかんじだったみたい。その様子がわかる記事です。

 

 通常こういうのは客に見せないものだと思うのですが、それをすべて晒してしまえというのも春菜スタイルなのでしょう。そういえばアントニオ猪木さんが現役だったころ、早めに会場入りした客は、リング上で選手がスパーリングしている様子を見ることができたと聞きます。もしかしたらアレに通ずるものがあったのかもしれない。
 春菜さんは楽屋へ引っ込むことなく、そのまま本番を開始されました。

 


花は咲けども山吹の(仮)2024』と題されたこの演目は、再開発に怯える新宿二丁目のゲイバーのマスターと、昭和20年の新宿大空襲の日の新宿遊郭の女郎の二役を、春菜さんがひとりで演じるというもの。脚本の秋山さんが、今回は演出も担当されるとのことでした。
 ベースは前回と一緒ではあるのですが、すぐに「あれっ、この台詞は前回なかったような・・・?」と思わせる場面ばかりなのに気づく。どうやら脚本を大幅にいじっていたもよう。こりゃあ再演というよりも新作だ、新作だ。 \(^o^)/

 本作にはオカマさんが携帯電話で話をする場面があるので現代であるのがわかるパートと、昭和20年に新宿2丁目の遊郭へ勤める女郎になるパートがあり、それが要所でチェンジする構成。電話のパートではオカマが一方的にまくし立て、女郎のパートではひとり言かお腹にいる子へ話しかける。オカマさんの電話でのコメントによると、お父さんがテレビからの「お・も・て・な・し」発言を聞いた瞬間に死んでしまったので、滝川クリステルに殺されたことになっていた。このくだりには笑わせてもらった。今後は滝川クリステルがテレビに映るたび、このくだりを思い出してしまいそうだ。
 そして・・・。

 

別れた あの娘よ
いまは いずこ・・・♪

 

 出ました、テネシー・ワルツだ。今回もまた、よくぞコレを使ってくださいました。

 

面影しのんで 今宵もうたう
うるわし テネシー・ワルツ♪

 

 その場で襦袢姿にチェンジし、女郎のパートへ突入する。そこからは来店した客の名前が書いてある帳面を見ながら、出会った数々の男たちとの思い出を振り返る。それだけで当時の空気がよく伝わってくる。
 そのなかで、翌日に出征してゆく17歳の若者がいた。お腹の子は、その青年の子だったのだ。だが出征先のレイテ島から青年の書いた手紙が届いた日、ラジオからレイテ島の玉砕を告げる報せを聞くことになる。

 ここでいったん通常の春菜さんに戻り、5年前に演じたときは自身も妊娠中だったエピソードを話すくだりになる。あのときは当初、お腹に何か入れてるのか、それにしては不自然ではないふくらみがどうなってるのかと気になりつつの観劇でありました(笑)。
 思えばこの女郎、ハートフルではあるが基本はズベ公と呼ばれるようなキャラ。本来なら『新宿ダダ』の山川ユキみたいな人が適任な題材だったんでしょうが、春菜さんの場合はぜんぜんズベ公ではない。だけど山川ユキでは当たり前といえば当たり前ですし、ふだんのそれとは違う人物に挑戦するのも演劇の面白いところなんだろうな。きっと春菜さんはいつもの自分とは違う、ズベ公になるのを楽しんでおられるのだろう。

 ふたたび女郎へ戻り、空襲警報に怯える場面や女郎の子ども時代の話をお腹の子へ語りかけたり・・・。

 オカマさんのパートへ戻ります。また電話でしゃべってる。新宿の高島屋かいわいの話になる。むかしは安い木賃宿がいっぱいあったとか、雰囲気が怖かったとか、2丁目もそうだったとか。なんだかんだと、どんどん変わってゆく街を憂いているオカマさん。

 そういえばね、この劇場へ来る途中、西武新宿駅から新宿大ガードをくぐったんですけどね。そこに新宿のむかしの写真がいっぱい展示してあったんですよ。このところいろんな街の古い写真を漁るのが趣味のひとつになってるんですけど、それだけに、そういうのがあると見入ってしまうんですよ。
 とくに新宿の街は変わりようが激しくて面白いですね。急いでいたので、あんまり見れませんでしたけど。

 オカマさん、いきなり電話の相手から「さよなら」って言われて切られちゃう。キャッチで入った別の相手から、その人は事故で死んだって言われた後のことでした。
 すると・・・・・・ああ、そういうことでしたか。ガーン

 最後の場面なんですけどね、オカマさんが何かブツブツ言ってるようなんですが、効果音が大きすぎて聞きとれませんでした。おそらく最前列にいた人にも聞こえてなかったのではなかろうか。
 あれは、わざとそうやった演出なのか、それとも予定外のことだったのか・・・?

