大学在学中はひたすら司法試験予備校の通信講座をテープで聞いて勉強するというスタイルだった。
予備校の講師は自前のテキストを絶賛し、基本書を馬鹿にするような発言をたびたびしていた。
予備校信者となった自分はこの言葉を鵜呑みにし、予備校テキストのみを信用するようになった。
六法すらあまり開かなかった。
学校の授業は意味がないと勝手に決めつけ、授業も仮面浪人の時と同じくほとんど行かなかった。
俺は高尚な司法試験の勉強をしているのだ。
馬鹿どもが集まる学校とは別格なのだ、と慢心していた。
しかし、その慢心が仇となった。
まさかの留年である。
民法の勉強をあれだけしたのだがら、民法を落とすわけがないとタカをくくったのが馬鹿であった。
司法試験の試験科目でも要である民法を落としたのである。
学校の試験は司法試験とは全然違うことを認識していなかった。
もっとも、そもそも司法試験の勉強をしてても、大して実力がついていなかった。
それなのに、実力がついていると勝手に思い込んでいたのが原因だった。
1年目の留年の時、親に対しては申し訳ないと思ったが、自分のなかではその事実を過小評価していた。
俺を落とすなんて馬鹿な教授がいるもんだ、と専ら教授を馬鹿にしていた。
ただ、一点だけつらかったのが、ほかに同じ留年した学生を見ると、みな一様にチャラチャラしてるやつばかりであることだった。
自分はこんなに勉強しているにもかかわらず留年したのに、このチャラチャラしたクズ共はきっと女と遊びまくって留年したに違いない、こんなやつらと同じ扱いなのか、と思い塞ぎ込んだ。
このように留年した事実をあたかも不可抗力の事故にあったかのように装い、自分とは無関係なことと思い込んでいた。
このなんとかなるだろうという発想は、自分の慢心と、現実から目を背けながら生きる生き方から生まれたものである。
そして、今もなお、この発想は自分の中に強く根付いている。
44歳もそろそろ終わりに近づき四捨五入すれば50代に差し掛かろうとしている。
仕事もせず、家で女子高生との妄想ばかりをしながら、ネトゲやネットしている。
親が元気なうちはいいが、亡くなった後を考えるとぞっとする。
しかし、なんとかなるだろうという発想がどこかにあって、それが次の行動へと踏み出せないようにしている。
本当にどうしようもない。