FAKE JAPAN 寂しいエイリアン

地上に墜ちた寂しいエイリアン、アン・ノラエイリ。

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 毎度お馴染み、有機生命体ぽい動きを見せる「不気味犬型ロボット君」動画です(笑)。
 この不気味犬ロボの初期動画を初めて見た時には、相当、衝撃を受けたものですが、今回のはもっと凄い。

 動きだけ見てると、ロボットと言うよりは、犬と蛇のキメラが実在してそれが動いてる生々しさを感じますね。

 なんだろうコレ、映画に登場する良くできたCGモンスターとも違う、、。
 こいつに襲われたら、ほんとにヤバイ!みたいな事をちらっと感じます。

 「不気味の谷現象」という概念を思い出しました。

 人型ロボットとかアンドロイドとか、その外見が機械ぽい時は、親近感を憶えるけれど、人間そっくりになって来ると、逆に妙な不安感や恐怖を感じるという感情ですね。

 でも、その外見がまったく人間と同じになってしまうと今度は逆に、親近感が跳ね上がると言われているそうです。

 この感情、単純に「人間そっくりの蝋人形が動いたら気持ち悪い」というものでもなさそうです。

 これって 「そういった存在」自体の問題というより、むしろ人間側の問題という気がしますが、、。

 

 

 

 

 

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 最愛の妻である女優と死別し、ボクは酒とギャンブルに溺れる日々にあった。そんな折、友人のKさんが、お前にある人を逢わせたいと言った。とてもチャーミングな人で、ギャンブルの神様として有名な作家、色川武大(阿佐田哲也)がその人だった。ボクは先生に誘われ、旅打ちに一緒に出かけるようになる。先生の不思議な温もりに包まれるうち、ボクは絶望の淵から抜け出す糸口を見出していく。伊集院静氏の自伝的小説。

 アンは機械類の操作が昔から病的に苦手。
 何も考えずに言われたとおりにやれば良いのに、あれやこれやと考えて結局迷路に填って失敗するという性格が関係しているかも知れません。
 なので、パソコンやスマホ関係のややこしい設定やら諸々は、何時も弟の世話になっています。
 そんなアンが数年前、苦手なTV録画に初単独成功したのが、「ドラマスペシャル いねむり先生」。
 こんな単発TVドラマを、録画で上手く仕留めたのは、初めてじゃないかしら(笑)?

 

 それほど視聴に執着したのは、主演が藤原竜也君で、彼が若き日の伊集院静を演じてるからって事もあったけど、それに加えて阿佐田哲也と夏目雅子の話なれば、見るっきゃないでしょ!って感じだったから。
 でもこの時点では、「いねむり先生」の原作本も色川武大本も読んだことないんですよね(笑)。
 阿佐田哲也氏の『麻雀放浪記』には、何度も手が伸びたんですが、本屋さんでぱらぱらとページをめくっては、「あかん!これ、あたしの肌に会わない」って感じの繰り返し、放浪記の映画は面白かったんだけど。
 夏目雅子さんは、TV西遊記の再放映で見た彼女の三蔵法師に、幼心にも妙な倒錯的エロスを感じて大ファンでしたw。
 その夏目雅子さんの旦那ですよ、伊集院静氏って、なにかそれだけでドラマの世界。
 TVで氏の姿をちらっと見た事あるけど、格好いいわ!!いかにも女性に持てそー。

 

 でもつい最近、ようよう伊集院静さんの原作本「いねむり先生」を手にして数十ページ読んだんですけど、これも阿佐田哲也氏本と同じでリタイアしちゃったんですよね、、、何故か肌に合わない。
 「旅打ち」の描写に入ったら、叉、感じが違うかも知れないので、そのうち再チャレンジしようと思ってますが、、、。
 TVドラマの方は、面白くみれたのに不思議ですね。
 原作の方は、「その方面の業界内部の内輪話」のニュアンスがプンプンしてて、ついて行けないんですよね。
 TVでお笑い芸人さん同士の内輪話やノリを、さも面白げに延々と続くのを見せられて、うんざりするあの感覚に近い。
 でも考えたら阿佐田哲也氏の『麻雀放浪記』だって、「業界内」の内輪話か(笑)。

