階段から転げ落ちる。床が無い――思ったときには落ちていた。ぐるんぐるん回る景色を捉えることはできず、助かる方法は見付からない。踊り場の床に身体ごとたたき付けられて、ようやく回転は止まった。激しい痛みに生きていることを実感した。
以来、僕は階段が怖い。
バリアフリーと囁かれている今日だけど、まだまだ世間には階段が多い。
何度も克服しようと挑んだ。段々と重なるそれを目の前に一段、一段。
でもそんな試みを知る由もなく途中で床が無くなる錯覚に陥った。頭の中の僕は平衡感覚を失ってみるみる暗がりに落ちていく。そんな幻覚をみた。そうなるともうだめで、階段の途中でうずくまって震え出すのだ。
何も知らない君は「ほら早く」と僕の手を引いて階段へと導いた。僕には君の背に黒い羽が見える気がした。だから強くその手を払ってしまったんだ。
何も知らない女性は階段の前で茫然と立ち尽くす僕に「どいてよ!」と声を荒げた。でも僕はちっとも動けやしなかったんだ。
『お年寄りや身体の不自由な方が優先的にご利用いただけますようにご協力お願いします』エレベーターは僕を拒絶して、その扉を固く閉じた。
登る手段はなくなった。
階段なんか嫌いだ。階段のせいだ。
階段の先には輝く未来が待っているはずで、僕にも平等にその先が待っているはずで、でも階段に失敗してしまった僕はその先を目指すことができなくなってしまったんだ。
階段が僕から社会を奪い、階段が僕を孤立させた。
一度の経験と一生の分岐点。
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ひとつのものが嫌いになると、それに関わるものがすべて嫌いになるという話。
それから、ものの見方を変えてみれば『階段が怖い』なんて事情を知らない二人の女性は悪くない。でも自分では思いがけないようなものが苦手な人もいるということ。それに気付かず放った一言が思いがけず人を傷つけることもあるということ。
そして、『階段が怖い』ということは何も悪いことじゃないんだからエレベーターを堂々と使用すればいい。無理して克服しなくていいんだっていう話。
ランキングに小説を追加した記念に2007年10月に悩んでいる友人に私なりに答えた話。