2023年。通常ですと1月初っ端にやる前年の振り返り企画は急遽アメンバー限定記事となりましたので、今回への持ち越しに。
 あらためて2022年の記事をテーマごとに集計。各テーマの投下数は以下のとおり。

メモ小ネタ→5
メモしりとりアーカイブス→3
メモブログ→3
メモテレビ/映画→5
メモ世論→3
メモそんなに陽のあたらない名曲→3
メモプロレス→4
メモ創作→2
メモクイズ→2
メモ宝徳幼稚園卒園論文→1
メモ絶望アンケート→2
メモここだけの話→1
メモ野球→1
メモひとりごと→1

 以上、36記事。
 ごった煮がウリな当ブログ。もっとも多かったのは、夏場にツイッターが凍結されて最終回の危機が訪れたという報告記事を含んだ「小ネタ」と、終盤に連続upで追い上げた「テレビ/映画」でした。小ネタは今後、ややペースアップしていく予定です。
 でも全体的には前の年とほとんど変わってません。日常をネタにした「ブログ」が2年連続して3つにとどまっています。やはり身の回りの出来事に、これといったものがないからでしょうね。でも、もうコロナのせいじゃないですよ。もともとインドアだったのが、ますます加速しただけのことです。

 

 

 で、昨年もっともアクセスがあった記事はというと、これはもう圧倒的に『過ぎし日のセレナーデ ~それは至高のテレビドラマだった!』になるでしょうね。これ、一昨年の記事なんですよ。2年連続で、いちばん読まれた記事。
 あの記事は2021年11月にフジテレビTWOで放送されたドラマをもとに書いたレビューだったんですが、番組が好評だったせいか2022年には4回もリピート放送。つまり、この1年間で5回も放送されるという事態になっちゃったんですわ。
 するとどうなるのかというと、番組が放送開始されるやアクセスが集中するという現象が起こるんです。爆発的に、でした。連日ですよ。そういうのが何回も繰り返されたからです。
 まぁ有難いことではあるのかもしれませんけど、あのドラマは映画館で映画を観るときのように気持ちを集中してご覧いただきたい。こんなブログを見るのは後でいいのですよ。
 おそらくこの記事は、年間を通してまったくアクセスされない日はなかったと思います。ちなみに当ブログ過去最大のヒットは『HIDEKI Greatest Hits Mega-Mix ――昭和は遠くなりにけり②』。あの記事の爆発力はケタ違いなものがありましたけど、ロングヒットという意味ではこちらのほうが上回ってるかもしれないです。そのうちトータルでも追いつくかもしれません。

 


 で、その次に多かったのは『ドリフ大爆笑・ばか兄弟にて考察する「馬鹿は死ななきゃ治らない」』。これも一昨年の記事。「どうなっとるんかね?」と思いたいところですが、そのようになったのは仲本工事さんの訃報があったから。
 以来、追悼番組が放送されるたびにアクセスが爆上がりする現象が起こりました。
 
 このふたつの記事に関しては現在も勢いは止まっていません。毎日、どなたかが訪問してこられます。
 ただしこれらヒット記事に登場する重要人物(田村正和さん、古谷一行さん、いかりや長介さん、仲本工事さん、西城秀樹さん)は、いずれも亡くなってしまわれた方々なのが残念なんですよね。そういえば古谷一行さんの場合は『過ぎし日~』のリピート放送と重なるようなタイミングで訃報が流れてきましたからね。
 
 
 昨年の当ブログにおける大きな出来事といえば、ブログタイトルを「大正生まれのブログ」から「二塁側ベンチからの情景」へと変更し固定したことですかね。
 これにより、このタイトルは本当に大正生まれのブロガーさん(以前は「おばあさんがやってる」と書きましたが、よく見たら、おじいさんでした)へお譲りしたかたちになります。
 あれから3ヵ月が経ちました。ためしに「大正生まれのブログ」を検索してみたところ、GoogleとYAHOO!では、あちらのブログがいちばん上位にヒットします。なので事情を知らない人が久しぶりに当ブログを訪問しようとしたら、本当に仏壇が出てきたり「南無阿弥陀仏」な内容に様変わりしていて面白いことが起こってるハズ。 (*´艸`)ムフフ
 だけどMSNで検索すると、まだ当ブログが最上位に表示されてしまいます。みなさん、うちのブログなんか、どうせしょうもないことしか書きません。今後はぜひ、本物のおじいさんが書いておられるほうの大正生まれのブログを見てあげてください。
 
 
 さて本日の記事はここからが本番です。それもテーマが「ブログ」にカテゴライズされるもの。去年は3つしかなかったこのテーマが、10日前のアメンバー限定を含め、もう2回目となります。
 本当はすぐにでも書きたかったこの記事ですけど、何かと優先しなくちゃならないこともあってこのタイミングとなりました。いったいチアーさんの身に何が起こったのでしょうか?
 
