♪ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニニンが三蔵
 ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニシンが悟空♪

 

 さぁやってまいりました、よいこのデンジャラスセレクションシリーズ。テーマ「そんなに陽のあたらない名曲」の一環としてシリーズ化しておりますが、もうこのスタイルが通常運転になってしまっております。
 扱う曲、扱う曲、ことごとく「知らねー」と言われつづけて幾年月。そういう性質の記事を作ってるんだし、そういう性質のブログなんだから、読者のみなさまにはそろそろ慣れていただきたいところであります。
 こんな記事でも約2名ほど、お好きな方がいらっしゃるのよ。  (´0ノ`*)

 その17回目。このたびは【行け・歩け・走れ】にまつわる曲の特集。拳を握って小橋建太ばりに「いくぞー!」と高揚させるに使うもよし、絶賛継続中なGoToトラブルのお供にするもよし。幅広い用途で使用できる音楽を集めました。ぜひとも「なにが出るかな、なにが出るかな」と予想しながらご覧くださいませ。注意一部、不適切と思われる表現がございました。 <(_ _)>>
 なお予めおことわりしておきますが、当記事には『行け! グリーンマン』『行け! 牛若小太郎』関連の曲は入っておりません。予想された方、残念でした。ボツになったんですよ。
 それでは早速、いくぞー!
グー ゴーゴーウェスト ニンニキニキニキニンニンニン♪



♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*


音譜パチソン『よあけのみち<作詞:岸田衿子/作曲:渡辺岳夫>


 日本アニメ史上、燦然と輝く不朽の名作『フランダースの犬』。その作品についてはここで語るまでもないが、どうしてもという方はよそでご覧になるかリンク先の記事を読んでいただきたいと思います。
 あれだけ有名な番組であれば当然、その主題歌も知られるところでしょう。『よあけのみち』。ではそんな有名な番組の有名な主題歌を、なんでいまさらここで扱おうとしたのか? それはパチソンだからです。
 パチソンといえば当コーナーにおいては初期のころからキラーコンテンツ的な役割を担ってきたジャンルであったのですが、ここ5回ほど・・・期間にして2年近くもオーダーされてなかったのです。由々しき事態でありますね。
 これではいかん! ・・・とばかりに、本日は満を持して投入することにした次第です。
 本家歌手は卓越した歌唱力と包み込むような優しい歌声で、ささきいさお、堀江美都子、水木一郎らとともにアニソン四天王の一角として活躍していた大杉久美子であった。対する当パチソン歌手は・・・名前はわからんが、パチソンのなかではしばしば耳にする歌声の持ち主かと思われる。
 歌声を聴いたかぎりの私のイメージは「嫁に行き遅れたオールドミス」。「肺活量が低いのか?」と心配になるような弱々しさと、いかにも低音が苦手ですといわんばかりの危うさが特徴。曲じたいは「そらにつづくみち」をひたすら歩いていこうとするものなのに、この声では1㎞も歩けば息が切れて力尽きてしまうのではなかろうか。
 さらに使ってる楽器が間違ってるような気がするイントロのヘッポコぶりは、いかにもパチソンらしくてグッドである。だが最大の聞きどころは、本家には入っていないパトラッシュと思われるイッヌの「ボウッ」という鳴き声を耳にできる瞬間があることだろう。ただし、この声はネロのパトラッシュじゃなくてジャイアンのムクだと思うんだよね・・・。 (;''∀'')



♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*

 

