今は使わない暗室の壁に、長年貼ってあった北村太郎さんの詩。暗闇のなかで赤く変色した新聞の切り抜きは手に取るも脆く心許なく、日に曝されてようやく題名が「八月の林」であることが分かった。その書き出しは、
うらみごとを いわせぬ速さで
風は来たり、風は去り
林は、もとのままに静まって
大いなる感情を、しっかり守っている
だ。さらに四行読み進んでいくと、
あまりの暑さに、物のにおいも
においのなかに、こもってしまい
ヘビやチョウのたぐいが、林の
神経のように、かろうじて
働いているようだけど、見えない
この詩は、北村太郎さんが死の二か月前に書いた、遺作と言ってもいいくらいの作品であり、どうやら悪性リンパ腫に侵されていたようだ。
麦藁帽子を、ひざに置き
下の、池のほとりのベンチに座る男を
林ぜんたいが、気づいていて
知らぬふりのまま、遠ざけており
男は、うなだれて動こうとしない
さらに四行読み進んで、
ひどい暑さが、水面を緊張させて
虫いっぴきの飛び出しも、けっして
許そうとはせず、男の
眠りを、眠りの手でゆっくりかきまわし
ずれているひざの帽子を、落とさせない
と続いていく。おそらく死を間近にした北村さんだろう男が、北村さん自身に見られている。『すてきな人生』に収められた「八月の林」つぎの五行で締めくくられている。
けさ、ヒグラシが鳴いていて
夜なかの風は林の追憶を、いっそう
ゆたかにし、いじわるにもした
真昼、おびただしい葉は力いっぱい広がり
真上の日輪よりつよく、影を消している