 TVドラマの方はまったりしてて、お酒をゆっくり飲みながら視聴可って感じですよ。
 テーマ的には結構重いものがあるんだけど、そっちの方は意識的に押さえてあるさじ加減が良いのかな?
 アンも「旅打ち」のシーンだけ楽しんで、悪いけどサブロー(伊集院静)が悪夢に悩まされてるシーンなんかは欠伸して見てました。
 本当の「悪夢」の怖さってあんな程度じゃないよね、、。
 それに、藤原竜也君が怯えてのたうち回る人間の演技をやると、最初は凄いなーって思うんだけど、そういうの何度も見てると、ちょっと演劇的過ぎかな?とか思っちゃうんですよねw。

 ただ、冒頭の西田敏行さん演じる阿佐田哲也氏が、いねむりじゃなくて「金縛り」にあってるシーンはかなり怖さを感じました。
 この時は、このドラマの中で阿佐田哲也というよりは「西田敏行」にしか見えなかった西田敏行氏が、阿佐田哲也に見えたかな。
 やっぱり西田敏行氏って、只の俳優さんじゃありませんね。
 「人は病気や事故で死ぬんじゃない。寿命で死ぬんだよ」って先生が、サブローにおずおずと言い聞かせるシーンはジンと来ましたよ。

 そうそう「旅打ち」って面白そう・・やって見たい!

 でもアンは全然博才ないからなぁ、、「男→女」の賭けで全部、勝負運持ってったて感じだしw。
 ウソウソ、本当は頭悪いから、麻雀なんて基本的なルールは判るんだけど、点の数えかたが未だに覚えられないし、卓上に浚された牌も覚えられないし、こんなのでは、麻雀に限らずデータと勝負勘が連動してる賭博になんか一生勝てっこない。
 これで「旅打ち」に出たら、その日の内に尻尾巻いて帰宅するハメになります。
 でも気のあった仲間と一緒に旅にでて、旅行先の美味い料理とお酒を楽しんで、好きな賭け事して、その日の大負けも旅の味わいの内って、最高じゃないかなって思いました。
 ちょっと、その感じ、お仕事の「地方出張デート」に似てるかなぁ。
 小説、「激走!!まぼろしトラック」のバックグラウンドはこの「旅打ち」みたいな感じです。

 

PS ドラマ版「いねむり先生」で阿部サダヲ演じる黒鉄ヒロシは「見逃せばボールの球」、谷原章介の井上陽水は、馬鹿にしてんのかテメーコノヤローです(笑)。ぜひにと視聴をお勧めするレベルの作品じゃないですが、機会があればウィスキーなんかを用意してゆったり眺めるのには良い一本だと思います。

 

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 クリムゾンは濃く明るい赤色で、若干青みを含んで紫がかる色、人の感情を揺さぶる鮮やかを持っている。
 ピークは山陵の意。
 ・・その屋敷は、冬になると地表の赤粘土が雪を赤く染めることから「クリムゾン・ピーク」と呼ばれる山頂にあった。
 って事で、「クリムゾン・ピーク」は、不発弾が庭に突き刺さったままの孤児院が舞台となる「デヒルズ・バックボーン」系列かな?

 本作品における「キャラ別スクリーン露出度ランキング」だと、1位がイーディス、同率2位でトーマスと彼の姉ルシール。
 でも「主人公度ランキング」だと、1位がトーマスで、2位が姉ルシール。で3位がイーディス(笑)。
 いや、やっぱり本当の主人公は、シャープ屋敷か?っていうのは冗談です。
 (天井に穴が開いていて、そこから雪が降り込んでくるっていう設定も秀逸)

