いささか時期を逃してしまった感アリアリだが、やはりスルーするわけにもいかないので記事にします。
 リンクや動画の掲載も含め少々長めになってしまってるので、時間のない方は小分けにして閲覧されることをオススメしときます。



 国際空手拳法連盟「誠心会館」の館長=青柳政司さんが7月に亡くなられた。青柳館長にまつわる名場面についてはここでは端折ることにしますが、個人的な思い出を書いておきたいと思います。
 あれは私が福山に住んでた某年9月半ばのこと。三原リージョンプラザの屋上で新日本プロレスが試合をするというので出かけた。新日本プロレスはこの3日前にも岡山武道館で興行をおこなっており、そっちにも私は観戦に訪れている。このころの私は岡山武道館の試合へはかなりの頻度で足を運んでいたものだ。
 ・・・と記憶していたのだが、いま三原リージョンプラザを検索してみたら記憶にあるものとは違っていました。私の記憶ではショッピングセンターのような店という印象だったのですが、三原リージョンプラザはもともとスポーツをおこなうのが目的の場所であり、屋上でやる必要はない。屋上の画像もあったけど、記憶のものとはぜんぜん違う。
 仕方なく当時のパンフレットを押し入れから引っぱり出してみました。そしたら私がその日に行ったのは三原市ではなく、東広島市にあった西条プラザだったことが判明。たしかにここはショッピングセンターで、屋上の様子も記憶と一致。いまはもうないそうですけどね。三原リージョンプラザは別の大会で行ったんだと思う。
 で、この日の開始時間は午後3時から。通常より早い。新日本は前日にも夜の興行をやってるので、選手たちはあまり休めてなかったのではなかろうか。個人的には初めて屋外で試合を観戦する経験であり、青空の下、太陽光線を浴びながら闘うレスラーを見るのもかなり新鮮に映ったものです。
 ただしこの日はファンサービスデーの意味合いが強いもので、試合数は少なめ。3日前の岡山武道館が9試合あったのに対し、5試合のみ。

 

❶越中詩郎 1/20 金本浩二
❷武藤敬司 1/20 小原道由
❸蝶野正洋 1/20 山本広吉
❹馳浩&小林邦昭&野上彰&ブラック・キャット 3/60 スーパー・ストロング・マシン&後藤達俊&ヒロ斉藤&保永昇男
❺藤波辰爾&木村健吾&木戸修 1/60 スコット・ノートン&ザ・グレート・コキーナ&ワイルド・サモアン

 

 わりと早めに会場入りすると、客席用に並べられた椅子のひとつに腰かけたノートンが、マスコミと思しき人から取材を受けていたのが目に入った。近くで見るノートンの顔はデカかった。
 試合のことはあまり憶えていないが、珍しく60分3本勝負なんてのが組まれていたようです。あと、当時「ヤングライオン」と呼ばれていた第三世代らが先輩たちとシングルでぶつかった3試合が前座だったみたい。
 このうち、なんとなく記憶にあるのが、天山になる前の山本広吉。週プロには、蝶野を前にビビる山本の表情が掲載されていたっけ。彼らが後に狼群団として時代を築くことになるとは、このときは想像すらできなかったのです。

 

 

 さて、試合数はこれだけではありましたが、そのかわり試合以外のことで客を楽しませるコーナーがいくつか設けられていた・・・ハズ。これも大方、忘れているのですが、ひとつ憶えていることがある。それは青柳館長のバット折りのデモンストレーションでした。
 空手家がスネでバットを蹴って折る。ありそうなショータイムです。おそらく館長はこういうの、よくやってたんだと思います。こちらとしては、そもそもオチがわかってる(バットが折れて大成功)ものなので大した期待をしてるわけではないのですが、それでも生で見る機会はそんなにない。だからバットに注目するわけです。
 ところが。ところがです。バットが折れません! 「おかしいな」という顔をしつつも館長、蹴りを繰り返します。でも、折れません(笑)!
 なんべん蹴っても折れぬバット。だんだん館長が気の毒になってくる。客席の空気を察知したのか、司会進行を務めていた田中リングアナが、また館長が蹴りの動作へ入ろうとするタイミングで「中学生好きな館長」と茶々を入れると、気をそらされた館長が「ちょっと、それを言うな!」といったリアクションをして客が笑う・・・というやりとりが2度ほどあった。
 この場面だけを見て、館長が愛されキャラだったことがわかった。だから館長の訃報が流れた際、関係者が館長を好人物として語られるものが多かったのを見ても「ああ、そうだろうな」と、スッと納得できたもので。
 あのとき、最終的にバットはなんとか折れたのであるが、あれだけ蹴り続けた館長のスネはどれほどのダメージだったのだろうかといまでも心配になる。

