昔の今日のNews別冊 第105回 集い (2005年08月19日)
エスエイチです。
このお話はいわゆる郵政選挙のときに書いたものです。改革のコストが高くなりすぎるのではないかと危惧していましたが、残念ながらそれが当たってしまったようです。
宋という国は10世紀から13世紀まで中国の南方を支配した王朝です。日本では藤原氏が権力を握った摂関政治の時代から元寇までにあたります。水滸伝の舞台となった時代と言った方が分かりやすいかもしれません。五代と呼ばれる戦乱の時代が終わった後、宋はシビリアンコントロールの強い平和で豊かな国を作りました。日本でいえば第二次世界大戦後の高度成長期のような時代でした。
今回の話は、あまり言葉の説明は出てきませんが「中国の言葉」に入れることにしました。
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今日のNews別冊 第105回
コラム 中国の言葉 第5回
~集い~
日本で本格的な政党政治は1918年の原敬首相による立憲政友会内閣に始まったとされる。立憲政友会とそれに対抗する憲政会は、いずれも憲法に基づく政党内閣制と選挙結果による政権交代を主張した。これを「憲政の常道」という。
中国において党という言葉は本来はあまり良い意味を持たない。党の旧字である「黨」は、「黒い取引を行う集団」を意味する。日本語で使われる言葉でも「徒党(悪事を行う集団)」や「悪党」にはもとのニュアンスが残っている。論語の中に「君子は党せず」とあるのは、このように「党」を組んで、仲間だけを優遇することを戒めたものだ。後漢末の宦官たちは、自分達に反対する学者達を「党」であると決め付けて牢獄に監禁した。これを「党錮之禍」という。
英語における党(party)は人の集まりを意味する言葉だ。登山を行うときの一行(パーティ)や、人が集まって会合を行うパーティと同じ言葉である。元々は部分(part)の集まりの意味であった。大英帝国においてトーリー党(Tory Party)やホイッグ党(Whigs)があらわれたときに、会合を行ったことから政党という意味にも使われるようになったのだろう。政党がパーティを好むのは歴史的必然といえる。現在の日本では、党という言葉には、ヨーロッパ文化の影響で昔の中国語の悪いイメージはあまり残っていない。
宋(北宋)の6代皇帝神宗(じんそう)は、建国後100年を経て財政難に陥っていた体制を改めようとした。その指揮官として選んだ王安石を宰相(総理大臣)として政治改革を行ったのだ。王安石は財政改善のために青苗法・均輸法など、「新法」と呼ばれる法律を作ってこの実現に努めた。
王安石の改革は、旧来の地主や官僚の既得権を奪おうとするものであった。既得権の擁護者たちは王安石の一派を「新法党」と呼び、逆に王安石の弟子達は彼らを「旧法党」と呼んだ。政治改革を目指す青年皇帝に対して、神宗の母や妻は新法を嫌っていた。
神宗が死んで息子の哲宗(てつそう)が即位すると、新法党の勢いは衰えた。幼少の哲宗に代わって摂政となったのは神宗の母(宣仁太后)であり、宣仁太后の信任を受けた旧法党の司馬光が宰相となったのだ。王安石より二歳年長の司馬光は、政治的な立場が異なっており、全ての新法を廃止してしまったのである。
王安石と司馬光は立場こそ違え、高い理想を持った政治家であった。体制変更の必要性はいずれも感じていたが手法が異なったのである。しかし、彼らが死んだあとの宋の政界は、旧法党と新法党が互いの恨みを晴らすだけの政争に明け暮れた。哲宗の弟である8代皇帝徽宗(きそう)の時代に、宋は北方に興った女真族の金に滅ぼされ、南に逃れて南宋となるが、その遠因は旧法党と新法党の争いによる国力の衰亡にあった。
現在の日本も、第二次世界大戦後の高度成長を支えた体制が疲弊してきている。体制変更が必要なことは多くの人の共通認識である。状況は王安石の時代に似た部分がある。王安石の急激な改革は地主・貴族階級の反発を招きながら皇帝たちの支持を受け続けた。しかし、強引な手法は党派の争いを招き、国が滅びる原因となった。改革のコストは、時には高くなり過ぎることに注意すべきである。