 でもトム・ヒドルストンあっての「クリムゾン・ピーク」だなって感じは強くしますね。
 それぞれの意味で、「悲劇のヒロイン」やっている筈のルシールとイーディスが強すぎです。
 それに比べてトム・ヒドルストンのトーマスが「お姫さま」な事と言ったらw。
 その対比、二人の女性が雪に覆われた赤粘土地表上で繰り広げる壮絶な肉弾戦の後で登場するトム・ヒドルストン幽霊の弱々しさに思わず吹き出してしまうほど。
 加えてチャーリー・ハナム演じるアラン・マクマイケルって何?白馬に乗った王子様どころか、最後にはイーディスに助けて貰ってるし。

 それにしてもこの映画、筋立て的には日本の「蔵の中」と、ピーター・カッシング時代のドラキュラシリーズを混ぜたような感じですね。
 で映像は、デル・トロ監督のゴシック・ホラー趣味の極北と言いましょうか。
 だから本作の見所は、一にシャープ屋敷、二にトム・ヒドルストン、三にルシール並びにイーディスの隠れ肉食系女子同士が放つ火花みたいな。
 でもなー、本作では女性の幽霊さん達が無駄に怖い。彼女たちって、ホントは正義の味方の被害者なのに(笑)。

 判って貰えます?
 いくらアンがデル・トロ監督ファンだからからと言って、なんでもかんでも監督の作品を持ち上げてるわけじゃないんですよ。
 それでも「クリムゾン・ピーク」なんかの作りを見てると、デル・トロ監督って、だんだん自分の中の創作上の贅肉をそぎ落としに行ってる感じはしますね。
 だから出来上がった物は凄くシンプルで綺麗、でも観客の方は、色々な要素が一杯詰まってる中期のデル・トロ監督作品の方を見てる方が面白いと思うんだけどなー。
 けどそれを言ったら、「シェイプ・オブ・ウォーター」みたいな珠玉の名品は出来なかっただろうし、こればかりは何とも言えません。

 

 

 

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 前回放映の第5話「死の報復」で、いよいよこのドラマの本流に突入か?って感じがして、個人的には楽しめたんだけど視聴率は10パーセントを割り込んで9.0。

 なんだか良く判らないなー、裏でオリンピックの注目試合か何かあったっけ(笑)。
 というか、アンが好んで見てた今までのドラマは、ほとんど視聴率でいうと3・4番手くらい、、下手するともっと下の場合が多いんですよね。
 視聴形態が多種多様なこの時代に視聴率なんていう指標がどれほどの意味があるのか判らないけど、そのドラマの話がちょっと複雑だったり、ひねってあったりすると、確かにドカーンと数字が取れない傾向にあるのは確かみたい。

 

 でもドンマイ!声が届いてるかどうか知らないけれどw、視聴率にびびって一般受けだけ狙って「面白いものを」っていうクリエイティブな姿勢を鈍らせたら、それこそ自分たちの首を絞める事になるんだから、ドラマの製作サイドの人達には、本当に頑張って欲しいと思ってます。

 ってな事で、第6話の感想なんですが、野木亜紀子脚本、自らドラママニアを自称するだけあって上手いわー。

 野球の試合の組み立て見てるみたい、9回、及びシーズンを如何に戦うかみたいな感じで、冒頭は第5話の内容を繋いで、中盤は東海林夕子キャラで別の話をコミカルぽく充当、で最後は愛されキャラポジションだった筈の久部六郎君で、急転直下に暗雲たれ込めてドーンと落とすという。
 今でも中堂系だけでお腹一杯なのに、その上、六郎君でハラハラですかぁ(笑)。

 

 そうそう、その中堂系は今回、ちょっぴりお笑い系も努めてましたけど、そのお相手をする松重豊さん演じる神倉保夫も良い味出してましたね。

 松重豊さんのこういう役回りも好きです。

 

 役回りと言えば市川実日子ちゃんねー。

 (ちゃんて呼べるお年じゃないけど、それこそ今回のエピで扱われた女子同士の「友達じゃない」のノリで、そう呼ばせてねw)

