相次ぐ著名人の訃報。おそらく今後、この流れはさらに加速するものと思われる。
 ここ最近では、とりわけ個人的にガックリ感の強かった方が2人いる。そのひとりが衣笠祥雄さんだ。
 
 いつものように北別府さんのアメブロを開いてみた瞬間のこと。そこには衝撃の事実が綴られていました。
 文面から北別府さんの動揺が伝わってきましたが、私は私でフリーズしてしまったものです。

 

 

 私はプロ野球もまあまあ観る。近年ではとくに贔屓にしてる球団がないのに加え、CS制度申告敬遠の導入、予告先発投手の義務化やらですっかりシラケてしまい、どうでもよくなってしまったというのが正直なところ。それでもテレビやラジオで観戦できるときは観ることが多い。
 そのわりには当ブログで野球の記事を書いたことはほとんどない。強いて挙げれば「日本一遅いプロ野球順位予想」くらいなものだろうか。
 これは、野球で感じたことはここでわざわざ記事にしなくても誰かが発信してくれてると思うからだ。競技そのものがメジャーだし、自分より詳しい人はいくらでもいる。衣笠さんのことにしてもスーパースターの部類に入るほどの人なのだから、自分なんぞが記事にしたって大して目新しいことを書けるわけがない。だから遠慮すべきかどうか、けっこう迷った。
 それでも自分にとって衣笠さんという野球選手は大きな存在であったのは事実なので、大したことではないが「私のなかの衣笠祥雄」をここに残しておこうと思う。そう、いくつか前の記事で「〇〇さんのことを書こう」と予告していたのは衣笠さんのことだったのです。
 

 昨今では地上波放送すらめったに見かけなくなってしまったプロ野球中継ですが、かつてシーズン中は連日放送が当たり前の時代がありました。テレビは一家に1台、そこへチャンネル権のある親父がいるとなれば、必然的にお茶の間は野球をテレビ観戦することになる――これが一般的な家庭だったのです。それほど日本人にとって野球というメジャースポーツは密接な娯楽であったといえましょう。
 こうなると野球を好きか嫌いかはともかく、テレビに映ってる野球選手の名前くらいは覚えてしまいますので、彼らの知名度はかなり高かったはずです。そして、長くプレーしていた選手はスターでした。
 
 現代ならイチローや大谷翔平らがスターになるんだと思うのですが、当時のスターというのはまた質が違っていたと思います。といいますのも、イチローや大谷ら現代のスターと呼ばれている人たちは、単純に「結果を出している」ことで人びとに称賛されているというもの。勝つ喜びでファンを喜ばせていると。もっと言えば「成功者」の姿ですかね。まぁ単純なことというか、当たり前なことといいますか。
 ただ、時代のせいもあってか、野球に興味のない人からするとイチローや大谷クラスでさえ、そのプレーを見たことがない人だって多いんだろうと思われます。テレビ中継の激減はおろかテレビを見ること自体を放棄する人も増えてる昨今(当ブログ名物のI氏は特別だが)、彼らの顔すら把握してない人だってきっといるはず。
 かつては好むと好まざるにかかわらず軒並み知っている、というのがプロ野球選手のトップであり、そのなかでも突出している選手がスーパースターだったと思うのです。
 
 ところで。これは個人的な感覚ですが、イチローや大谷らのように、プレー自体もレベルの高い成績を残せて言動も立派そうでルックスもよくて・・・という、まったく非の打ちどころのない選手では感情移入する気になれない私のような者もいるというのをお忘れなく(笑)。
 たしかに彼らはすごいのだろう。でも、面白くないんです。そうでなくても野球選手は「5ばっかりの人」より「5はひとつだけで、あとは1や2ばっかりの人」のほうが好きでしてね。そういう欠陥だらけのコマをどう組み合わせてゲームを進めていくかが野球の面白いところだと思ってるので、いわゆる「攻」「走」「守」の三拍子そろった万能選手は、あんまりいてほしくないんですよね。
 投手なら「球は遅いが被打率は低い」とか
「リリーフ専門なのに規定投球回数を投げている」とか「防御率は最悪なのに、なぜか勝率がリーグトップ」とか野手なら「長打力はあるが率は低くて守備が下手」とか「打つのも守るのもダメだけど走塁技術だけはめっぽう高い」とか「出れば活躍するのだがケガばっかりしてて欠場が多い」とか。不思議な成績を残せる選手や問題児も魅力的です。
 