 

 

 もうひとつ、だいぶ時期を逃してしまったがスルーするわけにはいかないことをやっておく。なにしろ本件は、おそらく本年度でもっとも話題となり、もっとも考えさせられる事案であったからだ。

 リング禍というワードがある。主にボクシングやプロレスなどの格闘技の試合に起因して、競技者が深刻な負傷や障害を負い、最悪の場合は死亡に至る事故を指す用語だ。それまで「〇〇禍」という表現は一般で使われることがあまりなかったものの、近年におけるコロナ禍で一気に市民権を得た様相である。しかし格闘技の関係者やファンのあいだでは、ときどき使われるワードではあった。
 まず、4月10日のZERO1両国国技館大会メインイベントにおいて、プロレスリングNOAHの杉浦貴と対戦した大谷晋二郎が大ケガをした。頚髄損傷。同様のケガは2017年、試合中に動けなくなり頸椎完全損傷=回復の見込みナシと発表されたまま現在に至る高山善廣が思い起こされるが、それよりも重症であるとの説もあり、事態はかなり深刻。
 ここでは大谷の件に関してあまり言及したくない。控えておこうと思う。
 そして本件。6月12日、さいたまスーパーアリーナで開催されたサイバーファイトフェスティバル2022。ここでおこなわれた第8試合は「NOAHvsDDT対抗戦」と題され、中嶋勝彦&小峠篤司&稲村愛輝vs遠藤哲哉&秋山準&樋口和貞の6人タッグマッチだった。
 試合はまだ前半かと思われた6分ごろ、中嶋の張り手を食らった遠藤が失神KOとなり、そのまま試合がストップ(レフェリーストップ)してしまったのだ。この結末を受けてネットは騒然とした。なにしろファンにとっては「これから盛り上がる」と思っていた矢先のことで、中嶋と遠藤以外にも本一戦へ向けたテーマを抱える選手もおり、彼らとしても見せ場を作る前に終わってしまっただけに。
 しかも遠藤はDDTのチャンピオンだ。団体のトップ中のトップ選手である。その選手が一発の張り手であっけなくマットへ沈んでしまったのだから。中嶋に詰め寄る秋山。会場を覆う不穏な空気。これはプロレスをちょっと知ってるくらいのファンからしても異常事態であるのが察知できたであろう。

 

 

 賛否両論、大いに荒れるネット。なかでも目についたのが「中嶋が悪い」「中嶋はヘタ」「総合でやれ」「三沢さんの教訓が活かされてない」・・・といったもの。はては「ちゃんとプロレスしようぜ」という声があったとか。
 プロレスを何だと思ってるんだろう。
 結局、プロレスをナメてるんだろうな。高をくくってるんだろうな。そんなふうに思ったさ。プロレスが危険なものじゃないとでも思っていたのか?
 でも、そう言われても仕方ないようなプロレスが多いのも悪いんだよな。

 これについては週プロ7月6日号にて、鈴木秀樹がコメントしている。

「中嶋が遠藤に勝った。それ以外、何かあるんですか?」
「中嶋の張り手は強烈だった。遠藤目線で言えば、意識を飛ばされ、残念だけど負けてしまった。それ以上でもそれ以下でもない。リングで向かい合ってるんだから不意打ちもクソもない」
「プロレスやろうぜなんていうプロレスラーは存在しませんから、一般の方の意見だと思います」