 彼女って凄く不思議な人ですよね。

 ある時はすっごく美人に見えるのに、ある時はきれいめな柴田理恵さんに見えたり。
 アンと市川実日子ちゃんとの出会いは、庵野版キューティーハニーの秋夏子。

 思えば秋夏子もそうだったな、ビジュアル的に可愛い筈なのに、なんとなくどこか可愛いのチューニングが狂ってるというか。

 まっそれがあるから市川実日子ちゃん、シン・ゴジラの尾頭ヒロミみたいな当たり役を引っ張って来るんだろうけど。

 

 

 

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 今日、ご紹介するのは「常滑」。
 常滑とか信楽とか美濃とかへは、相方が飲食の仕事をしてるので、器を調達するために結構な頻度で訪れるんですよ。
 でも只のショーファー代わりのアンは、陶器にはあまり興味はありません。もっぱら観光気分です。
 相方の交渉の様子を横で見てるだけなので何とも言えませんが、常滑は陶器の専門店が多くて、「一般」の方で購買目的なら、常滑焼セラモールなんかが「本当に安く」常滑焼きを手に入れられるような気がします。

 

 もちろん常滑は、それなりの観光スポットでもあります。
 その中でも、やはり見所と言えば「やきもの散歩道」ですかね。
 登り窯や黒板塀、土管坂なんかが有名ですね。
 この場所には、個人的にも特別惹かれるモノがあって何度も訪れているんですが、きっちり正対して感想を書いたことがありません。
 なんだかその佇まいが、アンの遠慮を引き出してしまうんです。

 

 「やきもの散歩道(Aコース)」と言っても、実際は丘陵地帯にある狭い生活道(ほとんどが坂道)を上がったり下ったりする場所なのですが、周りにあるのは殆どが「やきもの」関係の小規模な工場だったり工房だったりする訳です。
 もちろん観光スポットらしい飲食店や商業店舗もちらほらと存在しますが、そんな光景の中、一番目立つのは放置され手入れもなされないままの廃墟に近い建物達です。
 これがアンの遠慮の原因なんですね。
 と同時にそれが、この場所に惹かれるチャームポイントでもあるんですが。

 

 「やきもの散歩道」の中でも、小高くて見晴らしの良い場所に立って眼下を眺めると、このスポット自体が、日常世界から切り離され時間が止まっているちょっとした特異空間のように見えます。
(ゴメンなさい。ここで生活してる人達に凄く失礼なこと書いてる)
 「常滑」自体が丘陵の連なった知多半島特有の地形の上にあって、それらを造成した結果の居住地だと思うのですが、「やきもの散歩道」は、その強烈な濃縮版のように思えるんです。
 それと地方経済の衰退ですね、、。

 

 確かに「常滑」には、中部国際空港(セントレア)とか色々あるんですが、それはニューカマーというか本来の常滑活性を支えていた窯業などの経済のメインストリームではないんですね、、それが「やきもの散歩道」の光景に滲み出ている。
 だから情緒あるその光景の中には、チラホラと「陰」が潜んでいる。
 地方都市に出現する巨大なイオンモールのフラットで「陰」のない明るさと対照的ですね。
 廃墟ブームの核になっているものが、ここには50パーセントの割合で混じり込んでいる(笑)。
 あの伸び放題の草むらの陰には何が転がっているんだろう?
 放置された倉庫の地面の匂いはどんな感じだろう?、、って、だから好きなんですが。

 とまあ此処まで書くと「やきもの散歩道」が、放置されたまま寂れまくっているみたいな印象を与えるといけないので書いておきますが、道のあちこちに観光客に対する配慮のあとや観光活性化の工夫があって、ちゃんと旅の人間を受け入れてくれてるなという息づかいはしっかりあるスポットなのでご安心を。
 特に「やきもの散歩道」の麓は、結構オシャレな小物のお店や飲食店もあったり楽しめますよ。
 でも営業時間はやっぱりローカルでそれなりに短いですから、都会の感覚で遊びに行かないでねw。

 

 ちなみに、「やきもの散歩道」の麓にある「とこなめ招き猫通り」の壁には、巨大な招き猫「とこなめ見守り猫とこにゃん」が出現していますが、アンはアプローチの仕方に癖があるのか、何度行っても、とこにゃんの近距離実物って、後頭部の裏しか見たことがありません(笑)。

 


 

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 ズンババ、ババン!ズンババ、ババン!
 Ah-ah, ah!
 あにゃー?!ツェッペリンの「移民の歌」だし!
 ズンババ、ババン!ズンババ、ババン!
 Ah-ah, ah!
 Ah-ah, ah!