 衣笠選手はどうだったのか? 私の印象は以下のとおりです。
 まず、ビジュアル的なインパクトが抜群でした。先ほど書きましたように、かつてのプロ野球は好むと好まざるにかかわらず目に入ってくるものでした。そのなかでも広島東洋カープという球団の野球中継は、私が住んでいた広島県地方での放送率が非常に高いもの。だから野球の面白さがわからないときにあっても主力選手の名前くらいはわかるようになります。
 ただ、名前と顔が一致するのはごくわずか。しかし、そんな者にも衣笠選手の風貌だけは、いっぺん見ただけで覚えてしまう。ある意味、ビジュアル系だったのです。
 これは衣笠さんのお父さんが黒人の方だったということで一般的な日本人とは見た目的に違いがあったからだと思います。口の悪い輩は「●●じゃ」と言う者もいましたが、なぜか私は見とれてしまうような不思議な魅力を衣笠さんに感じていました。
 どっちかというとワイルド系ですよ、見たかんじは。ところが当の衣笠さんは誰もが紳士的な方だと口をそろえるナイスガイらしいのです。読書家でもあったそうで、口調もやさしくて、あんまりワイルドだったという話は出てこなかったように思います。強いて挙げれば野菜をあまり食べない肉食系だったことくらいか。
 
 
 後年、私にも野球の面白さがわかるようになりました。そこで見た衣笠さんは、衰えの目立つようになった同学年の盟友=山本浩二選手に代わり、ますます絶好調になっていく時期だったのです。長らく一軍にいるわりには初の打率3割クリアとMVPを獲得したのが2000本安打を達成した後、いうのが遅咲き感を出していて苦労人のような雰囲気をまとっていましたが、それまでだってじゅうぶん一定レベル以上の成績は出し続けてきた選手であることは誰もが認めるところでした。
 ここまでの衣笠さんは、とても器用な選手に見えました。このときは三塁手として活躍していましたが、聞くところによるともともとは一塁手、しかも上手いとの評判で。
 また打者としては基本、クリーンアップを打つイメージが強いですが、彼はどの打順でもこなせる選手だったようです。盗塁王を獲ったこともあるくらいですから脚力もあり、意外なことに、ある解説者からは「この人、バント上手いんですよ」と太鼓判を押されていたこともあります。
 おなじ時期の同僚に木下富雄という内野手もいましてね。投手と捕手以外ならどこでも守れ、ときにはスタメン出場もこなし、評論家からは「4番以外なら何番でも打てる」と評価されてた器用な野手でしたが、どちらかというと守備固めや代走要因としていてくれたら心強い、いぶし銀タイプのユーティリティプレイヤーというイメージでした。
 衣笠さんは4番はもちろん、たぶん1番から7番くらいまではすべて経験したことがあるのだと思う。
※余談だが、2番バッターの時期が長かった正田耕三選手は「バントは上手くない」と言われていたことがある(セーフティーバントの成功率は高かったが)。
 彼が首位打者になったり高打率を残していたのは基本、1番打者として先発出場してる時期だったと思います。先代の赤ヘル・トップバッターだった高橋慶彦選手は「1番がいちばん気楽ですよ。ヒットでも四球でも塁
に出れば仕事したことになりますから」とコメントしてたことがあるが、器用さを求められる2番のときの打率が低かったのは案外、そんなところに要因があったのかも?
 
 ところがです。やっぱり衣笠選手は不器用な選手なんだということをこれでもかというほどに見せつけられることになります。
 スランプになると、それが長いこと長いこと(笑)。彼の場合、調子が悪くても試合を休まないという設定(?)になっていたので、そのぶん他の選手よりも苦しんでる姿をファンに晒す時間も多くなっていくのです。
 もともと彼のスタイルはバットをブンブン振り回すことを信条としていて、右方向へ流し打つなどして率を稼ぐ打ち方は好きではなかったそうで。おそらくそういうのも要因のひとつだったのかもしれません。
 しかし、振り回すことが彼の打者としての在り方だと信じているのならば、そうそう曲げられるわけもありませんね。また、そういうスタイルが一部のファンの心をとらえ、空振りですら魅了できるキャラクターに上りつめたのですから、もうコレはコレでアリなんだと思います。
 そういえば衣笠さんは長嶋茂雄選手に憧れていたそうで、長嶋氏とおなじ背番号「3」もサードのポジションもゲットできたわけですが、三塁手としての魅せ方や空振りの魅せ方も考えていたということは、やはりプロの選手だったんだなーと思わせる部分。
※長嶋氏が巨人の監督を務めてたころ、当時の4番だった清原和博選手に大きいサイズのヘルメットをすすめたことがあった。残念ながら清原選手はこのアドバイスに耳を傾けなかったらしい。三振に意味をもたせることができなかったのだとか。
 おそらく長嶋氏が言いたかったのは「空振りした際、ヘルメットを飛ばす視覚効果で客を楽しませなさい」というものだったのだと思われます
 