音譜マイティ井上『エマの面影<作詞:徳久広司/作曲:徳久広司>



 マット界屈指の美声を誇ることで知られる“ミスター・グッドマン”ことマイティ井上。彼が『エマの面影』なるレコードを出していたことはかなり前から知っていたのだが、実際に音源を耳にするまでにはずいぶんと時間を費やしたものだ。
 本曲は1984年にリリースされたというから、マイティが全日本プロレスへ上がっていた当時のものということになる。
“ザ・ムード歌謡”と呼ぶに相応しい。幸薄そうな女が男の帰りを待っているらしいのだが、男のほうは何か用事でもあるのか、そう都合よく女のもとへは行かれませぬ。でもそのうちマンション買ってあげる――というような内容の歌詞である。
 これを、いかにもナイトクラブあたりで歌ってそうなマイティのネチネチとしたヴォーカルが包み込むのだ。すべてがハマっている。ムード歌謡に必要な要素が揃っている、とでもいうべきか。
 曲のドラマ的要素にはあまり面白みがない。だけど男のほうの帰れない事情というのは想像がつく。だって男はプロレスラーだから。札幌のすすきのあたりで女が待ってるあいだ、男は巡業中で鹿児島県立体育館とかで試合をしてるのだ。そりゃあ、簡単には迎えに行けるはずがないのである。
 国際プロレス出身者には美声の持ち主が多い印象があるが、そこはプロレスラー。ラッシャー木村を筆頭に、試合のダメージでノドを潰してしまう選手も数知れず。そんななか、マイティはノドを潰されることなく美声をキープできた強運の持ち主だったのだろう。試合後に訪れる夜のお店ではモテモテだったのだろうか?

 ちなみに本曲は近年、『タブレット純のエレジー・エナジー歌謡曲 ~暗い歌こそ、生きる力~』という本で採り上げられているらしい。

 


♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*

 

音譜新日本フィルハーモニー交響楽団『青い鬼火の淵 (道行のテーマ)<作曲:芥川也寸志>


「八つ墓村の祟りじゃあああああ!」
 以前、映画『八つ墓村』のサウンドトラックをよく聴いていたことがあると当ブログへ書いたことがある。単に映画で使われていたという付加価値抜きに、芥川也寸志氏の音楽家としての底力をまざまざと見せつけられるような作品の数々であった。
 なかでもこの『道行のテーマ』の美しい旋律には、とくに心惹かれるものがあった。主人公・寺田辰弥(演:萩原健一)が産み落とされたとされる“龍のあぎと”を、青年となった辰弥と、のちに事件の真犯人だと判明することとなる森美也子(演:小川真由美)が訪れるシーンで使用されたBGM。
 おどろおどろしくホラー的な要素の強い『八つ墓村』という映画には、やはり恐怖を煽る音楽が多用されている。だが本曲の醸し出すワルツの調べは神秘的かつ幻想的。壮大さと物悲しさが相まった珠玉のシンフォニーといっていい。
 当時はシングル盤としてもレコード化されていたことから、スタッフも本曲の素晴らしさには気づいていたのだろう。
 動画を作った人が『呪われた血の終焉(落武者のテーマ)』との2曲収録でupされてますので、そちらも一緒にお楽しみを。これは映画の終盤で田治見家の屋敷が火事になり、それを峠の上から落武者の怨霊たちが見下ろし笑っている場面で使われたBGMです。
メラメラ


♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*


音譜西城秀樹『明日に向かって走れ<作詞:竜真知子/作曲:馬飼野康二>


 長らく当ブログをご覧くださってます読者の方々にとられましては少々意外なことかもしれませんが、これまでのうちの記事の累計でアクセス数がいちばん多いのは断トツで「HIDEKI Greatest Hits Mega-Mix ――昭和は遠くなりにけり②」なんですよね。書いた本人が、そんなことになるなんてまったく予想もしてなかったことで。あれは西城秀樹さんが亡くなられてから書いた記事でした。
 ブログだけじゃなく、ツイッターでヒデキネタを投稿すると、そのインプレッション数やエンゲージメント率は極端に跳ね上がる。変だなぁ、彼の生前にもヒデキネタはときどき投稿することがあったのに、当時は大した反響はなかったものです。
 私はヒデキの生前から、彼が歌手として正当な評価をされていないと感じていて、それを常々悔しく思っていたのですが・・・どうやら亡くなってから気づかれた方々が非常に多かったようなのです。そこには、ヒデキの生前、ヒデキを大切にしてこなかった負い目のようなものがあり、その埋め合わせをしようとしてる人も少なからずいるのではないかとも感じます。
 彼の歌声をちゃんと聴いてみればわかるはずなのだが、まず基本ができている。だけど基本だけでは到底追いつけないような何かが、彼の声にはたくさん宿っている。あんな歌い方のできる歌手は他にいないのだ。それなのに何故、歌手・西城秀樹が軽くみられてきたのか? ――これについて私なりの見解を書いてみたい。
 西城秀樹の全盛期は歌謡曲に勢いのあった時代であり、同時に演歌の支持率もかなり高かった。それがだんだん情勢も変わってくるようになる。シンガーソングライターが台頭してきた。ロックや、ニューミュージックと呼ばれる音楽が、歌謡曲・演歌に追いつき、追い越せといわんばかりの支持率を誇るようになってゆく。自分で曲を作り、歌唱力もあるアーティストたちが多数、世に放たれたのだ。歌唱力よりも容姿優先をウリとし、バラエティ番組でコントもこなすタレントのような歌手に比べ、ときにテレビ出演はいっさい拒否するロック・ニューミュージック寄りのミュージシャンの在り方は、音楽に対してより真摯な姿に映っていたのかもしれない。
 これに加え、名前は伏せておくが某大物アーティストのM任谷由実氏が「生みの苦しみ(自分で曲を作ること)を知らない歌手は尊敬できない」というような意味合いの発言をしたこともあった。ロック・ニューミュージックは歌謡曲よりも格上、という認識。正直、私もそう思ってたことがある。実際、歌手という肩書きを持ちながら歌唱力を問われないアイドルが跋扈した。これもその流れに大きく拍車をかけていたように思う。
 西城秀樹はロックを日本に根づかせることに多大な功績を残した歌手である。事実、多くのロックミュージシャンからリスペクトされている。だけどヒデキの場合は扱ってる音楽はロックだけども、彼自身がロックというジャンルに内包される「青少年の反乱」「政治的思想」「社会的問題」・・・などをそれほど前面に主張するタイプではなかったうえ、内田裕也氏のように「(フォークとロックの違いは)ドラッグをやって、するのがロック」と言い切ってしまうようなタイプのロックンローラーでもない。彼自身が曲を作るわけでもない。どちらかというと、世間的にはロッカーというよりは「歌謡曲畑の人」とか「バラエティ番組に出てるアイドル枠」としてみられていたように思う。
 野口五郎の項にも書いたが、アイドル枠に組み込まれてしまうと一般の歌手と比べ低いポジションという見方をされてしまう。これがヒデキにとっては、仕事は増えるんだろうが歌手としては損なポジションに追いやられる要因だったのではないかと思えてならないのだ(※同様のことはフォークグループ・ガロにもいえますね)
 ただ私は、ヒデキという人が他のアイドルと同列な見方をされることに違和感を抱いていた。ぜったいに誰にも追いつけない歌唱力――それが突出していたからだ。聴けばわかるじゃん、とも思っていた。誰かが「歌手の歌声は楽器のようにあれ」というような記事を書かれていたが、それは私も前々から感じていて・・・ヒデキの歌声は唯一無二の楽器であったと思う。
 また彼自身がアイドル枠にされてしまったことに不満を抱くような態度を表に見せていた記憶はないのだが、そのかわり「アイドルに必要なもの? 歌唱力」と、ケロリと答えたことがある。もしかしたら時代がそうじゃなくなってることに気づいていたのかもしれないけど、だけど彼のなかでは「オレはそっちの方向へは行かない」という反発心のようなものがあってそういった発言に繋がったのではないかと、私なんかは勝手に推察しているのであります。あれがヒデキなりの、歌手としてロッカーとしての「主張」であり、「主流になりつつあるものへ抗う姿勢」だったのかもしれません。
 日本の大衆は結局、見て呉れのいいものには簡単に心を許すが、聴覚で感じる能力は鈍いのだろうか? 雑だ。
 さて今回扱います『明日に向かって走れ』は1978年11月25日にリリースされ、ファンのあいだでも高い支持率を誇るバラードソング『遙かなる恋人へ』のB面曲であります。初めてコレを聴いたとき、私は「うわあ、ヒデキのいいところがフルに出てるじゃないかああああ!」って思ったんですよ。言いすぎですかね? あくまでも私がイメージするヒデキのいいところなんですけどね。どうやってこんな声を出せるようになったのか、本当に不思議でしょうがない。
 でも似たようなことを感じ方をした人は私だけじゃないと思う。某ファンの方もコレが好きで、発売当時はA面もそっちのけでこっちばっかり聴いてたんだって。うん、なんかわかるよ。



♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*


音譜三上寛『おど<作詞:三上寛/作曲:三上寛>



 フランツ・カフカは言いました。「I think we ought to read only the kind of books that wound and stab us.(私たちは自分を傷つけ刺すような本だけを読むべきではないかと僕は思っている)」と。
 痛みをともなわない読書、慰めてくれるだけでオシマイの文字体験では人は成長しない。キャパも広がっていかない。似たようなことは音楽にもいえることであろう。いくら好きだからといって、いつもいつも自分に都合のよいものばかり聴いていたら、ずっとそこにとどまったままになる。
 美しいものに感動し「まぁキレイ」と口にできる資格を持ちたければ、この世の醜い暗黒面も知っておく必要がある。美しさや華やかさをまとう商業音楽のファンタジーな世界に酔うのもいいが、それが済んだら生々しく血の香漂うリアルにも触れて帳尻を合わせよう。
 ここにとんでもない歌がある。容赦なく、ノド元めがけてグサグサ突き刺す歌がある。美声とは対極にあるダミ声、おぞましいことばの数々、そしてぜったいに遭遇したくないであろう地獄が、ここにある。暴力的、という表現ですら生ぬるい。彼の歌は暴力そのものだ。
 あざとさ丸出しの商業音楽が大衆を集め、うまうまと引っかかる大衆がいて。だけど三上寛の歌はそれとは真逆で人を寄せつけないような音楽で。“怨歌”だから。リミッターなど、まったくかかっていない。心で歌う歌だから、リミッターをかける必要がない。でも、本当に心で歌を歌ったら、こうなる。本当に人の心を知ろうとしたら、こうなる。こうなるのじゃ!
 本曲は1971年にリリースのLP『三上寛の世界』のA面の最後へ収録されていた曲であったが、動画のそれは1991年にファンクラブ会員に向け100枚限定で発売したという『十九歳二ヶ月十六日夜。』からの幻の音源(1970年に渋谷の「ステーション'70」で記録されたライブ盤らしい)。のちにCD化もされたが、こちらは777枚(ラッキーナンバー?)限定発売だったそうだ。
 なお「おどが死んでいたから僕はそれを捨てようと思って海へ行こうと思った。海へ行く途中、四ツ谷三丁目で赤胴鈴之助と会った」「おどが首吊って死んでいたので僕はそれを捨てようと思って海へ行こうと思った。青森駅で吉永小百合と会った」・・・といった意味不明な台詞がありますが、これらはもともと『三上寛の世界』へ一緒に収録されていた『カラス』という曲に使われていたフレーズだと思う。
 冒頭の台詞が小さくてかなり聞きとりにくいです。でも、うっかりボリュームを上げると爆音を聞かされるハメになります。そういう意味でもこの歌は暴力です(苦笑)。
 三島由紀夫は言いました。「最高の芸術は最初は少し不快感を催す」と――。



♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*


 以上、5曲。お好みの曲はありましたでしょうか?
 よいこのデンジャラスセレクションは、ファミリーで安心してお楽しみいただける選曲を心がけております。じいちゃん、ばあちゃん、お孫さん、そろったところではじめよう。
 よいこはさらによいこになり、そうでないこもそれなりに。では次回をお楽しみに~。 (^_^)/~

 

かお

 

かお

 

かお

 

かお

 

かお

 

 ・・・立つ鳥跡を濁してやり逃げしようと思ったんですけど、やはりこのままでは良心の呵責に苛まれるような気がする。
 5番目のやつが、それより前4つの余韻をすべて消し去ってしまった。破壊力が大きすぎる。「死ねばいい 死ねばいい 死ねーばいい~♪」と連呼する歌で終わりにしちゃ、マズくね?
 これじゃファミリーで楽しむことはできても、もし来客があった際に聴いていたらアタマおかしいのかと思われてしまうかも。うっかり大きめの音で聴いていたら、外を歩いていた通行人に通報されてしまうかもしれない。
 もう1曲、追加するから許してくれ。それでいくらかは中和できるでしょう。お客さんにも言い訳が立つでしょう。なにしろ当コーナーは安心がモットーなのですから。

音譜愛川欽也『うつむいて歩こう<作詞:菊池秀行/作曲:菊池秀行>



♪うつむいて歩こう 何か落ちてるはず♪
 もうね、イントロの時点で坂本九の『上を向いて歩こう』のパク・・・いや、オマージュ曲というのが一発でわかります。あっちが涙がこぼれないように上を向いて歩くのなら、こっちは何かを拾えるように下を向いて歩くのです。
 本曲は1976年公開の映画『キンキンのルンペン大将』の主題歌でありますが、事実、劇中では主演のキンキンが落ちてるお金を拾おうとする場面が描かれています。
 上を向いて歩く者と、うつむいて歩く者。両者に共通することは、どちらも何かに傷つき落ち込んでいるであろう点。ではどっちの歩き方が効率がよいのであろうか? 上を向いて歩く者の利点は涙が落ちないようにすることらしい。これに対し、うつむいて歩く者の利点は何かをみつけることができること。お金かもしれないし、
うんちを踏まずに済むかもしれない。
 そして、うつむいて歩く者にとって、上を向いて夢を見る行為は“とってもとっても辛い”こと。上を向いて綺麗な天の川を見るという行為は“気分が痛い”こと。うつむいて歩く者は、上を向いて歩く者ほど真っすぐでも純真無垢なタイプの人物でもないのである。
 たぶん上を向いて歩ける者の数は、そんなにいない。涙がこぼれないように我慢してたらハナミズになってカッコ悪くなるのをみんな知っている。それに、真に悲しみと遭遇した者は、真に絶望と遭遇した者は、流したい涙も湧いてこない。実際に泣いているのは“人の足跡”だったりする。だからこそ、うつむいて歩く者の歌は人の心をとらえる。
 落ち込んだときは、とことんまで落ち込んだほうがいい。そのほうが回復も早いのだ。だから、うつむいて歩くのは効率的であるといえる。
 上を向いて歩く者と、うつむいて歩く者。もうひとつ、両者には共通点がある。どちらも何かにぶつかって事故やケガにつながる可能性が大、という共通点が。



♪*:・’゚♭.:*・♪’゚。.*#:・’゚.:*


 ありがとうキンキン、こんにちはケロンパ。やっててよかった、6曲目。だけど、うちのブログでこのような忖度を加えるのは珍しい。
 らしくもないぜ? 木村健悟か。稲妻戦士か。
雷

 

 あとですね。冒頭で今回のテーマに沿った出囃子のつもりで「ニンニキニキニキ~」ってやってたんですけど。なんか自分でも書いててスベッてる感がありましたんで、どうか記事を見たあとは各自、記憶から消去してくださいますようお願い申し上げます。

 それ、今日の記事でいちばん大事・・・。 o(T_T)o