汚い話をしましょう。お金の話です。金儲けの話です。
弟に言われました。
「ライトノベル書けば?」
ライトノベル=大衆文学と呼ばれるもの。特徴といえば原稿用紙の書き方に囚われない自由な改行などであろうか。漫画をそのまま文章にした小説ともいわれている。最近はライトノベルのアニメ化も多く、文学界の出世街道の1つとなっている気がする。いま、一世を風靡している有川浩さんもライトノベルの出身者だ。成田良悟や、西尾維新など有名な作家さんだっている。暴力的な表現や耽美なもの、超現象を扱ったものが得意な人であればライトノベルに挑戦してみるのもいいだろう。可愛い女の子が出てくれば尚いい。
儲かるだろう小説のジャンルでいえば、推理小説だって外せない。推理小説には熱心なファンがいる。ドラマや映画にだってなりやすいし推理を考えるのは難しいが、過去の事件をさらったりすれば難しい話ではない。人が死んだり、恨んだりする薄暗さに人は興味を惹かれるものである。
ファンタジー小説や冒険小説と呼ばれるものもいい。伝記や神話からアレンジして作られることが多く、アニメ映画になりやすい。北欧神話や旧約聖書など人気の高い神話を選んでキャラクターやストーリーに個性を出せればきっと長く続く話が書ける。
時代小説などは時代に詳しく古語が扱えなければならないが、大河ドラマなど時代劇は必ず需要がある。いい作品が書ければ、儲かること間違いない。
さぁ、ライトノベル・推理小説・ファンタジー小説・時代小説の話をした。本題に移ろう。純文学だ。
純文学とは簡単に言えば国語の教科書に載っているような小説だ。大抵の場合、人間を描く。ストーリーに面白さを追求するというよりは、地の文に面白さを追求する節がある。
大きな文学賞にも取り扱われやすく、配当金もでかい。当たれば大きい。そんな認識でいるジャンルだ。
純文学が至高だと思うのは、純文学が最も芸術性が高いからだなんてことは言わない。どのジャンルでも、極めていけば芸術に準ずるものになるだろう。
ただ文豪と呼ばれるには純文学を書いていなければならないような気がする。
単純に私は純文学が好きで、純文学を目指しているから純文学を贔屓するような発言をするのだろう。活字離れを生み出す要因にすらなっていそうなこの堅苦しく、制限も多い純文学というジャンルが愛しくてたまらないのだ。
なぜ地の文で独自の論理と闘わなくてはならないのだ。喜怒哀楽を比喩で表現しなければならないのか。難しい。極めたい。難しい。書けるようになりたい。
この週末、文章を書いていて私は改めて難しい純文学というものが書きたいのだと再認識した。まとまりのない文章で申し訳ない。2つのテーマを人知れず合算した。そして、タイトルとそぐわない内容となってしまった。だが訂正はせぬ。純文学が好きだ。
昨日、「酸いも甘いも嚙み分ける」という言葉を知った。
意味としては酸っぱいものも、甘いものも嚙み分けて人生経験を豊かにし人の心の機微や世間の事情に通じるということらしい。
さて、毎回勝手にテーマを選んできて好き勝手語るということをやっておりますが、そろそろブログ整理のためにもカテゴライズを決めたいところですな。勝手にプレゼンテーションとかそういった類の良い言葉。探しておきます。
今回は、「幸福論」です。
昨夜、facebookで幸福論を考えることは難しいと言っている方がいたので、では私なりの幸福論を展開しようではないかと思い立った。
なぜ幸せを語るのが難しいのか。簡単だ。幸せの度合いが違うのだ。
幸せを語る上で、もっとも重要なのは皮肉にも不幸の度合いの話になる。ご飯も食べられないような環境で暮らす者にとっては、ご飯が食べられることが幸せだが、ご飯を食べられることが当たり前という環境に育つ者にとっては好きな食べ物をお腹いっぱい与えられたときにしか幸せと感じないだろう。
屋根がある家、温度管理も調節された快適な睡眠を保つ家、もしかしたら一世を風靡した酸素カプセルでしか眠らない人物もいるかもしれない。
幸せの度合いは人それぞれな訳だ。
そう、それを理解したうえで知って欲しい台詞があります。
「絶対、お前を幸せにする」
この難しさ。分かります?
