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今日のNews別冊 第197回 熱力学の第一法則 (2009年5月7日分)

エスエイチです。


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最近のNewsは新型インフルエンザの話が中心を占めています。インフルエンザの流行も問題ですが、経済に及ぼす影響も心配です。新幹線の中ではマスクをしている人の数がかなり増えてきました。私も長男も予防のためにマスクをしています。


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今日のNews別冊 第197回


コラム 通学中の雑談 第2回
      ~熱力学の第一法則~


電車の中で教科書を読んでいた息子が"第一種の永久機関と第二種の永久機関は何が違うの"と質問してきた。"第一種の永久機関はエネルギー保存則に反するものだ。これができると世の中のエネルギー総量が増えてしまう。第二種の永久機関はエントロピー増大の法則に反するものだよ。エネルギーの総量は変わらないけれどもコストゼロの冷房ができてしまうんだ"と答えた。


そこで、逆に質問をしてみた。"最近、植物工場といって建物の中で野菜なんかを作るというのが話題になっているね。人工照明を使うので電気代が問題なのだが、そのために太陽電池を使おうという話もある。これはうまく行くだろうか"


息子は"太陽電池の設置費用は何年ぐらいで回収できるのかな"、と考えている。そこで、"そういうことを考えるよりもっと先に考えなければならないことがある。1平方メートルの屋内を太陽と同じ明るさで証明するためにはどれだけの面積の太陽電池が必要だろう"と聞くと、"う~~ん"と考えているので、"エネルギー保存の法則だよ"とヒントをだす。


"1平方メートル以上必要だね"というので、"そう、1平方メートル以下にはならないんだ"。"でも、緑の光は要らないんじゃない"というので、"それは後で考えることにしよう。まず物事を単純に考えてみるんだ"と答えた。


"太陽電池が100%の効率で光を電気に変え、その電気が屋内で100%の効率で光に変わったとすると1平方メートルの太陽電池でちょうど1平方メートルの場所を太陽と同じ明るさで照明することができる。現実には太陽電池の効率が20%ぐらいで、照明の効率が50%ぐらいだから、照明する場所の10倍ぐらいの面積の太陽電池を準備する必要がある"


"では、もやしを育てるのはどうだろう。光がなくても育っているね。"と聞くと、"水かな"と考えている。"伸びるときに水を吸い込んで大きくなるのは間違いないけど、それがエネルギー源というわけではないからね"というと、"水を吸い込むだけでは植物体としてだめだな"と答える。


"じゃあ、カエルの卵はどうなんだろう"と聞くと、"卵の中に養分があるんだね"という答えだ。"ということは、もやしも種子の中のエネルギーを使っているということ?"と聞くので、"じゃあ、その種子の中のエネルギーの元はなんだと思う"と聞き返した。


"それは、親の植物の光合成で得たエネルギーだね"と言う。"そのとおり、緑豆とか大豆が光合成したものだ。そのエネルギーの元は?"と聞くと、"太陽の光だね"と答える。"要するに、畑で豆を育てなければもやしは作れないということだね"と説明する。"なるほど、その豆を植物工場で育てようとすると、さっきと同じ問題になってしまうんだね"


"きのこを作る場合はどうだろう"と聞くと、"きのこって寄生しているんじゃない"と言う。"そう、きのこはおがくずとかに含まれているセルロースをエネルギー源にしている。そのセルロースを作るのは植物なので、エネルギーなしに成長できるわけではない。ただ、人間には消化できないセルロースを食べられるものに変えてくれるというのは魅力的だけれどね"


"結局、農業というのは床面積の問題よりも、光を受ける面積の問題の方が大きいということなんだ。太陽電池を屋上に設置して、その電力だけで10階建てのビルの中を照明すると、それぞれの部屋は外の百分の一の明るさになる。これでは植物は育たない。ビルの外にビルの100倍の場所を確保して太陽電池を並べれば電力はまかなえるけれども、それならその土地で農業をしたほうがいいような気がするね"


