あの日の事−常位胎盤早期剥離− | ママとあんちゃん~ほんとはさ、本だけ読んでいたいんじゃ!!~

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気が付けば50代が目の前に( ゚Д゚)ほんとは毎日好きな本だけ読んでいたいけど、現実はそんなわけには行きませんね。HSP気質。夫一人と子供二人(共にASD)が家族です。日々の色々をつらつら書き殴ってます。よろしくお願いします。

※以前公開した記事に加筆・修正を加えています。


1月13日に、妊婦健診で”妊娠高血圧症候群”を指摘されてからわずか2日後の出来事でした。
土曜日はパパさんが出かけていて家で子供たちと3人、いつものように過ごしました。
血圧は高いままでしたが、先生から言われていた上限を超えることはなかったし、頭痛や吐き気などの
強い自覚症状もなし。ただやっぱり喧嘩をして騒ぎたてる子供たちに対してはずっとイライラしてたかな。
なんだか少し頭が重いような感じはあったので横になって休んだりしていました。


午後8時過ぎ頃パパさんが帰宅したのでブログにも書いてたとおり減塩対策の為にいろいろと買出しへ。
日曜日はパパさんが二人を連れて出かけてくれることになり、その日は何事もなく就寝。


翌日曜日、パパさんが子供たちを連れて家を出発。
久々に一人になった私はブログを更新したり横になって録画してあったTV番組を見たりして過ごしていた。
血圧は相変わらずの数値で上は140台下は90台後半くらいでしたが、ほかは特に自覚症状はなし。
夕方パパさん達が帰宅して、お土産に買ってきてくれたお豆腐を味見しながらその日の様子を聞きました。


その後パパさんが上で横になってたら?って行ってくれたので一人2階の寝室へ。
1~2時間くらいうとうとしてたかな~、急な腹痛で目が覚めました。お腹を下してるような感じの痛み。
お通じかな?と思ってトイレへ。しばらくこもっているとここのところ出ていなかったものが出たので
やっぱりお通じの痛みだったのかと思いました。今思えばこの時にはすでに始まっていたんでしょうね。


ちょうどこのとき、子供達をお風呂に入れてくれていたパパさん。お風呂からは

 『赤ちゃんが生まれてきたらしばらくはママは外出できないし、パパの仕事が落ち着いて来たら
 パパのお友達に会いに行こうか~』

なんてあんちゃんに話しかけてるパパさんの声が聞こえていました。


お腹が痛いこと、伝えておこうかとも思ったんだけど、せっかく楽しくお風呂に入ってるのを邪魔しないで
おこうと、私は再び2階の寝室へと戻りました。


その後も痛みは治まったり強くなったりを繰り返してて、おかしいなと思いながらもまた横になった。
もしかして陣痛??などと思いながら時間の間隔を測ってみても時間はバラバラ。


そうやって1時間くらい様子を見てたかな、ふと気づくとお腹の赤ちゃんが動いていない・・・・・・・。
いつもだったらあれ?動いてないかな?って私が考えると返事をするように動いてくれてたのに。


ざわざわと胸に不安な気持ちが湧いていきました。
もしかしたら本当に寝ちゃってるだけなのかも。そう思ってなんども体制を変えてみたりお腹をトントン
してみたり。それでも全然反応のない赤ちゃん。体制を変えるとわずかだけど赤ちゃんが移動する
感覚がありましたが、それはまるで重力に従って移動しているような感じで、ぐったりと力を無くした
感じがしました。


その後階下に下りた私は、不安な気持ちを悟られないようにしながら

 『私もお風呂入ろうかな』

そう言ってお風呂へ。お湯につかったら、もしかして寝てるかも知れない赤ちゃんも動くかも。
そんな期待があったんだけど、赤ちゃんは動くことはありませんでした。


いよいよ不安になってパパさんに報告。
パパさんやあんちゃんが『お~い、かんちゃ~ん』お腹に話かけましたが変化なし。
病院に電話をして事情を説明するとすぐに診てくれるとのことでいそいで家を出ました。


車の中で状況の分からないあんちゃんが『赤ちゃん死んじゃった?』と聞いてくる。
大丈夫かな?って言う私に、

 『大丈夫。子供は3人だって占いの人も言ってたんだから。大丈夫』

パパさんがそう言った。病院までの道のりがとても長く感じました。
車の中でも痛みは収まることが無く陣痛に似た痛みは続いていました。


病院に着いたのは、たぶん午後8時40分くらいだったと思います。痛みに気づいてから病院に到着
するまで2時間以上。なんでもっと早くに病院に行かなかったのか。もっと早くに病院に行っていたら
助けられたんじゃないか・・・・・・って今でも思います。赤ちゃんが動いていないことに気づいたときに
私は、すでに赤ちゃんはダメなんじゃないかって分かっていたんだと思います。
でもそれが確定してしまうのが怖かった。