 「移民の歌」は「ドラゴンタトゥーの女」でも使ってたけど、本作の方がテーマ的にもアゲアゲ的にも使いかたが実に見事ですよね(笑)。
 「マイティ・ソー バトルロイヤル」はマイティ・ソーシリーズの第3作目。
 今までも面白かったけど、アイアンマンシリーズに比べるとちょっと格落ちかなーって密かに思ってた(ゴメンね、ソー。だってソーってば、全然神様らしくないんだもんw)。
 でも3作目は、文句なしに面白いです。

 この「マイティ・ソー バトルロイヤル」の邦題については、ネット上で非難を浴びまくってましたが、実際、この作品を見た後で、この題名を考えると首をひねらざるを得ないですね(笑)。
 映画の内容は、どこから考えても原題の「ラグナロク」だし、第一、「バトルロイヤル」より「ラグナロク」の方がずっと語感としても格好良い。
 とにかく「宣伝」っていうのは、「日本じゃ、一般的に判りやすくて受けが良い事が重要。変に理屈ぽいのは駄目。」みたいな業界内の鉄則があるみたいだけど、「バトルロイヤル」は、昔のヒット(小説)映画バトル・ロワイアルとか、プロレスとかその諸々の使用頻度で、多少は一般的な言葉だと思ってるのかしら? なんだか手垢が付いた言葉で、バトルロイヤルを使った時点で、ほんとダセーッ!と思っちゃうんだけどね。

 

 それともう一つ、公開当時の話題で言えば、随分、「ソー・ラグナロク」ってお笑い方向に変わった!って話が盛り上がってて、そっちは楽しみにしてたんだけど、実際見てみたら、これくらいで良い塩梅でしょ(笑)。
 「デッドプール」とか、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」から見たら、まだまだって感じ。
 ただし画面の中に、スタン・リーとかマット・デイモンとかがノークレジットで登場したり、そういうノリで、ソーの第3作目を作ったのは凄く伝わって来て、それが「楽しさ」として見てる側に伝染してくるのは凄いよね。

 

 それにSF作家ダン・シモンズの「イリアム」とか「オリュンポス」を読んでる感覚から言うと、本作もそうだけど「ソー」シリーズって、見かけはアレだけど、結構ちゃんとした脚本内容なんだよね。
 ギリシャ神話でも北欧神話でも、とにかくそこに出てくる神様連中ってのは万能のくせして、やることなすこと、とにかく人間以上に人間くさくて馬鹿で間抜けでえげつない。てか野蛮で好戦的。
 アスガルドの血塗られた裏歴史とか言ってるけど、これ、神話じゃディフォルトだし(笑)。
 その辺りと、「アスガルドは場所の事じゃない」ってメッセージを、うまく統治問題や王位継承話に織り込んであるところが面白いよね。
 ソー&ロキ兄弟とヘル姉ちゃんの骨肉バトルは、ロッテグループの経営権争奪戦や大塚家具騒動とかを思わせ、で理想の経営者ってどういうの?大国による統治と支配の差ってなんなの?みたいな話もベースにあったりして。
 まあこの辺の脚本内容の厚みは、ソー単独って事じゃなく「マーベル・シネマティック・ユニバース」っていう概念のすごさから来る部分も多々あるんだろうけど。

 

 それとカール・アーバン演じるスカージが、最後の最後に愛用のM16アサルトライフル 2丁「デス」と「トロイ」で、ヘラ軍団から難民を救うシーンなんか、いかにもハリウッド映画的展開ってか、理想のアメリカしてるってか、マーベルコミックスしてて笑った。