"ビルの中で植物を育てても、それに見合うだけの光、つまりエネルギーがなければうまく行かない。太陽電池の理論的な効率は25%までしか上がらないと聞いたことがある。これが正しければ照明の効率が100%になっても、人工照明する広さの4倍の面積の太陽電池が必要になる。もし太陽電池の理論的な効率を越えられたとしても、エネルギー保存の法則からすれば、人工照明する広さより大きな太陽電池が必要になるんだよ。エネルギー保存の法則は厳しいね。"


"だからといってあきらめてはいけない。無理な技術でも、それが注目されるのは世の中がそれを欲しいと思っている証拠なんだ。だから、無理なことは無理だと理解したうえで、無理でない答を考えるという努力をしなければいけないんだよ。"

今日のNews別冊 第196回 持たない強み (2009年4月24日分)

エスエイチです。


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最近、長男が新幹線通学を始めました。いっしょに新幹線に乗っていると、学校の勉強の内容について質問を受けます。そのために、この別冊を書くペースが落ちてきているようです。家でいる時間を使って書こうかと考え始めています。


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今日のNews別冊 第196回


コラム 新しいもの 第3回
      ~持たない強み~


日本は水の豊かな国である。日本に住んでいて飲み水が手に入らなくて困るということはない。確かに、日本でも水争いはあった。それは田畑に灌漑するための水の取り合いである。しかし、水飲百姓という言葉が最も貧しい農民という意味で使われていたように、水を飲むことは誰でもできたのである。


旧約聖書を読んでいると、イスラエルにおいては状況が全く異なっていたことがわかる。出エジプト記において、エジプトを追われたモーゼはラクダ遊牧民ミデアン族の井戸にたどりつき、ミデアン人の娘から水をもらってかろうじて生き延びる。その井戸から水を汲むことは、権利を持つミデアン族にしか許されていなかったのだ。


イスラエルは今でも水の少ない国だ。国の中央を南北に貫く山脈の西側では、地中海の水蒸気を運ぶ西風が上昇気流で上りながら雨が降る。そして山脈の東側ではフェーン現象によって乾燥した熱風が吹き荒れる。この東斜面はヨルダン地溝帯と呼ばれている。


水の豊かな日本では、水を味わう豊かな文化が生まれた。茶会に適した水、清酒を作るのに向いた水、豆腐を作るのに向いた水、というように同じ水であっても使い分けるようになっていったのだ。しかしながら、水が豊かであるために水を節約する方法はあまり発達してこなかった。「湯水のように使う」という言葉は、日本では消費量を気にしないで大量に使うという意味だ。この言葉からわかるように、日本人の水の使い方には無駄が多いのである。


イスラエルは水資源に乏しい国である。このような場所では水がすぐに蒸発してしまうため灌漑をしても農業を行うことは難しい。そこで考え出されたのがマイクロ灌漑である。これはホースを使って個々の植物の根元だけに水を与えることで植物の生育に必要な水の量を最小限にするための装置だ。


石油については全く逆の状況が存在する。国民に安価なエネルギーを供給することを方針としていた米国では、石油の価格を低く抑えることで自動車文化を作り出した。ヨーロッパでは「馬無し馬車」として貴族の占有物であった自動車を、大衆の生活の道具としたのは豊富で安価な石油のおかげだった。その結果、高速道路、ドライブイン、郊外型ショッピングセンターなどの文化が生み出された。


戦後の日本は石油を輸入している国であるためガソリンは高価だった。そのため、最初は自動車の普及は進まなかった。軽自動車のように小さな自動車が作られたが、さらに燃料の消費を少なくすることが求められた。その求めに応じて作られた自動車は、石油ショックにときに世界で求められる自動車となり、日本車は大量に海外に輸出されるようになった。


