半年健診へ行ってきた。電車を乗り継ぎ練馬区のAクリニックへ。ときどき中野区のBクリニックへ行くこともありますが、そこは採血の際に注射の針で皮膚を貫通さす看護婦さんがいると聞いてるので、とくに血液検査もある今回は避けなければならない。

 ただしAクリニックにしろ全面的に信頼しているわけではない(理由は後ほど説明)。私の場合は事情があって、ある会社が指定するいずれかのクリニックへ半年ごとの健診を受けに行かねばならぬ掟があるもんで。そのなかで交通費の負担が低い場所にしぼるとAクリニックかBクリニック。Bよりはマシと思われるAへなるべく行くことにしているのであります。

 

マスク着用について

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 で、いつもどおり私が聴覚検査やら心電図やら血圧検査やらを受けているスペースのカーテン1枚隔てたすぐ向こう(直線距離にすると1mか1.5m程度)から、コロナの陽性判定を食らった親子が院長先生から説明を受けてるのが聞こえてきた。すると看護婦さんが私に「マスクはお餅ですか?」と訊くから「マスクはお餅ではないです」と答えた。そしたら「マスクお餅しますね」と言うので、私は当然「いらないです」と返した。予防
 看護婦さんは、なおも「大丈夫ですか?」と言うんだけど断わった。私にはそんな脅しは通用しない。だいいち、あちらが「お餅します」なマスクでは空気感染を予防する道具としての効果は、ほぼゼロなのだから。着けるのであればN95マスク以上のレベルのもので、あれを正しく装着できるのなら少しは効果があるかもしれないけれど。
 非科学で宗教的なマスクを御守りのように着けるのは、もはや私にとっては恥ずかしい行為ですのでね。まぁ、強要されなかったぶん、よかったですけどね。

 思えばここの院長先生は人当たりがソフトですしべつに悪い印象はないのだが、ちょっと杓子定規なところがある。例えば血圧の数値が少し高めなようだと「塩分は控えるように」という指導をする。よく聞くアレですわ。でも本当は血圧なんて年齢+90くらいが正常みたいなんですよね。だったら私なんか、まだ低いくらいなんだけどな。
 それと高血圧の基準は年々下がっていて、そんなに高くなくても薬を飲まされたはて、血圧が下がることにより脳梗塞や視力低下を招く例が増えているとのことで。あちらの業界で“血圧ビジネス”はおいしいツールなんだそうですが、それでいいようにカモにされたくはないものです。

 あと、待合室で座ってる私の目の前に貼られていたコロナのポスターが酷かった。「診察を受ける際にはマスクの着用をお願いします」「コロナを感染させない思いやりを」・・・的なやつが何枚か。練馬区医師会が作ってるやつみたいなんですけど。
 まだその認識なのか? いつまでそんなもの貼ってるのか? 私にはとてもアホらしくてつき合う気になれません。
 そしてコロナ陽性になった親子への指導が「3回目のワクチンから時間が経ってますのでね・・・」とか「外ではマスクを着けるようにしてください」とか、そういうやつ。私でも適切じゃないことがわかる。そこへ来ている患者さんらを見れば私以外は全員マスクしてましたので、こういった指導にはきっと素直に応じるんだろうな。
 もちろんマスクしたい人がするのは勝手です。べつにそれを小林邦昭みたいに剥ぎ取ろうとは思ってないですよ。ただ、ここへきてマスクによる弊害が予想以上に深刻であることが明るみになってますのでね。そのへんもちゃんと考えたうえで判断しなきゃね。


 残念ながらAクリニックはあまりアップデートできてないようなのですよね。そんなだから、もし自分が病気になったとしても、こういう病院にはお世話になりたくないのです。各々に合った治療法ではなく、マニュアルどおりの治療をされそうで。もっとも、大半の病院はそういうものなんだろうけども。
 この3年間で私たちが学んだことは、医者は意外と無知で、いい加減な人が多いということ。正確に言うと、それはなんとなく感じてはいたものの、ここまで酷かったのかというレベルだったのが表面化したこと。病気そのものだけじゃなく、お世話になる医者がどのタイプなのかも見きわめなくてはならないのが面倒だなーと、あらためて思います。

 

 
 職場や店舗などはもちろん病院や高齢者施設などであったとしても、マスク着用をお願いするなら、その圧倒的な感染予防効果を示してからお願いしなきゃならないだろう。コクランのレビューや、マスクメーカーの「えれこーど」さんのそれをしのぐくらいの強い根拠をだ。
 せっかくアホの厚労省ですら「個人の判断で」「本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう~」と呼びかけているのですよ。付け足しとして書かれてある「ただし医療機関や高齢者施設、通勤ラッシュ時の混雑した電車やバスではマスクの着用を推奨」という一文も、強制力はない。例外として着用ルールを強いるのであれば、よほどの理由が必要になってきます。
 
