※以前公開した記事に加筆・修正を加えています。
救急車に乗せられてから、20分ほどで医療センターに到着しました。
そのまますぐに分娩室へ。
しばらくしてパパさんがお義母さんと一緒に分娩室へ入ってきました。
私が救急車で運ばれたあと、あんちゃんが大泣きしてとても一緒には連れてこれない状態だったので
義実家に二人を預けて、お義母さんが一緒に来てくれたようです。
もう一度エコーで確認してもらうと、赤ちゃんの心臓はすでに動いていませんでした。
同乗してくれた産婦人科の先生はおそらく着いたらすぐに帝王切開になると思うと言ってましたが
胎児がすでに亡くなっていること、子宮口が開き始めていたこと(着いた時点では1センチでした)、
経産婦である事、出血などの兆候がまだ見られない事、何よりも手術することによって出血量が
増えるとDIC(播種性血管内凝固症候群)を起こしてさらに危険になるとの事で、普通分娩で出産させたい
と説明を受けました。
もちろん長引けば促進剤の使用もありうるし、時間がかかりすぎるようなら緊急帝王切開になるとの
事で、いろんな同意書にサインをさせられるパパさん。この時パパさんは帝王切開になったら私は
死ぬと漠然と思っていたそうです。
両腕には点滴の針がいっぱい。両方で4~5本はあったと思う。
陣痛を促すために人口破水。羊水の色はまだ綺麗な状態だったみたいです。
破水したら徐々にいい陣痛が来始めました。
陣痛に耐えている間パパさんはずっと手を握ってくれていて、それが本当に心強かった。
時おり様子を見に来る医師が私を見て『冷静やな~』って言っていた。
普通はもっと取り乱したりするもんなのかな~。自分でも思うけど本当に気持ちは落ち着いてて冷静で
居られたんです。
普通分娩と聞いて最初はこの上まだ痛い思いをしなきゃならないの??って考えはしたんだけど、でも
これが私が栞菜にしてあげられる最後の仕事なんだ。栞菜はもっと苦しい思いをしたはず。
だから頑張らなくちゃ!!そう思ったら力が湧いた。
栞菜も一生懸命最後まで頑張ってくれていた。処置が始まったのが多分午後10時くらいだったと
思うのですが、12時くらいまでには生まれると思うとの先生の予想に反してあっという間に進み
どんどん降りてきてくれて、わずかな時間の間に子宮口の開きは8センチに。
慌ただしく分娩の準備が始まる中、イキみたい衝動に駆られる。
イキみたくなったらもうイキんでもいいよって言われて数回イキむと子宮口は全開になりました。
途中義実家に電話を入れに外に出ていたパパさんは戻ってきた途端にもう生まれますって言われて
かなり慌てていました。
分娩体制に入ってから本格的にイキむこと数回。
午後10時55分。産声を上げずに、栞菜が静かに生まれてきました。
最後は自分からくるんっと回って出てきてくれたようで、それを見ていた助産師さんが
『出血が酷かったからびっくりして言えなかったけど、すごいって思ったよ。
ママが苦しくないように頑張ってくれたんだね~』
って後で教えてくれました。
パパさんを見ると、泣いていました。
生まれ出てくる瞬間まであったもしかしたらって期待が、力なくぐったりとした赤ちゃんの姿を見て
やっぱりダメだったんだって思ったら涙が出ていたそうです。
そんなパパさんに『ごめんね』って言ったら『大丈夫』って返してくれた。
分娩所要時間わずか47分。上の二人の誰よりも早く生まれてきてくれた栞菜。親孝行な娘です。
『赤ちゃんは悪くない。もちろん誰も悪くないんだけど。
今綺麗にしてもらってるから抱いてやってな』
先生が言ってくれました。
しばらくして、看護師さんが栞菜を連れてきてくれました。きれいにしてもらって、産着を着せてもらって。
まだ体温の残る温かい体を抱っこしました。お顔に頬ずりして、触れたほっぺの柔らかい感触は今でも
指に残っています。
パパさんと二人で可愛いね~って笑いあった。
とっても安らかな顔をしていて、本当にすごく可愛かった。
こんな状況でとても不思議なんだけど、満ち足りた幸せなじかんだったと思います。
あの時に写真を撮っておけば良かったとそれだけが心残りです。
あんちゃんとはるちゃんにも、生まれたての栞菜を会わせてあげたかった。
そして、このときに写真を撮ってあげられなかったことが今でも本当に心残りです。
でも、急な出来事だったしカメラなんて準備できてなった。
したい事があったらなんでも言ってねって言われていたので、もしかして看護師さんに言えば写真を
撮ってもらうことも出来たかも知れないけれど、そんな事にも当然気が回りませんでした。
胎盤が出た後で、かなり出血もあったようですが幸い輸血はせずにすみました。
子宮の戻りが悪く、しまっては緩んでを繰り返しているようでなかなか収まらない出血。
時々お腹をマッサージされたり(後陣痛と合わさってこれがかなり痛かった)、アイスノンで冷やしたり。
その後陣痛室へと移動して、翌日の午後部屋が空くまでの間をそこで過ごした。
明け方まで、ずっと一緒にいてくれたパパさんと話をしていたと思います。
時々笑ったりもしていた。今思うと何であんなに笑ったり出来たんだろうって思うんだけど、出産を
終えて少し安心していたのかなぁ。
こんなことがあったのに、なんだ・・・・・・私意外と平気じゃん。ドライだなぁ~とか思ってた。
軽く興奮状態だったのかも知れない。
夜が明けて、仕事を休むための手回しのためにパパさんが病院からいなくなって独りになると、
だんだんと悲しみが押し寄せてきて涙がこぼれました。それでも、看護師さんや先生などが様子を
見に来てくれると素直に泣くことが出来ず、笑顔すら浮かべながら『大丈夫です』って答えていた。
午前中に一度パパさんがお義母さんを連れて戻ってきました。
お義母さんは栞菜を見るのをためらっている見たいだった。
後から聞いた話では、目に焼き付いてしまうのが怖かったみたい。
私を見て、だいぶ顔色が良くなってて安心したと言っていました。
昨日は紙のように白かったと・・・・・・。そんなに酷かったんだって思った。
病室が空いて移動できたのは午後になってからでした。移動は車椅子でしたが、多量の出血と
点滴の副作用(筋肉を緩める効果がある点滴が使われていた)で思うように体が動かないので、
ベッドから車椅子に移るだけでもとても疲れました。歩けるようならその日からトイレ歩行を始める様に
先生から指示が出ていた見たいだけどとても無理。
なので血栓予防のために両足にマッサージ器のようなのを付けられて、トイレ歩行が出来るようになる
まで四六時中動いてて、夜寝づらかったなぁ。空気が入って膨らんだりしぼんだりするんです。
病室は病院側の配慮で、一番周りの声などが聞こえにくい個室を準備してくれていました。
入院中は本当に部屋の外の声ってあまり聞こえてこなかった。それでも夜中に隣室で赤ちゃんが
泣く声は聞こえて来たんだけれど、それほどいやだとは思わなかった
あぁ、元気に泣いてるなぁ。無事に生まれる事が出来てよかったね。そう思った。
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