今日のNews別冊 第199回 原因探し (2009年6月15日分)
エスエイチです。
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少し前に書いて寝かしてあった話をお送りします。インフルエンザは前ほど騒がなくなったと思っていたのですが、フェーズ6になったということでまた厳しくなるのかもしれません。
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今日のNews別冊 第199回
コラム 論理的に考える 第3回
~原因探し~
豚に由来するとされるインフルエンザが流行っている。なぜ「今」インフルエンザが流行るのかということを知りたいと考える人もいる。私にとっては、インフルエンザの遺伝子変異は確率的な問題であって、「たまたま」この時期に変異が起こったのだという説明で十分だ。しかし、そういう説明では満足できない人達がいるのである。
ものごとの間に因果関係を求めるのは人間の基本的な性質のように思われる。朝、いつもよりも5分早く起きたときに、野球の試合に勝った。こういうことが起きたときに、次の試合の日にも5分速く起きようと思ってしまうのが人間の性質だ。これをジンクス(jinx)という。
ジンクスほどではないにしても、人間は因果関係について良く誤解してしまう。二つの事柄が同時に起こることが多いことを統計的に相関関係があるという。しかし統計的に相関関係があることがわかってもその間に因果関係があるとは限らない。日本では冬に風邪が流行するが、冬の寒さと風邪の間には因果関係はない。(注1)
人間は、いつ起こるかわからない恐怖よりも、原因がわかっていて予防できる恐怖のほうが望ましいと考える。インフルエンザが神の怒りの結果であると考えている人は、神の怒りを静めればインフルエンザを鎮めることができると考えるだろう。これは純粋な運・不運でインフルエンザが流行するという考えよりも安心を与えてくれる。
歴史的に見ると、疫病の流行は国王や皇帝のような統治者にとってかなり危険なものだった。神や天の意思が自然現象に現れるという世界観の下では、疫病の流行は統治者が不適格であることを意味していた。大臣によって退位させられることもあったし、内乱が起こることもあった。後漢末に起こった黄巾の乱も、疫病を呪術で治療した張角が起こしたものであり、このような事例は多い。王や王朝を変えることが疫病対策と考えられていたのだ。
数年前から私は冬にはマスクをすることが習慣になっている。単なるジンクスではなく、マスクをしていたほうが風邪にかかりにくいという実感があるからだ。しかし、新型インフルエンザが国内でも流行し始めたというマスコミの報道とともにマスクが売りきれたのは象徴的な出来事だった。あれは、疫病が流行したときに「厄除けのお札」を買うのと同じ種類の現象に見えた。
インフルエンザが流行する本当の理由は、地球上の人間の数が増えたことである。1万年前であれば、メキシコで発生したインフルエンザは日本に到着する前に消えてしまっていたことだろう。当時の人口は非常に少なく、離れた場所の間の移動の速度も遅かった。
疫病によって多くの人が死ぬのは人口の過密な地域だけである。ヨーロッパ中世のペストは人口の密集した城塞都市で起きた。また、大航海時代による人の移動は病気の移動をもたらし、ヨーロッパの持っていった病気は南北アメリカ大陸の多くの人に死をもたらしたのである。
インフルエンザがいつ流行するかは予測できないが、それがウイルスという病原体によるものでわかっていることは私達の気分に少し安心をもたらしてくれる。悪性腫瘍のように、特定の原因がなく、防ぎようのない病気は人間にとってより辛い気持ちをもたらす。