 
 それは12月9日のことじゃった。
 朝も早よからネットが止まった。またネット料金の払い忘れかと思いきや、見ると止まってるのはネットだけじゃない。時計も電話もテレビも、電力を利用するすべての家庭用電気機械器具が止まってしまっているのです。
 そういえば、しばらく電気料金を払ってなかった気がする。
 数ヵ月分の払込用紙を探し、急いでコンビニへ。ガスやネットを止められるのはよくあるが、電気まで止められたのはだいぶ久々だな。えーと、この場合は支払いのあと電話しなきゃならないんだっけ。
 家の電話は使えないので、そのまま公衆電話のところまで移動・・・あ、10円がない。仕方なくスーパーへ移動し、適当なものを買ってお金をくずす。あらためて公衆電話まで行く。
 払込用紙に記載されている東京電力の電話番号へ架電。例によって冷たいアナウンスが流れます。要件によって何番をプッシュしろ云々のやつ。いちいち説明が長くてイライラする。
 ところがです。「カネを払ったときの連絡先はここじゃない」的なアナウンスで返り討ちにされました。続けて他部署の電話番号を聞かされます。ちょっと待て。ここは公衆電話。お外ですぞ。筆記用具なんて持ってきてないぞ。
 しょうがないから言われるままを必死で暗記する。いったん切って、その電話番号へかけようとするが忘れてしまい、またさっきの長ったらしい説明のやつを最初から聞き直すために電話し直す。いったん切って、その電話番号へかけようとするが、また忘れてしまい、またまたさっきの長ったらしい説明のやつを最初から聞き直すために電話し直す・・・を3回くらい繰り返す。
 ほかの方法としてスマホを使った対応の仕方があるとも言っていたが、そんな文明の利器はうちにはないので選択肢はこれしかないのだ。
 なんとかその番号先へと繋がるのだが、やっぱり機械的なアナウンスによる「〇番をプッシュしろ」的な案内を聞かされる。が、人が出ない。何番を押しても人の声を聞くことができないのだ。
 だが、どこかの番号先で「支払いが確認できた方は順次、供給を再開しますので架電は不要」というような案内が聞こえたような気がした。で、切れた。え、そうなのか? 「聞こえたような気がした」というのは、電話の音声が聞き取りにくいから。でも、そう聞こえた。けっこうな不安を抱きつつも帰宅。
 帰宅してからも、やっぱり電気は来ていない。とりあえずシャワーでも浴びようか。あれはガスだからな・・・あれれ、お湯のスイッチは電気だから、結局はダメなのか。なーんもできん。
 しょうがない、あとは寝て待つことにするか。

 5時間も寝ただろうか。ムクッと起きてみたが、まだ電気は来ておらず。どうすりゃいいのじゃ!
 ネットもできないので他部署の連絡先を調べることは不能。また電話してみるか。さっきの公衆電話のところまで。片道5分。しかし、どうにもならず。
 近所に知り合いもいないので誰かに相談することもできん・・・あ、唯一、家賃を払うときに顔を合わす管理会社の店舗があるのを思い出した。数年前に管理会社が変わったのですが、本来なら家賃は銀行へ振り込むところを「近所にない銀行を指定されてるから手数料が高い」と私がゴネたのがきっかけで、直接払いに行くことにしてたのだ。そこを訪ねてみた。
 コワモテのボスみたいなおじさんスタッフに、いまの状況を話してみる。しかし「うちではどうもできません」と、素っ気ない。「けっこう時間がかかるらしいですよ」とも。そうですか。仕方なく引き返す。

 日が暮れる。電気は来ない。こうなると、またたくまに部屋は闇に包まれる。何も見えない。何もできない。
 何か光るものはないか? 懐中電灯は壊れてるんだっけ。あ、どこかにライトセーバーのおもちゃみたいのがあったな。あんなものでも、こんなときには役に立つかな。それをチカチカ光らせながら、おかずを作る。食べる。なんて生活をしてるんだ。
 とりあえずこの日は夜に出かけなければならない用事があった。こんな部屋にいるよりは気がまぎれてマシになるか。
 その日はそれで終わった。
 
 
 帰宅するのは翌朝5時ごろだった。まだ電気は来てない。絶望。とりあえず寝る。
 明るくなってから目を覚ます。電気は来てない。
 あっ、もう1ヵ月分、未払いの払込用紙があった! これのせいか?
 家を飛び出しコンビニへ。帰宅。まだ電気は来てない。
 とにかく待つしかない。手段がないのだ。また寝た。午後の3時すぎたころに目覚めた。まだ電気は来てない。

