レ・ミゼラブル | 夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

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文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

どのような観点から書いていけば伝わるのかが分かりませんが、書きたいことを全部書きます。

レ・ミゼラブル の映画を観てきました。

私は前情報として、姉から「泣けるよ」と言われ、レ・ミゼラブルの意味も邦画か洋画かも分からず、いま1番人気でチケットがとれないことも知らず、ただ恋人にチケットを強請って映画を観に行くというなんとも恵まれた立場から映画を鑑賞いたしました。

まず、映画というものから話していきますが、私はしがない24歳の女で普通の人生を送っていればきっと私はこの平成という時代のみ見つめて死にいく人物です。でも映画というものを拝聴すると私は私ではないまったく違う誰かの人生を垣間見ることになります。それが私にとっての映画です。余談ですが聴くというのは聞くと違い目と耳と心を十倍にして聴くそうです。余談ですがそんな気持ちで聴きました。

そして次に役者というものは台本に描かれたストーリーを体現する人を言います。台本に書かれた文字も役者が体現することで私たちはその演技力に惹き込まれまるでその人物が今目の前で生きているような錯覚を覚えます。そうして物語の核心まで引っ張られていきます。

そうしてようやく今作の話をします。

私は映画を観ました。

ああ、無情。そう、歴代の人は訳しました。しかし、どうでしょう。皆さんも感じたはずです、そこには情しかありませんでした。

物語の核心に触れます。

主人公は餓死しそうな妹の子どものためにパンを1つ盗みました。そして19年間、投獄されました。男は仮釈放されます。永遠の仮釈放です。彼は1つのパンにより永遠の罪人となりました。

彼は仮釈放されました。自由です。しかし仕事をしなければパンを食べれません。人は罪人を雇いません。彼には永遠の罪人という身分証明しかないのです。彼は今日も野外で寒い冬の夜を過ごします。
偶然は起こります。彼は偶然にも司祭様の教会の前で眠りにつこうとしていたのです。司祭様は言います。「慎ましい暮らしですが、分かち合おう」と。
食事を、寝床を与えます。しかし、彼は司祭様の持つ銀器を盗もうとするのです。そうしてまた彼は捕まりました。彼の経験する19年の投獄人生が「おかえりなさい」と手招きます。警察は言います。「盗人は銀器を司祭様がくれたといっている」と。司祭様は言います「ええ、確かに彼に与えました。だから彼は盗人ではありません」と。
彼は嘆きます。自分はパンを1つ盗んだだけで罪人ではなかった。しかし、どうだろう今自分がしたことは立派な罪人ではないかと。神に懺悔します。ええ、キリスト教らしい唯一神の考え方だと思いました。

ネタバレはこのくらいにしておきましょう。
1人でも多くの人が映画館に足を運ぶように仕向けるのが感想で、私がすべてを語るべきではありません。

彼は改心して、死ぬまで生きていきます。様々な出会い、出来事、歴史、法があります。そんな中で彼は生きていきます。

私が抱える悩みなど、彼の人生に比べたらとってもちっぽけです。でも私の人生です。そして創作の中の出来事ですがまったくの作り話だとも思いません。そういう思慮をもった人間がこの歴史の中で何人生きて死んだか分かりません。いまもきっと生きているでしょう。
違う時間軸の中で、平衡軸を生きていることでしょう。

同じ時刻に映画を観た人は人生が変わってしまいました。
なぜなら違う人生に触れたからです。

それが映画です。
素晴らしい映画でした。ああ、本当に。
明日は朝から仕事で6時起きです。いまは2時半です。今日の文章はやっつけです。でも本心です。そういう言葉を紡いでいきたい。そう思えた素敵な夜でした。

ぜひ、皆様も上映期間に劇場に足を運んでください。