 

桜

 

 終演後、春菜さんとご挨拶の時間。みなさん一列に並んで、しばし会話を交わしてからお帰りになります。
 私の番だ。ほぼきっかり5年ぶりの対面に。

「おかえりなさい」
 そう言う私に春菜さんが返したひと言。
「肌がツヤツヤしてる」
 そうですか、ときどき言われます(笑)。きっと石鹸がいいからだと思います。
「この演目は大事にしなきゃ」
 そう言うのがせいいっぱいでした。だけどこれは野暮だったと思います。だって春菜さんは私が言うまでもなく、この演目を大事にしてるから再演したのでしょうからね。不定期でいいから、少し寝かせて、またいつか再演してもいいと思いますよ。
 本当はもっと話したいことがたくさんあったんです。訊きたいこともたくさん。でも後ろにも並んで待ってる人がいるので、ここは手短にするしかありません。こんど取材させてもらえませんかね(笑)?
 今回も台本を買っていくことに。帰りの電車のなかは、それを読むので忙しくなります。

 

本

 

 途中、新宿へ立ち寄った。さっき芝居にも出てきた新宿の高島屋へ行く予定だったのだ。このところターザン山本さんが御座候の回転焼き、それも「白あん」にハマってるそうで、それが食べたくなったのです。調べてみたら御座候は新宿の高島屋にもあるそうなので、ちょうどいいから行ってみることに。
 


 歩いてる途中で腰が痛くなった(笑)。しかも帰りは地下通路のなかで迷子になった。
 でもさいわい腰の痛みには波があり、弱くなる瞬間もある。痛みさえなければ私はもともと歩くのが速い。ここで一気に距離を稼いで・・・でも地上へ出てみたら、とんでもない場所だったのを目の当たりにしてガク然。新宿駅東口方面へ行きたいのに花園神社前だったり・・・というのを何度かやった。

 

電車

 
 なんとか目的の方角がわかるようになり、なんとか電車へ乗ることができ、やっと座ることができました。さっきは13ページの途中までだった台本の続きを読み始める。
 前回同様、物語が始まる前に客席へ呼びかけていた文言も、台本のなかへ書かれてあるものだったようです。ただ今回は、お客の顔を見ながら呼びかけてるようでした。一瞬ですが私とも目が合ったような気もしました。ここは前回と演出を変えてきたのだろうか?目
 あっ。終盤のところ。聞きとれなかった台詞が書いてあった。
 
「忘れてたまるもんですか、お父ちゃんもいた、お母ちゃんもいた、お婆ちゃんも・・・誰かを許して、誰かが生きて、死んで、殺して・・・泣いてた」メラメラ
 
 おいおい、これ、すごい重要な台詞じゃないの(笑)。ということはやっぱり、音響で聞きとれなかったのは・・・。汗
 もしや、台本を見た人にだけわかる、という演出だったのかしら? (^^ゞ

 この台詞を言い終わり、春菜さんの吹くサックスからのカーテンコールだったのでした。
 サックスから流れてきたメロディはもちろん、テネシー・ワルツ。

 
 映画でも小説でもマンガでもいいが、何かの物語の話題になるとき、戦いのある題材はわかりやすく話しやすい。私だって特撮ドラマがもともとは好きだから、そういう作品を挙げることは多い。
 ただ最近はそういうのを少し離れて、ちょっと違うカラーのものを好むようになった。戦いのあるものがロックだとすると、いまはワルツとかタンゴを聴いてみたい気分というか。戦いがまったくないわけではないにしろ、その最前線に立つ者の勇ましい姿よりも、戦いに飲み込まれてしまった者の悲しみや怒りを描く物語のほうへ興味が向いている。
 
――今もまだ止まない差別と、そこから起こる理不尽な争いの犠牲になった者へ捧ぐ――
 
 本作にはそのようなテーマが込められていたそうです。
 思えば春菜さんが不在となってから世の中はコロナ禍へ突入。理不尽な差別や争いが表面化。表向きでは少しはマシになったかと思われていた人の心には、まだこんなに醜いものが残っていたどころか、人びとはむかしと少しも変わっていなかったことが炙り出されたのです。それを思えば、いまこの演目をやっておくのには意味があったのかもしれません。
 花は咲けども山吹の(仮)。この演目は、きっとワルツなんでしょう。テネシー・ワルツが出てくるんだから。ブンチャッチャ。三拍子ですね。
 


 テネシー・ワルツが載っていた動画サイトへ書き込まれたものに、次のようなコメントがありました。

 

朝鮮戦争の最前線で命がけで戦い、日本の基地に戻ってきた米軍将校が、クラブでこの歌声を聞いてどの曲よりも心が癒され、帰国後もずっと耳に残っているという話をどこかで読みました。

22歳です。祖父が亡くなった時に
祖父自身が流してといったそうで
お葬式に流れていて、知りました。
その後、祖母にお葬式で流れていた
あの歌なに?ときくと
2人でよく歌ってんと楽しそうに
話していたのを思い出すと
何故か涙が止まりません。
いっぱい聞いて、この素敵な歌声が
後世にも届くように聞きます。

 

 あの時代を生きた人たちにとって、この曲は特別な位置づけにあるのだろう。たしかに沁みる。こんな曲・歌声に出会うようなことは近年、まったくない。
 秋山さん、よくぞこの曲をチョイスしてくださいましたね。

 


 あと春菜さん、私がテネシー・ワルツを歌えるようになったら聴いてください。取材はそのときでいいです(笑)。