 おかしい! ぜったいにおかしい!
 あと何が足りないんだ? それを訊きたくても、あんな謎解きのような電話対応ではわからないじゃないか!むかっ
 ストレスもMAXである。血圧も上昇してゆくのがわかる。


 駅前の電話ボックスへ行ってみた。あそこなら電話帳が置いてあるかも・・・と考えたものの、その望みは潰えた。最近の電話ボックスには電話帳も置いてないのだ。
 ダメモトで、もういちど管理会社へ行ってみた。こんどはおばちゃんのスタッフへ相談する。「わかんないわぁ・・・」とか言いながらも検索してくれ、これまでにはなかった東電の新たな電話番号をおしえてもらった。
 なんだこれ、払込用紙に記載されてるのと末尾ひとつ違いじゃないか。
 またまた公衆電話へ。おしえてもらった番号へ架電してみる。もうどこの部署でもいい、とにかく人と話せるところへ繋がってくれ!
 ・・・と、出た。人の声が出た! やっと出たよ!
 無人島に船が通りかかったようなチャンスが、ついに訪れたのだ。私はこれまでの経緯をぶちまけた。ひたすら謝るしかないオペレーターのお姉さん。本当は担当の部署ではないが、対応はできるとのこと。
 結果は「10分以内に復旧いたします」という返答だった。ずいぶん、あっさりと。
 いっぽうで、自動音声だらけの電話については「そのまま待ってたら人が出る」と言われた。私はなんべんもかけてるんだぞ! そんな説明は聞かなかったが?
 あと、どこかの番号で聞いた「架電は不要」というような案内は何だったのかと訊けば「そんなはずはないです。支払ったら電話が必要」とも。するとあれは、やっぱり聞き違いだったのか? しかし最終的に電話は切れたんだぞ。ツーツーという空しい音まで聞いてるんだぞ。
 帰宅した。玄関のスイッチを押す。
 ついた。ついた! ついたああああああ‼ひらめき電球



 これが、私の身に起こった「東電に見捨てられた」顛末であります。電気料金を払い損ねると、こんな酷い目に遭うということです。あわや江戸時代のような生活を強いられ、そこから抜け出すまでの道のりは北海道におけるジャスコ釧路店までの距離のように果てしない。たかが電力を復旧させるまで1日半もかかるとは誰が予想できましょうか。

 

 

 とにかく絶望的な気分に追い込まれた2日間だった。どっちにしても、わかりにくすぎることに変わりはない。私ですらこうなのだから、年寄りだったらもっとわからんだろう。多くの年寄りはまず、自動音声の案内を理解することもできないんだから。
 後日、知人のKさんにこの話をしてみました。すると「東電は“3・11”で叩かれまくったから電話対応をわざとぞんざいにしてるのだろう」とのこと。

 なお「なんで口座引き落としにしてないの?」と思われる方もおられると思いますが、私はそれをやっても口座へ入金するのをすぐ忘れてしまうのと、数年前から引き落としの申し込み用紙を提出しても、なぜか印鑑不一致で却下されるようになったため、もう払込用紙が基準になってしまってるのでした。

 


 ネットは元どおり、できるようになりました。早速、先ほど東電の電話番号を調べてくれた管理会社のおばちゃんへお礼のメールをば。
「先ほど調べていただいた東電の連絡先が役に立ちました。ありがとうございます。あれがなかったら一生、電気のない生活を送ることになっていたでしょう」

 あのさぁ。ここまで書いて言うのもアレですけどね。
 これ、アメトピにするなよ。
 アメトピに選ばれる記事って、こういうのが本当に多いのよ。
「電気料金を払い忘れた結果・・・」ってタイトルつけられて。
 やめてよ、これ私にとっては大変なことでしたけど、読むほうにとっては「しょうもない」で終わりな内容なんだから。わざわざ見に来た人に「読んで損した」って思わせるような記事でしかないんだから。
 こんなのが選ばれるよりも、もっと大事な記事が、ほかになんぼでもあるでしょ。プロレスで棚橋の悪口書いてる記事とか。しりとりとか。
 私は以前にも増して、アメトピに採用する担当者のセンスのなさに憤りを覚えているのだ。

 
 電気を止められたのは12月9日から10日にかけて。おや、12月10日といえば・・・。
 先日のアメンバー限定に書きました、ブログ仲間である「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」の管理人=TAMAさんがお亡くなりになった日だ。
 そんな日に、私はこんなことになっていたのか。
 もしかすると、あれはTAMAさんから送られた虫の知らせだったのかな? な・・・。

 

名付け親と名の由来

 

 

 

 

 

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 ・・・そんな想いが込められてます。

 両親が一生懸命、考えてつけてくれた名前です。