自動車の例を考えると、資源が豊富にあって安価に使える国が使い方の文化を創りだしてその文化を世界に広めるように思う。しかし、その文化を支える基本的な道具は、資源に乏しいために最小の資源を使って実現することを強いられる国が提供するようになるのではないだろうか。


水の利用については、日本のように水の豊富な国は技術開発という点ではイスラエルなどの中東の国に勝てないだろう。また、同じことがインターネットやコンピュータの技術についても起こる可能性がある。それらの技術が発達している米国や日本は、インターネットの文化を作り出しているが、それを実現するための基礎製品は、より資源の少ない国から提供される時代が来るように思う。


技術開発を促進するために規制緩和を行う特区という制度がある。規制緩和によって発展する技術のためには現在の特区は有効であるが、資源の不足によって発展する技術のためには現在の特区の制度は役に立たない。そのような技術の発展のためには、規制を厳しくしたり、特定の資源が乏しい状態を作ったりすることも必要なのではないだろうか。

今日のNews別冊 第195回 需要が重要 (2009年3月26日分)

エスエイチです。


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人に想いを伝えるときに言葉は重要です。私も普段の会話で言葉を適切に使えないために意図が伝わらないことが良くあります。
コミュニケーションについてもっと考えたいと思います。


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今日のNews別冊 第195回


コラム コミュニケーション 第1回
      ~需要が重要~


国内総生産(GDP)という言葉を多くの人が誤解しているように思う。技術系の人には特に多いのだが、国内総生産を増やしたいという議論のときに、どうすればより効率よく生産できるかということを話し始める人が多い。こういう話をする人の多くは「国内総生産」というものを理解していない。


「三面等価の原則」は経済学の基本的な原理である。それは、生産国民所得,分配国民所得,支出国民所得が等しいということをいう。こういうと非常に難しいことを言っているようだが実は簡単なことだ。もしも世界に国が一つしかなく、倉庫というものがなければ、その国でその年に作られたものは全て誰かが買っている。これが生産国民所得と支出国民所得が等しいということの意味だ。買う人がいなければ売買は成立しないので、誰かが「販売」したものは誰かが「購入」しているといのが三面等価の意味である。


古典派経済学では生産されたモノは全てが消費されると仮定していた。これに対して、イギリスの経済学者であったケインズは「有効需要の原理」、すなわち総生産の水準は総需要の水準で決まるということを述べて、この仮定を否定した。「有効需要の原理」を簡単にいうと、「買う人がいるからモノは作られる」ということだ。


ここで注意しなければならないのは有効需要は「欲しい人」ではなく「買う人」によるものだという点だ。年収100万円の人が1000万円の車を「欲しい」と思っても、それは有効需要ではない。菜食主義の家庭の子供が肉を食べてみたいというのも有効需要ではない。


経済学を学ぶ人の全てが需要と供給の関係を信じているわけではない。20世紀末に少し流行したサプライサイド経済学の信者たちは、供給を増やせば経済は成長すると主張していた。需要は供給についてくるというのである。これは18世紀末の古典派経済学者であるセーが主張したとされる「供給はそれみずからの需要をつくりだす」というセーの法則に近い。


実際には「セーの法則」自体は需要が少なければ供給が減少して需給バランスが取れると考えているようなので、サプライサイド経済学はそれよりももっと極端なことを言っている。サプライサイド経済学が正しいのであれば、米を2倍作れば日本人は2倍の米を消費することになるはずだが、現実にはそういうことは起こらない。


経済学の専門用語はわかりにくいので、言葉によって誤解をしてしまうことも多い。「国内総生産が減少」と言われれば、「もっとモノを作らなければならない」と考えるのはしかたがない面はある。しかしそういう人たちも、「自動車の販売が不振」というと、「もっと自動車を作れ」とは言わない。「国内総生産が減少」ではなく「国内総支出が減少」という表現を使えば世の中の誤解は少なくなるのではないだろうか。