 いかにも鈴木らしい。かねてより「仕掛けられても対処できる技術があればいいこと」と答える鈴木からすれば、なんてことのないイチ場面にすぎないのだろう。

 ところがである。この「プロレスやろうぜ」発言の主は秋山だったことで話がややこしい方向へ行ってしまってるというのだ。
 これにより事態はさらに大混乱。ネットにはさまざまな見解が飛び交った。

 


 秋山のコメントは是か非か? あるいは我々には読みとれない真意が、そのなかに込められているのだろうか?
 興味深いのは、たぶんこれを秋山発言であると知ったうえで鈴木が
「一般の方の意見」と斬ってしまっているところ。この両者については当ブログでもスポットを当てたことがあるが、プロレス観の違いがクッキリしていて、しかもおそらくアンタッチャブルな関係であると思われる。
 あれから数年経っているが、今回の鈴木のコメントは単にファンへアピールするものとは異質のものだと私は解釈する。秋山に対するリアルな挑発行為ともとれるのだ。
 この二人の関係は直接試合をするわけでもないのに生々しく感情が伝わってくる。どちらかというと鈴木のほうが攻勢に映るが。

 いずれにしてもサイバーファイトフェスティバル、当方としては「ぬかってしまったか?」との想いである。だって当ブログでは「おなじ系列同士の団体が本気で潰し合いなんかやるわけない」「因縁らしい因縁がない」「だから対抗戦じゃなくて交流戦止まりになる」といったことを書いてきたんだから。
 いや、厳密にいうとサイバーファイト~というよりも中嶋ひとりが他とは違う意識で本大会に臨んでいたのかもしれない。そういえば彼は戦前から
「これはケンカだ」と発言していた。それが、これほどのものだったとは。参りましたよ。まさかこのブログを見て火がついたわけではないと思うが・・・。
 


 ネット上では「故意ではない」「アクシデントだ」という声が多数。
 だが週刊プロレスの元ジチョウこと宍倉清則氏の見解は違った。

 

「偶然ではない」「故意だ」と言い切る。さらには「猪木政権だったら、OKかも」とも。


「大谷晋二郎の事故があったばかりで、三沢光晴の命日の前日に『あれ』をやっているんですよ。ものすごい覚悟ですよ」


 さいわいにして遠藤は数試合の欠場はあったものの、その後は無事に復帰しているのでリング禍にはなっていない。しかしこの一戦はあらためて「プロレスとは?」を大いに考えさせるきっかけにはなったといえよう。

 ボクシングのファンは基本、KOシーンが見たくて足を運ぶ。同様に、プロレスでKOシーンを見て喜ぶファンがいても不思議ではない。それを野蛮だとか無責任だと指摘する向きもいるだろう。そこは否定しない。ただ、そもそも闘いを見るというのはそういうことだ。ふだん理性や道徳やコンプラなどに埋もれさせている、原始的で野性的な部分を開放さす役割を担ってるのはこういうジャンルだ。
 同様のことは格闘技以外のジャンルにもある。かつて上岡龍太郎氏は「このごろのF-1、おもろない。なんでか言うたら、人が死なんからや」というようなことをテレビで発言していた。もちろん現代ならば大炎上必至。だがしかし、そういったものを見てる人は表向きでは認めないかもしれないが深層でそういうものを求めている部分がゼロとはいえないだろう。
 こういうことを書くと「そんなのが見たいんなら他の格闘技へ行けば?」とか「そんなプロレス、見たいと思うのか?」と言われてしまうと思うんだが・・・。
 そんなプロレス? 見たいに決まってるじゃないか! スイングしまくるプロレスを見せられるよりも、よっぽどいい。会場が変な空気になるのも、けっこう好き。
 私はプロレスにも本来は他の格闘技と同等かそれ以上のものがあると思うし、時おりポロリするケンカ的なヤバさも込みでプロレスだと解釈している。それがないんだったらプロレスを見ててもしょうがない。プロレスを見たことにならない。不穏なニオイがプンプンするプロレスや嚙み合わないギスギスするプロレスこそ、お金を払ってでも見る価値があるというものですよ。

