夢は小説家ですと本気で宣ふブログ -32ページ目

夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

「付き合えるだなんて思っていない。見ているだけで幸せなんだ」という追跡型ストーカーの恋心は、一途でピュアなのではないかという一説を考えている。
 それは、重度なドルヲタが更新されているかななんてアイドルのブログを開く行為と何も変わらないような気さえする。
 他人から知らぬうちに追尾されるというのは、気持ちが悪いものだろう。なにしろ意識して生きていない。自宅でくつろいでいるときの延長がひとりのときにはあるのだ。
 だが、しかし「好きです」の気持ちが押さえきれなくてうちなる想いが溢れて「いまなにしているだろう」が気になって、相手を覗いてしまう気持ち。それを気持ち悪いと否定するのは片想いを禁止しているようなものじゃないだろうか。
 好きという気持ちが育ったことでの異常行動。肯定するわけではもちろんないが、否定するのもあまりに忍びない。

 ストーカーの一途な恋が実ったら。
 後ろ姿ばかりを見ていた君が振り返る。
「おはよう」
 綿毛のような笑顔がふわりと舞った。君を好きになってよかった。黄色の花がいくつも咲いた。

「死」を深い眠りと表現している人がいた。
 日々の睡眠は浅い眠りで一時的な仮死状態にあるとしよう。

 深い泉の底に潜む悪魔。我々は浅瀬にたゆたい浅い眠りにつく。悪魔の造り出す泉は甘美の夢に満ちている。

「おやすみ。そうしていつか降りておいで」

 空想世界は今日もなんて幻想的なんだろう。おもしろいなぁ。
 若気の至りだ。なぜそのようなことがしたかったかは分からない。
 体内で強力なエネルギー源をもて余していた。雲が雲を吸収して雨雲になるように、エネルギー源は勢力を増していった。
 気が付いたときには手遅れで抑えられない気持ちが暴言や奇行に形をかえて体外に放出された。あんなことを言うつもりはなかった。なんであんなことをしたのか分からない。制御不能だったんだ。自分の我慢の限界だった。
 思春期はホルモンバランスの関係や大人になることへの不安感からくるといわれる。考えることを知った生命体は、その小さなストレスを発散する方法が分からなかったのだ。「そんなことで?」大人たちが口を揃える。そんなことすら一大事で若者たちは苦しんでいるのだ。
 思春期という、気持ちに区切りがつけられない時期がある。その頃の自分のことは自分でもよく分からない。
 そんな時期なのだ。思春期というのは。
 理想を他人に押し付けるなという考え方があるでしょう?

 私はもう他人に自分の思想や理想を共有していく自信がないのです。
 きっかけは自分が物足りないと思って営業していたお店で、お客様や親から「あなたのお店はスタッフもいいね」といわれて私がこんなに物足りないと思っているのに、もしかしたら私の理想が高過ぎるだけで、これでいいのかもしれないと思ったときであった。
 私の理想は高過ぎる。普段から頭のなかで物語や論理を捏ねるのが常で、理想像と現実のギャップに思い悩んでいる。私の思想や理想が普通ならばこんなに思い悩むこともなかっただろうが、24年間生きてきたなかでどうやら自分の思想や理想が特殊であることが分かってきた。
 不用意に他人からドン引きされることがある。さじ加減が分からない。私にとっては冗談でユーモアのつもりでも「え」という反応を示されることがある。小説が書きたいから仕事を辞めるといったときも、「そんなに簡単に再就職できないよ」と厳しい意見を頂いたこともあった。
 感受性が高いと言われる人格だからだろうか。他人の意見に必要以上に傷付くし、否定されるくらいならばいっそ遮断して自分の世界に閉じ籠りたいとさえ思う。
 ブログなどの自分の思想や理想を頑として発表する場はいいが、ツイッターなどのリアルタイムで他人と絡むような場では、自分と他人の良しとするものと悪しと思うものの違いが顕著に表れるようで疲れてしまう。
 私という人間を知っていて理解を示してくれる人はいいのだが、私を知らない人には私という人間を1から説明しないと真の理解はしていただけない気がして自分の話ばかりを聞かれてもいないのに話して自己嫌悪に陥ったりすることもある。
 人から「変わってるね」「面白いね」と言われる私だ。元気で明るいし、前向きだとも言われる。他人と接するときにはあまり悪い印象を持ち合わせたりしないのだが、思考回路を紐解いていくと私はコミュニティ障害なんじゃないかと思うのだ。
 だって他人と共存していく自信がない。自分と他人はこんなにも思考回路が違うのに、分かりあうのは面倒くさくないか?
 自分と他人は違うという事実が高い壁のように覆い被さって、本来ならどうやって乗り越えようか考えなければならないのだろうが、私は呆然と立ち尽くして「無理だ、無理だ」と引き返したいと考えてしまうのだ。
 自己愛の強い人間としてはそんな自分の思想や理想を守るのに必死で、他人への理解はあまりにも恐ろしい。
 他人が理解することへの経緯で自分が傷付くことを恐れるあまりに、自分の思想や理想を他人に理解されなくていいやと考えるようになった。
 人間が大好きだ。面白い。考えも技能も習性も面白いと思う。だが、一線ひきたい。私のようなものは家に引きこもって文章を紡ぐような生活をするのがいい。思想や理想が特殊な人間が大衆を掻き回して混乱させるよりは、はるかに人様に迷惑がかからない。
 人様と繋がるのは私のエゴを世に送り出す際の担当さんとの間にちょろっとあればいい。紫色のもやのようなものが閉じ込められた密室で私は文章をしたためる。担当さんが扉を開き、もやが少し外に出て臭いものに蓋をするように戸を閉める。書籍やオンラインの世界で私の文章が触れて、すこし人様に悪影響を及ぼす。そのようになればいいのになぁと思いながら、私は他人ばかりの社会に生きている。
 もし、私がサスペンス劇場の一シーンを書くことになったら。

シーン:「あなた、浮気しているでしょう?」から始まり、夫役の俳優さんは「なぜ、それを」という顔をする。

 私が勝手に思う! よくある浮気のばれる原因トップ3

①「携帯電話を見たのよ」
②「ワイシャツに口紅のあとが」
③「寝言で他の女の名前を口にしていたのよ!」

 テンプレ過ぎて、もはやつまらん。
 浮気発覚シーンってめっちゃおもろいやん? おくさん怒っとるし、旦那さん焦っているし、視聴者は「うわー、旦那さんどないしはるんやろ」って思っている。
 そこで緊張感を煽って、ハードルあげて、オチをつける。絶好のチャンス!

 現代っ子、SNS育ちとして提唱する、浮気のばれる瞬間

①「FACEBOOKで私の友達とタグ付けされていたのよ!」「共通のお友達56人のうちの1人だったのか! 久美子!」
②「twitterで拡散されてきた写真の隅にあなたと浮気相手が映り込んでいたのよ!」

 これかなー。
 この流れ弾に当たっちゃった感じがヤバイ!

 おおっと不覚やったーみたいな、ネット小説なんかやったら入れてみたら面白いと思う。現代ならではのネタ。書いてみよっかなぁ、なんていつも口だけ。