 
 コロナ縛りでいうと、いまだにマスクを外せない主な理由は大きく分けて2とおり。

①本当に感染予防効果があると思っている人。これはもう、どうしようもない。たぶんコロナは今後もなくなることがないので、いま外さないんだったら死ぬまで外さないんだろう。
②周りの目が気になる人。同調圧力的なものも含みます。日本人のダメなところ。みんなと一緒じゃなきゃ心細くていけないといった心理が作用してるらしい。十代に至っては「顔を見られるのが恥ずかしい」という、心の病ともいえる位置まで落ちてしまってる者が多発しているとか。

 ①と②の混合で、組織の上の人などが配下の者に対してマスクを強いるというのがいまだにあると聞く。ああいうのは自分のテリトリーでクラスタが起こるのを怖れてるんだろうな。あのね、そりゃコロナウイルスはまだ続くんですからクラスタくらい起こるよ。でもそれはマスクの有無とは関係なく起こるんだよ。
 それとね、もしクラスタが起こったときに「うちは感染対策してました」って言い訳が欲しくてやらしてるんだとも思う。残念ですね、マスクにはそんな効果なんか最初からあるようには出来てないんだから、それは言い訳の素材にはならんのよ。むしろ「上の立場にいる人が、そんなことも知らずに強要してたのか」って意味で責められるよ。本当は上の人らって、配下の者の意向や健康なんか、どうでもいいのよ。保身目的でそうしてるだけだから。そのうち「上の立場にいる人が、マスクの弊害も知らずに強要してたのか」って叩かれるだろうよ。
 そうそう、客にマスク着用ルールを強いる店舗なんかも一緒だね。ああいうところはマスク教の信者だけを相手にする会員制の商売になることを宣言したのだから、ぜひ今後もブレずにその路線を貫き通せばいいと思うよ。途中で戻したりするなよ。でも私は、そういう店へは二度と行かないよ。

 
 マスクが大丈夫じゃないんだから。着けたところで無駄な抵抗だってわかってるものを、私はやろうとは思わない。陽性さんがいたって「ああ、そう」くらいにしか思わない。そのあとまた電車に乗って帰ることになるんだけど、ちょうどラッシュの時間帯になる。なかには陽性さんもいるだろう。その人がマスクをしていようが私がマスクをしていようが、どうしようもないものを私は選ばない。
 だから近くに陽性さんがいようと、私の対応は「何もしない」ことに決めている。
 
 みんながやってたらいつまで経っても終わらないからね。みんなが多数派へ走ることにより少数派が奇異な目で見られたり虐げられるのは、むかしからある日本人の悪いクセ。いじめの図式。いじめられるのを怖れて何の正当性もない多数派へ走るのは、あまり感心しない。それ、マスク警察の術中にはまった結果、仲間になってるってことだからね。マスク警察のご機嫌をとってどうする。マスク警察に忖度してどうする。どうせあいつら、他人にマスク着けさせといて、あなたの免疫が下がろうが鼻呼吸ができなくなろうが、責任なんかとってくれないんだから。ひとつもいいことなんかないんですよ。
 非科学な宗教へ入るのは本人の勝手だとしても、入らない者を否定するのはおかしいんだからね。そういうのへ私は参加したくないんだよ。

 そもそも防ぎようもないものを、感染したりさせたりで謝らなきゃいけない空気にしてるのがおかしいのよ。
 
 みんなが外すチャンスは2度ありましたね。まずは国が「マスクは任意です」ということにした3月13日。本当はもともとマスクは任意だったんだけど、いちいち区切りを示さないと多くの洗脳されてしまった国民は動かないし「お願い」と「ルール」の区別がつかない輩によるトラブルが多発してるので国は仕方なくやったみたいなところがある。
 次は5類になった5月9日。この日を境にコロナがおとなしくなってくれるわけではないけど、もともとそれほど怖ろしいウイルスではなかったのだからこの降格は遅いくらいであった。同時にこれも、マスクを外すきっかけにはなるはずだった。
 すぐには変わらなかった。ああ、やっぱり日本人はこんなもんかと思ったわ。それが徐々にノーマスク派も増えてはきているけれど、それでも現時点ではまだマスクしてる人のほうが多数です。

 私の場合、①のマスクの効果については比較的早めに情報が入っていたのと、②のように「多数派に属すことで安心」みたいなやつは自分で許せない性分なもんで。ゆえに私は3月13日を待つまでもなく素顔で出歩いておりました。どこへ行っても素顔なのは自分ひとりなことは多いですがね。かまうもんかって思ってますよ。

 だけどじつを言うと私は①でも②でもない理由でマスクをしたいことがあるのだ。排ガスの多い道路を歩くことがあるもんで、コロナ禍になる前からマスクを使うことはあったんです。
 でもいまは①や②だと思われることのほうが恥ずかしくて、そういう場所でもマスクを我慢してるんですよ。世の中がノーマスクを当たり前という空気に戻れば、私も心置きなくマスクを着けれるんですけどね。 ^^;

         
 
 