今問題になっている大不況についても、原因を求めようとする人が数多くいる。原因を特定できれば、その原因を取り除くことによって昔のような幸せな成長経済が戻ってくるのだから、そう考えるほうが幸せだというのは確かである。しかし、不況の原因が取り除けないものであるならば、そのときは不況と共に生きることを考えたほうが幸せなのではないだろうか。
注1 風邪の流行の原因となるのは湿度であるといわれている。
日本では寒い冬の時期に空気が乾燥するが、大陸の西側(ヨー
ロッパや米国西海岸)では夏に空気が乾燥し、風邪もその時期
に多い。
今日のNews別冊 第198回 草刈り(その2) (2009年6月1日分)
エスエイチです。
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昨日は町内会の行事で草刈りがありました。今日お送りするのはそのときに考えたことです。最近問題になっている雇用というものも、こういう観点から見直したほうが良いのかもしれません。
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今日のNews別冊 第198回
コラム 日々の出来事 第31回
~草刈り(その2)~
今年も町内会の草刈りがあった。昔は道路の草も刈っていたのだが、最近は町内に二つある公園だけになっている。私達の担当は東側にある公園で、片平山公園という。片平山公園は西向きの斜面になっていて、小さい子供達が橇(そり)に乗って草滑りをする公園だ。
時間になって公園前に集合し、副会長のあいさつのあと、さっそく作業が始まる。14台ある草刈機を持った人たちが斜面に散らばっていく。小さなガソリンエンジンの力で、棒の先ののこぎりやひもが回転するものだ。私は小さな鎌を持っていたけれども、草刈機には勝てないので、町内の備品であるレーキ(熊手)を借りることにした。レーキは、扇状に広がった爪で草をかき集めるための道具だ。
レーキとポリ袋を持って斜面を登っていくと、草刈機を持った人がゆっくりと上りながら草を刈っている。左右に草刈機を振るように動かし、幅3メートルぐらいの場所の草をかなりきれいに刈り取っている。別の人は、公園内を横切る通路とその両側にある植え込みのあたりを草刈機で薙いでいる。
私は草刈機の後についてレーキで草を集め始めた。最初は集めた草をポリ袋に詰めていたが、草刈機のスピードが速いので同じスピードで付いていくのが難しい。見ると、斜面の真ん中で鎌を使って草を刈り取り袋につめている人たちがいる。そのあたりはあとで草刈機を使って刈った方が早そうなので、声をかけて集めた草の袋詰めを頼んだ。
草刈機が草を刈り、レーキが草を集め、残りの人たちが袋詰めと刈り残された草の刈り取りに分かれると、前よりも効率が良くなってきた。それでも、公園の端のほうで座り込んで草を刈っている人たちがいる。その人たちが集まっているために草刈機はその場所を避けて草を刈っている。その人たちにも、袋詰めを手伝うように頼んだが、その頃には草刈機の人たちはずっと先に行ってしまい、その場所は刈り残しになってしまった。
レーキを使っている人たちを見ると、斜面の下から上に向かって集めている人がいる。効率が悪そうなので"上から下に集めたほうが楽ではないですか"と声をかけてみる。"集めた草は公園の上に集めるからこうやっているんです"という返事だ。上に持っていくのは袋詰めしてからのほうが楽なのではと思う。
草刈機の人たちがほぼ刈り終わったようなので、さっき人がいたために刈り残しになっている場所を刈ってくれるようにお願いする。その後についていって、刈った草をレーキで集める。そうやっているうちに公園全体の草刈りも完了した。
草刈り終了のために集まりながら考えた。無駄があるとすぐに省こうとする私の行動は、町内会ではあまりよくないのかもしれない。町内会は「皆が集まってやること」が重要なのだ。草を刈ることはテーマであって目的ではないのではないだろうか。効率だけを求めても必ずしも幸せとは限らない。効率を上げて5分や10分の時間を短縮するよりも、それぞれの人が草刈りをしたという実感を持てるようにやったほうがよかったのだろうと後になって思った。