 でもやっぱり第3作目の「ソー・ラグナロク」の面白さって、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」ぽい登場人物同士がやる掛け合いの擽りの部分かな。
 これってシリーズの最初からやるのは無理だったろうけど、「マーベル・シネマティック・ユニバース」の積み上げ含めて、今ならやれるって感じだったんろうな。

 ソーとロキ、ソーとドクター・ストレンジ、ソーとハルク&バナー。
 それぞれ、絶妙絶妙に面白い。

 

 中でもトム・ヒドルストン演じるロキと、クリス・ヘムズワースのソーは長年連れ添ったゲイカップルの漫才みたいで、(違ったか)この二人の関係だけで、後、もう一本くらいはスピンアウト映画が作れそうな感じ。
 それとハルクとバナーをシェイクした、半ハルク・半バナーも面白くて、これでナターシャとのラブコメもありでしょ(笑)。

PS あと「マーベル・シネマティック・ユニバース」の凄いところはアンソニー・ホプキンスとかケイト・ブランシェットとかを投入して来るところかなぁ。

 アンソニー・ホプキンスがオーディンを演じるだけで、その存在感の分だけで余分な説明をしなくても世界観が分厚くなる仕組みね。

 日本で言うと仮面ライダーに仲代達也氏をレギュラーで入れたりする感じ(笑)。仲代達也氏の隣で竹内涼真君とかジュノンボーイが演技してるって姿だけで涙出ますよ。
 それとケイト・ブランシェットのヘル、、、うーん、凄みのある色気がだだ漏れ、いやアクションシーンも、滅茶苦茶ありでしょ。
 それにケイト・ブランシェットならアスガルドを全支配しても良いって感じw。

 ソーのムジョルニアだって、他の敵役が握りつぶしたら、なんだかモヤモヤ感が残るけどケイト・ブランシェットなら許すみたいな(笑)。

 ケイト・ブランシェット、もうすぐ50なんだよなーー。ほんと輝く女性として見習いたい大女優さんです。

 

 

 

 

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 例年2月から3月の半ば、立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を「春一番」と呼ぶらしいです。
 別に「春一番」が吹いたから、春が来て暖かくなるわけじゃないのが少し哀しい(笑)。

 そうそう、「春一番」と言えば、大阪には今はもう伝説になっている「春一番コンサート」というものがあったらしいのです。
 会場になっていたのは天王寺公園野外音楽堂??今は天王寺動物園のどこからしいですね(笑)。
 アンがそれを知っているのは、フォークシンガーの高田渡さんのお陰。
 というか、高田渡さんを知っているのは京都のイノダコーヒーのお陰。
 そうそう、高田渡さんの「コーヒーブルース」の歌詞に出てくる「三条に行かなくっちゃ♪三条堺町の♪」イノダです(笑)。
 今では、アンの中では、イノダのコーヒーが先なのか、高田渡さんの「コーヒーブルース」が先なのか、よく判らなくなっています。
 染み渡る歌声、 「生活の柄」 なんか聞くとウァーンとなります。

 春一番コンサートは、一度中断されて、再び「祝 春一番」という名前で再開されていて、このコンサートを続ける理由を、主催者さんは「死んだからや、渡が。それだけや」と語っているそうです。
  ・・・・高田渡さんの曲を知ってるぶん、何か、泣ける話です。

 「春一番」が吹いたからって、春が来るわけじゃないけど、春の到来の前触れには「春一番」が吹く、、、そういう事ですね。
 

 

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 今日は、「町屋手拭」というものについて書きたいと思います。
 その前に「手ぬぐい」について説明しないと駄目ですかねw?
 今は生活様式の変化に伴って「手ぬぐい」より、ハンドタオル・フェィスタオル・バスタオル等のタオル生地軍団の時代ですから。