意味としては酸っぱいものも、甘いものも嚙み分けて人生経験を豊かにし人の心の機微や世間の事情に通じるということらしい。
さて、毎回勝手にテーマを選んできて好き勝手語るということをやっておりますが、そろそろブログ整理のためにもカテゴライズを決めたいところですな。勝手にプレゼンテーションとかそういった類の良い言葉。探しておきます。
今回は、「幸福論」です。
昨夜、facebookで幸福論を考えることは難しいと言っている方がいたので、では私なりの幸福論を展開しようではないかと思い立った。
なぜ幸せを語るのが難しいのか。簡単だ。幸せの度合いが違うのだ。
幸せを語る上で、もっとも重要なのは皮肉にも不幸の度合いの話になる。ご飯も食べられないような環境で暮らす者にとっては、ご飯が食べられることが幸せだが、ご飯を食べられることが当たり前という環境に育つ者にとっては好きな食べ物をお腹いっぱい与えられたときにしか幸せと感じないだろう。
屋根がある家、温度管理も調節された快適な睡眠を保つ家、もしかしたら一世を風靡した酸素カプセルでしか眠らない人物もいるかもしれない。
幸せの度合いは人それぞれな訳だ。
そう、それを理解したうえで知って欲しい台詞があります。
「絶対、お前を幸せにする」
この難しさ。分かります?
今日は家に引き篭もって1日執筆活動に勤しんでいるので、休憩で途中途中ブログ更新しようと思います。
批判の話です。きっと、人にとっては不愉快な話なので、辛辣な言葉に態勢のない方は閲覧をご遠慮ください。
小説家志望ですという方に現実社会でお会いすることはほぼないのですが(文章を習いに学校に行っていたときは多くいらっしゃいました)、ネット社会には文字書きやらアマチュア作家を名乗る方がたくさんいらっしゃる。そういう方の文章を読むときに疑問を持つことがあるのだが、投稿する気はないのだなという点だ。
文章の書き方にはルールがある。ああ、そうだ。私を真面目なやつだと思った人にこそ言いたい。ルールは守られていなければ失格になることだってあるんだぞって話だ。芸術は自由だ。制限に囚われて、自由な表現が出来ないのは失敗だろう。でも、ルールがある。特に厳しいのは原稿用紙の使い方だ。ネット社会における文章には改行というものが乱発されていて、別に話の切り替わりでもないだろうと思うようなところで文章が途切れている。言いたいことは分かる。ブログはこんなに文章が詰まっていないほうが読みやすいだろう。芸能人のブログのように、1言1言が短く写真が添えてあって、すこし絵文字が使われているようなほうがいいだろう。でも、小説や文章の道を志す者があまりに文章のルールを破ってしまうのはどうなんだろうか。そんなにアマチュア脳とプロ脳を切り替えられるのだろうか。私は本気でプロになりたくて、だからこそ普段から誤字脱字や、原稿用紙のルールに縛られる。
・段落後は、一マス下げて書き始めましょう。
・「!」や「?」が文中に現れる場合には、一マス空けましょう。
・三点リーダ「……」を使うときは二マスぶん空けましょう。
・「~する事」の「事」や、「~な分」、の「分」などを最近の書き方では漢字にしない。平仮名表記が好まれる。
ここに挙げたのは一例で、まだまだ制限はある。すべてを暗記できている自信はないが読んでいるし普段から気をつけている。
もし、投稿してプロになりたいと思っているのならば必要な情報なのではないだろうかと思っている。どうなんだろう、そんなに深く考える必要はないのか?