 本当はね、コロナ関連についてはブログにゃ書かないつもりだったんですよ。ツイッターへはメモ代わりのようにドッサリ情報を集めてますけど、こっちまで持ってくるつもりじゃなかったんです。
 でもクリニックであったことを書くのはツイッターよりもブログ向きだと思ったのと、こういうのはより多くの人へ発信したほうがいいのかなーと思うようになったのと。だってアメトピに採用されるコロナ記事って、相変わらずアンテナ張ってないような人の記事ばっかりだしね(苦笑)。あれ採用してるスタッフも、きっとアンテナ張ってないんだろうな。

 ついでじゃ。せっかくなので今日はもうちょっと書きまっせ。

 

コロナについて思うこと

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 前回の記事に上岡龍太郎さんのネタが入ってたので、読んだ方から上岡さんの追悼記事なんだと思われてしまったらしいです。でも、あれはたまたまなんです。訃報が入ったのは、下書きがほぼ出来上がってからでしたので。
 
 今回もべつに追悼記事にするつもりはないです。ただ、もしも上岡さんがまだ現役を続けられてたら、このコロナ騒動についてどんなふうにコメントされただろうかと思うことはよくあって。
 そういえば、たしか上岡さんは「テレビはウソばっかり」って言ってたことがあったな。

 いまから約1年前。厚労省のデータ改ざんが話題になっていたにもかかわらず、NHKはそれを無視するように「コロナワクチンには効果があったのに接種を任意にしたことで死者を多く出した。これは是か非か?」というようなお題で各国の学生らにディスカッションさせる内容の番組を放送していた。「カタリン・カリコ、すごい!」な特番もやっていた。悪夢を見てるようだった。
 厳密には少し前にやった番組の再放送だったようだが、しかしよくもそのタイミングで放送できるもんだと思った。まさに“死の電波”の垂れ流し。製薬会社をスポンサーにすることで偏った情報しか流さない民法放送のワイドショーも酷いが、NHKのそれはもっと酷いという印象が私のなかで強く刻まれることとなった。

 

 そして今年5月15日。この日、放送されたNHK『ニュースウォッチ9』の露骨な偏向報道。日ごろから情報を集めている自分らには知らない人はいないほど大きな事件だったのであるが、一般的にはどれくらいの人へ伝わっているのかがわからない。まだ知らない人もいるんだろうか?
 これもたまたまではあるが、私はコロナワクチン被害者駆け込み寺の代表をされている鵜川和久氏のツイートを見ていた。放送前のことです。ワクチン接種により亡くなられたと思われる被害者のご遺族が、その事実をようやく全国ネットの地上波で訴えることができる――といった、期待感あふれる文面でした。

 
 ところが実際の放送ではワクチンのワの字も出さず、なんとコロナ死遺族として紹介されていたというものでした。コロナ死とワクチン死では伝えるべきことがまったく違うものになってしまう。ご遺族はNHKに利用されただけ、という結果に。
 しかし、私を含め鵜川氏のツイートを事前に見ていた側には経緯がよくわかる。NHKが「プロパガンダ放送局」だったことの証拠が、ハッキリと残るかたちで示されたわけですね。

                   
 世の中にはNHK信者な人が少なくはない。うちの親なんかも熱心なNHK推しで、7時のニュースはNHK、9時のニュースもNHK・・・な家庭でしたもんで、なかなか好きな番組を見せてもらえはしませんでした。
 NHKが偏向報道をおこなうのは今回だけじゃなかったはず。これまでにもたくさん、なかったはずがない。でも、どれがどうだったのかは素人では見分けがつかない。
 父上、あなたが好きだったNHKは害悪でしたよ。都合のいいことだけを発信し、本当に伝えなきゃいけないことは平気で「なかったこと」にしていたのが疑う余地のないレベルで露呈しちゃったのよ。
太平洋戦争中、各マスコミが歩調をおなじくして「日本軍は連戦連勝!」と叫んでいた、あのときからひとつも進歩してなかったんです。こんなんだったら他局のバカ番組見て笑いのセンスを鍛えるほうが、よっぽどためになってたでしょう。
 

 巷では、なんとなくコロナ明けみたいな雰囲気になって、なんとなくマスクをやめて、なんとなくワクチンもやめて・・・な方向へ傾きつつある。でも、それじゃダメだ。「なんとなく」ではダメ!
 この国がやった感染対策は大半が失敗だったことを国民が思い知らないといけない。さもないと、次におなじようなことが起これば、またおなじことを繰り返すだろう。すでにこの国の人びとはおなじことを繰り返している。過去にやらかした過ちを忘れ、活かすこともなく、またしてもうまうまと誘導されてしまったのだ。それが日本人の体質であることがハッキリと露呈された3年間であった。
 
 
 本件についてはまだまだ書き切れないことが山ほどあるが、ひとまず今回はこれまで。いつかまた書く気になるかどうかは、わからん。
 
 
 それにしてもです。当ブログにおける、テーマ「テレビ/映画」の記事で、まさかまさかニュース番組を扱う日がくるとは予想だにしていなかったなぁ~。 (*_*;