 
 さらに言えば。
 衣笠選手が築いた大きな記録として有名なのが連続試合出場ですが、その最大のピンチとして語り継がれているエピソードに、デッドボールを受けて骨折したのに翌日の試合へ出て3回フルスイングしたことがよく挙げられます。
 ですが私が思う最大のピンチは、そこじゃなかったんじゃないかと思うのです。
 選手としての晩年、衣笠選手は極度の不振。そのシーズンの大半を打率1
割台で過ごしていました。最終的にはなんとか.205まで上げることはできましたが、近代野球においてこの低すぎる数字しか出せないことは想像を絶せるツラさだったのではないかと思いました。
 しかもこの年は優勝争い(結果的には優勝)もしていて、盟友の山本浩二選手はベストナインに選ばれる活躍をしていながらもシーズン後に引退。衣笠選手の打撃成績は、それよりもずっと低かったのです。何かの本に書いてありましたが、ある審判の方は「オレは浩二さんより衣笠さんに引退してほしいよ」ともらしていたらしい。当然、スタンドからも「記録のために出続けてるのは見苦しい!」との心ない野次もあったとか。
 さらにその翌年は監督の阿南準郎氏が配慮してか、2打席ほど立ったあとの後半はランディ・ジョンソン内野手に交代して休ませる、という起用が目立った。衣笠選手の打撃不振度は前年ほどではなかったが、往年ほどの勢いはない。幸か不幸かジョンソン内野手は守備も打率も安定していた選手だったので、衣笠さん本人にとってはいたたまれなかったのではないかと推察する。
 それでも衣笠選手はスタメンとして出場し続け、ついにルー・ゲーリッグ選手の2130試合を更新し連続試合出場の世界記録を樹立することになります。これを素直に祝福する人もいれば、そうじゃない人もいたはずです。当時カープに在籍していたリチャード・ランス選手などは、偉大な記録であることは認めつつも「ただ、(ゲーリッグと比較して)どっちが打者として優秀だったのかはわからないな」との微妙なコメントを残していた。・・・まぁ、ランスさんはバックステージでも不良ガイジンとして有名だったそうですけど(笑)。
 この年をもって衣笠さんは現役を引退するのだが、その理由が「打つだけならまだ自信がある。でも守備が・・・」というもの。たしかに打撃は不振でもゴールデングラブ賞を獲得した前年と比べるとエラーの目立つ場面が増えた。だが、それでもまだバッティングには自信があったと言ってしまうあたりは鉄人なりの強がりだったのか、私的にはニヤリとさせられるコメントだったものだ。
 
基本タイプターザン山本体制下の週刊プロレスの記者で、ジャイアント馬場率いる全日本プロレス担当だった市瀬英俊氏のツイート。
市瀬氏は熱心なヤクルトスワローズのファンでもある。
 
 たしかに、なかなか結果を出せない選手を見ているのはツラい。でも衣笠選手を見続けた者にとっては、そういうのも込みで“衣笠劇場”の重要なイチ場面であったと解釈してることだろう。
 そして苦しんでる姿をもっともたくさん提供してくれたのが衣笠選手だったように私は思う。ゆえに感情移入の度合は勝ち続けている選手に抱くそれよりも、たぶん強い。
 
 
 何が言いたいのかというと。
 いいときだけじゃなく、よくないときもたっぷりと、それも好むと好まざるにかかわらず大衆の目に入る環境のなかにいたことで、彼ほどたくさんの苦しみをファンと共有した野球選手は他にいただろうかと思うのです。それがいいとか悪いとかじゃなくって、テレビとのつながりが希薄になり、野球がマニアックな世界になりつつあるいま。そして少々調子が悪くても試合に出してもらえる球団の環境など、さまざまな条件がそろわないと、ひとりの選手をあんなにコッテリ見ていられることもできないでしょうね。
 まだまだ合格点以上の成績を残し、惜しまれつつ引退するのもひとつの在り方。いっぽう衣笠さんのように痛々しさもすべて晒して続行していくのもひとつの在り方なんだろう。
 
 ・・・う~ん、やっぱり言いたいことがうまく表現できないや。えーん
 
 
 あのぅ~。
 今回の記事でやろうとしていた企画があったんだけど、思いのほか長くなったので次回以降へ繰り越し
します。野球