病院の駐車場に付いて車を降りた途端に、立ちくらみがして自力で歩くことができなくなりました。
パパさんに抱えられるようにして歩いて時間外の入口からいつも見慣れた病院の中へ。
なんとか内診台までたどり着いて座りましたが吐きそうだし呼吸も荒く、視界はなんだかもやがかかった
みたいに白く霞んでいてぼーっとしてる。血圧がかなり上昇していたんでしょうね。


なんだか便意をもようす感覚があったので、朦朧としながら看護師さんにそれを訴えたら、看護師さんに
『もう出てるみたいよ』って言われ気づいたら本当に出てしまっていました。便失禁です。


後に借りていた病衣の返却とお礼を言いに行ったパパさんに先生が

 『普通は尿失禁はしても便失禁まではない。あの状態は異常で、
 病院に着いたときギリギリだった』


と言われたと聞きました。家を出るのがあと数分でも遅かったら私も今ここに居なかったかも知れません。


内診をしてもらうと頚管がかなり短くなっていて1センチくらいしかなくお産の兆候があると言われ
『入院できる?』って先生。私はそんなことより赤ちゃんは大丈夫なの??って、早くそれを確認して欲しい
とずっと思っていました。


お腹のエコーをするために診察台に移動しなければならなかったのですが、重たくてなかなか動かない体。
これも後から聞いた事なのですが、痙攣を起こして5分くらい意識を失っていたんだそうです。
そのあと急にあくびをし始めて、パパさんは怖かったそうだけどそれを見た先生は多分今血圧が
下がり始めたんだろうと言っていたらしい。私にはまった記憶がないので聞いてびっくりしました。


おそらくその直後の事なんでしょう、急に意識がはっきりしてきて体が楽になったので診察台まで自力で
移動することができた。見慣れた診察室で横になり、エコー画面に画像が映し出されるのを待ちました。
もしかしたらと言う思いを裏切って、そこに映し出された赤ちゃんは力なくぐったりとして見えました。

 『あ~、赤ちゃんもうほとんど心臓が動いてない・・・・・・早剥だ・・・・・・』


先生の言葉に、予想が的中した事を自覚しました。
常位胎盤早期剥離
通常はお産後に剥がれて外に出るはずの胎盤が、まだ赤ちゃんがお腹の中に居るうちに先に剥がれて
しまい、赤ちゃんに酸素が行かなくなってしまう怖い病気。妊娠高血圧症候群の合併症のひとつです。


先生の奥様(母乳外来でなんどもお世話になっていた助産師さん)がいつの間にか横に来ていて、

 『大丈夫??しっかりね。ほら見て、赤ちゃんね、もうほとんど心臓が動いてないの』

そう私に話しかけてて、多分しっかりと現実を受け止めさせるためにそうしたんでしょうね。


その後母体の方も危ないということですぐに救急車が手配され、私は北九州市立医療センターの
周産期母子医療センターへと救急搬送。パパさんは子供たちがいるし後から車で追いかける事に。
子供たちは私が救急車に乗せられていくところをずっと見ていたみたいで、はるちゃんは今でも
救急車のサイレンの音が聞こえると不安そうな顔をして『おなかいたくない?』って聞いてきます。


救急車の中でも意識はずっとはっきりしていて、同乗してくれた先生が時おり笑いながら救急隊の方と
話をしているのがすごく嫌でした。何よりも許せなかったのが

『昼間旦那さんが遊びに行かないで私のところに連れてきて
くれてたら状況は変わってたかも
知れないけどね~』
 

って言った事。確かにそうかもしれません。でも私だってその時点で体調に異変を感じていたらすぐに
病院に行ってた。パパさんだって遊びになんて行ってないはず。


それよりも金曜日の健診の時点でもう少し深刻に考えてすぐに入院をすすめてくれていたら状況は変わった
んじゃないの??って、そう思うと悔しくて仕方なかった。


もちろん先生のせいじゃない。誰にも予測できなかった事だって分かってる。
それにきっと一番甘く見ていたのは多分自分。そんな自分も許せなかった。


























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