それでも自己満足で終わってしまったら、それこそ志したことすら無意味になってしまうのではないか?
どうなんだろう。私は少し、心配になってしまうよ。一緒に志す方がいるのは強い勇気になるけれども、甘い世界ではないからこそきちんとした文章を書いていくようにしたいと私は思っています。
批判の話です。きっと、人にとっては不愉快な話なので、辛辣な言葉に態勢のない方は閲覧をご遠慮ください。
小説家志望ですという方に現実社会でお会いすることはほぼないのですが(文章を習いに学校に行っていたときは多くいらっしゃいました)、ネット社会には文字書きやらアマチュア作家を名乗る方がたくさんいらっしゃる。そういう方の文章を読むときに疑問を持つことがあるのだが、投稿する気はないのだなという点だ。
文章の書き方にはルールがある。ああ、そうだ。私を真面目なやつだと思った人にこそ言いたい。ルールは守られていなければ失格になることだってあるんだぞって話だ。芸術は自由だ。制限に囚われて、自由な表現が出来ないのは失敗だろう。でも、ルールがある。特に厳しいのは原稿用紙の使い方だ。ネット社会における文章には改行というものが乱発されていて、別に話の切り替わりでもないだろうと思うようなところで文章が途切れている。言いたいことは分かる。ブログはこんなに文章が詰まっていないほうが読みやすいだろう。芸能人のブログのように、1言1言が短く写真が添えてあって、すこし絵文字が使われているようなほうがいいだろう。でも、小説や文章の道を志す者があまりに文章のルールを破ってしまうのはどうなんだろうか。そんなにアマチュア脳とプロ脳を切り替えられるのだろうか。私は本気でプロになりたくて、だからこそ普段から誤字脱字や、原稿用紙のルールに縛られる。
・段落後は、一マス下げて書き始めましょう。
・「!」や「?」が文中に現れる場合には、一マス空けましょう。
・三点リーダ「……」を使うときは二マスぶん空けましょう。
・「~する事」の「事」や、「~な分」、の「分」などを最近の書き方では漢字にしない。平仮名表記が好まれる。
ここに挙げたのは一例で、まだまだ制限はある。すべてを暗記できている自信はないが読んでいるし普段から気をつけている。
もし、投稿してプロになりたいと思っているのならば必要な情報なのではないだろうかと思っている。どうなんだろう、そんなに深く考える必要はないのか?
それでも自己満足で終わってしまったら、それこそ志したことすら無意味になってしまうのではないか?
どうなんだろう。私は少し、心配になってしまうよ。一緒に志す方がいるのは強い勇気になるけれども、甘い世界ではないからこそきちんとした文章を書いていくようにしたいと私は思っています。
この間、テルマエ・ロマエの作者さんが映画化に際して支払われた原作使用料は約100万円だったとテレビで話し、話題になった。テルマエ・ロマエは58憶円の興行収入は原作者には反映されないということだ。
映画の出演料はドラマよりも安いとも聞く。ドラマよりも映画のほうがこだわりも強く時間もお金もかかるのに、やはりドラマよりも映画は困難な道なのだろうか?
それにしたって100万円は安い。まぁ、映画はやはりお客さまにお金を頂くというチケット代が発生するぶん見てもらうのも難しいというのもあるのだろうし、酷評された映画を観に行く人もいないだろう。
そういう意味でもネット社会は恐ろしい。誰でも簡単に無料で感想なんかを投稿して、それで見にいかなくなる人が何万人といるかもしれない。とくに発信力のある人がそんなことをしたらと考えると、やはり恐ろしい。
でもさ、やっぱり文芸の道を目指す者にとって映画化は夢だ。ドラマになるよりももしかしたら映画のほうが嬉しいかもしれない。
100万円かぁ。安いなぁ。
漫画だったら映画が売れたら原作も売れるかもしれないけれど、本や小説は、活字離れで読みたがらない人も多いからなぁ。
まずは、そんな本を出版することが先だけれども。あまりに夢のない話だったので話題にしてみました。
映画の出演料はドラマよりも安いとも聞く。ドラマよりも映画のほうがこだわりも強く時間もお金もかかるのに、やはりドラマよりも映画は困難な道なのだろうか?