 じゃあ本当に選手が大ケガするのが面白いのかというとそういうわけではない。選手が亡くなったり再起不能になったりして、嬉しかったことなど一度もない。そのいっぽうで、まったくそれがなくてもおかしいと思ってしまう矛盾。例えば土木作業や建築現場のような一般的な仕事でも、どんなに気をつけてたってトラブルは起こるもの。ましてプロレス。どんなにきれいごとを言ったところでウリの要素に「危険」が内包していることは隠しようがない。危険じゃないプロレスなんてない。危険だから客は見に行くし、危険を承知で選手はその職業を選んだ。
 選手が大ケガするたびに「頭から落とす攻撃をナシにしろ」というような意見が出る。蝶野までが
「事前にある程度の情報をお互いに知っておくことでも変わってくる。もし相手の故障箇所がわかっていれば、そこは攻めずに試合を組み立てていけばいい」とコメントした。
 そんな忖度したプロレスは見ないだろう。故障箇所は攻めない? おかしいな、弱点を攻めるのが闘いの鉄則だったはずだけど。そういう方向へ行くんだったら、もうプロレスどころか格闘技全般、すべて廃止しちゃえばいいと思うよ。
 しかし、しかし、できるだけリング禍を抑えなきゃいけないのもわかる。選手の負傷は、いたたまれない。
 これからも矛盾を抱えながら、この世界を見ていくのだろうか?

 鈴木秀樹による上記のコメントが掲載された週プロのおなじ号に、ひとつのアンサーがあった。天龍源一郎の見解である。

「勝彦はなんら責められるいわれはない。向かい合ったら一瞬でも相手が動いただけで何か感じて、体が反応するもの。それをディフェンスもせずにのうのうと張り手を食らってノビた。恥じろよ。こういうことがあるのがプロレス。それは昔もいまも変わらない。お前は、そういうことがないのがプロレスだと思ってたのか?」
「遠藤がノサれたあと、残りの2人は何やってたんだと聞きたい。秋山も文句言ってるヒマがあったら、遠藤をコーナーに引っ張って来て、無理やりにでもタッチして勝彦とやり合えばいい」
「張り手食らって四の五の言ってるけど、逆に聞きたい。プロレスに危険じゃない技って何があるんだよ?」
「この負けは一生、彼についてまわる。負けを糧にする? 負け方によるよ。ここから這い上がるのはハルク・ホーガンかトリプルHにでも勝たない限り無理だ」

 

 本件の概要は「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」でわかりやすく解説されてます。



 本大会の戦前、拳王はDDTを「あれはプロレスじゃない」「学芸会だ」とまで言った。こき下ろした。
 だったらNOAHがプロレスでDDTに負けることは断じて許されないはずだ。だがこれまでのNOAHvsDDTではそこまでの差を出せてたとは言い難かった。NOAHがそこまでプロレスに自信があるのなら、同レベルに見せてもいけない。レベルの違いを見せつけなければならない。でもそれができていなかった。だから期待なんてできなかった。
 結果的に今回はNOAHの全勝。差を感じたというファンの声もチラホラあった。DDTとしては示しがつかないことになった。佐々木大輔は
「一生分の恥をかいた」と言い、遠藤は「見せてはいけない姿を見せてしまった」と言った。でもそれでいい。選手が見せてはいけないと思うような姿を私は見たいから。「ここから遠藤が這い上がる姿が見たい」という声もあるが、私は這い上がれない遠藤の姿のほうが見てみたい。予定調和なプロレスなら、もう見たくない。ハッピーエンドなプロレスなら、もうウンザリだ。いい試合よりは凄い試合、拍手されるプロレスよりは凍りつかせるプロレスのほうが見る価値がある。
 負けたほうに傷がつく。負けた側の価値が大きく下落する。そういうプロレスを私は切望している。

 

 

【追記】

 週プロ最新号で秋山特集が組まれた。が、これに鈴木が嚙みついた。やはり鈴木のそれは生々しい。

 互いのプロレス観の違いを認めるのではなく否定し合う。面白いではないか。

 

 語れるプロレスは、いつだって不穏な空気をまとっている。