10年くらい前からずーっと探していた動画がupされているのをついに発見しました。
 意外なことに当ブログでは、ザ・ドリフターズを扱った記事がまだない。「ダメだこりゃ」の動画を使ったり小ネタ的な出し方こそしているが、どっぷりドリフな記事はなかった。強いて挙げると「
シリアス無言劇」というのをやったことならあったが、あれは『志村けんのだいじょうぶだぁ』のネタなのでドリフというよりは志村けんさんのソロ活動だ。志村さんが亡くなったときにはアクセスが殺到したものです。
 今回は正真正銘『ドリフ大爆笑』からのネタである。

 

 

『ドリフ大爆笑』における数あるコントのなかで、私がもっとも好きなシリーズが「ばか兄弟」である。今回は、これについて記事にしたい。


「ばか兄弟」というコントの概要は以下のとおり。
クリップまず、ドリフネタではあるのだが、このコントには、いかりや長介と仲本工事しか出てこない。3番・4番を打つクリーンアップ型の加藤茶・志村けんは不在であり、監督的ポジション(?)な長さんと、いつもは送りバントを得意とする2番バッター・工事の二人だけなのだ。
クリップいかりや扮する兄が赤いつなぎを着ていて、仲本扮する弟が黄色いつなぎを着ている。
クリップ舞台はいつもどこかの工場の物置(アジト)である。
クリップコントの主な流れとしては、①弟がいるアジトを兄が訪ねる→②本当に兄かどうかを確かめるため、弟が合言葉やクイズを出す→③兄がトンチンカンな回答をするも、弟は正解だと思って入れる→④弟が何か勉強をしていて、兄に質問してくる→⑤弟の「2×3は?」の問いに対して兄は「兄さん元気で姉さん死んだ」といった具合のメチャクチャな答えを出す→⑥最後は屋根が落ちてくるか、アジトを出てどこかへ行くかのパターンが多い。
クリップいつもはツッコミ役のいかりやがボケに回るため、ボケにさらなるボケをかますツッコミ不在の展開になりやすい。
 


 それ以外にも大きな特徴として「なぜその衣装なのか?」「なぜ工事はメガネをかけていないのか?」「なぜ長さんはその髪型なのか?」「そもそもなぜ、こんな場所にいるのか?」・・・などといった不思議な点が多々あり、これらを挙げるとキリがない。しかし説明されたためしもないので謎だらけの設定なんである。
 そんな「ばか兄弟」であるが、とくにお気に入りだったのが、この「ずーっと探していた動画」であった。




 この回での弟=工事はいつもと様子が違う。やけに神妙な面持ちなのだ。そして兄=長さんに対する問いも、哲学的な性質のものばかり。
「オレはどうして人間なんだ?」
「いいことと悪いことって、どう違うの? 誰が決めるの?」
「人間はどうして働くの?」

 これらの問いに兄は的確に回答する。ところが今回の弟は簡単には納得しないのでありました――。



 

 工事は何も知らない。だが工事は、自分が何も知らないことを知っている。
 無知の知。いつのまにか仲本工事は、あのソクラテスの域に到達していたのである。




 最終的にパワーワードとなったのは「馬鹿は死ななきゃ治らない」。浪曲師・広沢虎造が語った、浪曲『森の石松』のなかの名文句である。マキノ雅弘監督の映画『次郎長三国志』シリーズへも出演した広沢は、その劇中でもこのフレーズを披露している。
 弟の質問攻めを、兄はこのワードを用いて見事に解決するのである。
 そして兄は自身が馬鹿であることを知っていた。ただし・・・。
 いまとなっては多くのみなさんがご存知のとおり、いかりや長介さんは自身で思うほど馬鹿ではなかったようだ。

 


 これほど中身のあるコントでありながら、同シリーズはいつのまにか放映されなくなってしまった。仲本工事いわく「自分たちは続けたかったが、クレームがついたために放送をやめることになった」とのこと。
 ハッキリとした真相は定かでないが、一部から「知的障害者を蔑んでいると苦情がついたのではないか?」といった見解があるそうな。


 

 お笑い番組を「あんな馬鹿なもの・・・」と蔑もうとするオトナが少なからずいる。
 お笑いというのは基本、馬鹿を表現するものだと思うのだが、どうも彼らはあれを馬鹿そのものだと思っているらしいのだ。
 昨今ではコンプラとかの名のもとに、いちいち難癖つけたがる者が多発し、テレビは表現の幅を著しく狭めねばならぬ憂き目に遭っている。面白いことができない。
 とくにお笑い番組などにいえることだが、見る者はテレビに非常識を求めているのにそれを規制されているのだ。これではテレビ本来の役割が果たせない。
 難癖をつける者の多くはシャレのわからぬ連中だ。笑いに理解のないやつらだ。また、当たり前なことでもイチから説明してあげないとダメなタイプにも属する。




 かつて上岡龍太郎氏が以下のように指摘していた。
「テレビは視聴者を馬鹿だと思って作っている」
「いちいち“このドラマはフィクションです”というテロップを流す。ふつうは、あんなもの流さなくてもわかるんです。一部の馬鹿のためにああやってテロップを出している」


 この場合の「一部の馬鹿」というのは、ばか兄弟とは違って有害枠として分類されます。
 要するに、その手の連中のせいで全体がそっちに合わせなきゃいけないような流れになってしまっていると。それが近年、さらに加速していってると。結果、テレビがぜんぜん楽しくないものになってしまってるのですね。
「あんな馬鹿なもの・・・」と蔑もうとするオトナは、さもわかってるふうな顔してますよね。だけど彼らは、テロップを流さなくてはわからないか、流してもわからない人たちなんですよ。
 非常にタチが悪い。私は常々、笑いを理解することは生きてるうえでの優先順位で上位にあるべきだと主張しているのですが、彼らにとって笑いというのは「くだらないもの」といった認識で止まっているのでしょう。
 ひと口に「くだらないもの」と言っても種類はあって、お笑いにおける「くだらない」には高度なテクニックが求められる。しかし、あからさまにテクニックが伝わってしまうと笑えなくなることもあるので、あくまでも馬鹿っぽく展開するわけで。誰にでもできるものでもない。だからお笑い芸人はリスペクトされるのだ。

 


 最後に志村さんにまつわる有名なエピソードを書いておこう。
 志村さんは、その芸風で子どもたちから馬鹿にされることに内心、憤慨していた時期があったらしい。ある日、東八郎さんに「東さんはその歳になっても、なぜ馬鹿な演技ができるのですか?」と相談したところ、以下のように諭されたという。
「子どもに馬鹿にされるのは芸人として当然。オレはいつもこうやって馬鹿やってるから若い人の中にでも平気で入れる。お笑いは馬鹿になりきること。わかる人には、演者が馬鹿ではないとちゃんとわかる。むしろ芸人が利口面をしたがったり、文化人ぶったりするようになったらおしまいだよ」
 そのことばにいたく感激した志村さんはこれを座右の銘とし、その後、東さんを大いにリスペクトするようになったという。

 

 東さんが本当は馬鹿ではなかったことは1988年に、志村さんも本当は馬鹿ではなかったことは昨年3月に証明された。