それにしたって100万円は安い。まぁ、映画はやはりお客さまにお金を頂くというチケット代が発生するぶん見てもらうのも難しいというのもあるのだろうし、酷評された映画を観に行く人もいないだろう。
そういう意味でもネット社会は恐ろしい。誰でも簡単に無料で感想なんかを投稿して、それで見にいかなくなる人が何万人といるかもしれない。とくに発信力のある人がそんなことをしたらと考えると、やはり恐ろしい。
でもさ、やっぱり文芸の道を目指す者にとって映画化は夢だ。ドラマになるよりももしかしたら映画のほうが嬉しいかもしれない。
100万円かぁ。安いなぁ。
漫画だったら映画が売れたら原作も売れるかもしれないけれど、本や小説は、活字離れで読みたがらない人も多いからなぁ。
まずは、そんな本を出版することが先だけれども。あまりに夢のない話だったので話題にしてみました。
新橋駅に着くと、「お客様転落により運転を見合わせております」と電子掲示板が流れていた。派手なコートを羽織ったお姉さんが駅員さんに「いつになったら動くんですか?」と声を荒げていた。「もう動いていますよ!」と話す駅員さんの口調は少し乱れている。事務室から出てきた別の駅員さんがホームに走っていく。
真夜中23時の新橋駅はざわめきに満ちていた。地下鉄の駅は当然ながら地下にある。私はプラットホームに降りていった。
サラリーマンが倒れていた。すこし太り気味のサラリーマンが横たわっている。担架にのせられて、伸ばされた左手は手首のあたりから血が流れていた。鮮血に目を奪われながら、違う場所からホームに降りようとまた階段を登った。
別の階段を降りるとレスキュー隊が駅員さんに先導されてわらわらと降りてきた。
「どこだ! いないじゃないか!」
ホームには何人か姿があったが、「もっと後方車両にいましたよ」と教える人はいなかった。電車を待つサラリーマンが「手、大丈夫なんですかね?」なんて話題にしていた。
アナウンスが流れる。
「お客様転落のため運転を見合わせておりましたが。再開しております。まもなく参りますのでもうしばらくお待ちください」
電車は7分ほど遅れたが、通常通りにやってきた。
サラリーマンが血を流して倒れているのを見た。だがどうだ、多くの乗客にとってそれは他人事で対岸の火事で、ブラウン管の向こう側の出来事だ。
異様な光景だった。きっとそれは多くの乗客にとって迷惑な出来事だった。
真夜中23時の新橋駅はざわめきに満ちていた。地下鉄の駅は当然ながら地下にある。私はプラットホームに降りていった。
サラリーマンが倒れていた。すこし太り気味のサラリーマンが横たわっている。担架にのせられて、伸ばされた左手は手首のあたりから血が流れていた。鮮血に目を奪われながら、違う場所からホームに降りようとまた階段を登った。
別の階段を降りるとレスキュー隊が駅員さんに先導されてわらわらと降りてきた。
「どこだ! いないじゃないか!」
ホームには何人か姿があったが、「もっと後方車両にいましたよ」と教える人はいなかった。電車を待つサラリーマンが「手、大丈夫なんですかね?」なんて話題にしていた。
アナウンスが流れる。
「お客様転落のため運転を見合わせておりましたが。再開しております。まもなく参りますのでもうしばらくお待ちください」
電車は7分ほど遅れたが、通常通りにやってきた。
サラリーマンが血を流して倒れているのを見た。だがどうだ、多くの乗客にとってそれは他人事で対岸の火事で、ブラウン管の向こう側の出来事だ。
異様な光景だった。きっとそれは多くの乗客にとって迷惑な出来事だった。