 もちろん今回ご紹介する「手ぬぐい」に、密接に付随していたイメージのある「銭湯」の数もぐんと少なくなってます。
 「銭湯」って、スーパー銭湯とか日帰り温泉の事ではありませんよ(笑)。

 

 よーく探せば今でも隣町のどこかに、まだひっそりと営業されているかも知れません。
 カーンコーンと桶やら何やらの音が響くタイル張りの浴室で、いなせなお兄様が、固く絞った手拭を素肌にパシーンと叩き付ける図ですね。
 でもこんな絵図らはもう、昭和映画とか古典落語の中にしか登場しないのかしら。
 とか書いてるアンだって「銭湯・手ぬぐいって初めて聞いた」世代にかなり近いんですけど(笑)。

 

 でも、言っておきますが、手ぬぐいとしての機能性を考えれば「町屋手拭」なんて下の下です。
 ホント、「何でも古いから良い」って妙な別の流れがあるから困ったモンです。
 (地域振興とかに使うのは構いませんが、「江戸しぐさ」とか政治的なのに使われるとろくなことがない)
 肌にパシーンと叩き付けられるのは、それだけ生地が薄くて固いからで、いくらその上に粋な図柄が染め抜いてあっても、手ぬぐいとしては無地のタオルの機能性にはかなわないんです。
 それは、昔の生活様式にいくら郷愁を感じようと、「利便性」を考えれば、どれをとっても現在の作法の方が、全て上であるのと同じ事です。
 でも、そういう状況を度外視してでも、人が過去のモノに強く惹きつけられるという事実も片一方であるんですよねぇ。

 京都寺町の新風館近くにある手拭専門店の永楽屋細辻伊兵衛商店さんでは、明治から昭和初期に実際に販売されていた手拭の復刻版を沢山見ることが出来ます。
 その絵柄は、舞妓さんのスキー姿など、当時の最先端であり、今はレトロモダンを感じさせてくれるものが多いですね。
 当時の最高度とされる染め技術と、そして伝統的な絵柄とモダニズムの合体は、今見てもデザイン的にとてもスリリングです。
 思うに、今、私たちに素敵さを感じさせてくれるレトロモダンの中には、「失敗しなかった未来」が、多く詰まっているんじゃないかと思います。
 「失敗しなかった未来」が、懐かしさを感じさせる光景を喚起させるモノや形と繋がった時に、私たちの過去の時代への憧れが生まれるんだろうと。
 だから今の文化が生み出しているモノたちが、後、数十年後に「愛すべきもの」として再び私たちの目に映るのだろうか?という心配はありますね(笑)。
 近い未来において、平成の世の中が生み出したモノが、懐かしさは感じるけど、ただの荒廃したガラクタばかりだったら辛い(笑)。「平成」の次の新元号は「安倍」なんじゃないかと思ってますが(笑)。

PS  そうそう、永楽屋さんの手ぬぐいは「手ぬぐい」として使うんじゃなく(勿論、使ってもいいですが)、壁飾りとか、お洒落用の梱包材に使うのがベストですね。
 ワインボトルとか日本酒の一升瓶とか、、これに包んでハレの日に、楽しんじゃうとか。
 たまには気分だけでも「小粋」にならなくっちゃね。
 アンは永楽屋さんで、大きな赤鬼がでっかい背中をこちらに向けているデザインの手ぬぐいを買いました(どんな奴ちゃねん。もっと可愛いのを買わんかい!)。
 その赤鬼の後ろ姿に、オトーサンの哀愁を感じてとってもお気に入り。
 オトーサンという生き物だけは、ここ100年、その生態に変化がないんじゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

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 フランコ政権下の抑圧的な神学校学ぶ少年二人の友情と初恋、神父による性的虐待、そして成人し再会した彼らの姿とが交錯して描かれる。

 エデュケーションは「教育」の意味、従って「バッド・エデュケーション」はこの神学校で二人の少年に施された「教育」の事を刺しているのか?

 本作は、かつて自らも保守的な神学校で少年時代を送ったペドロ・アルモドバルの半自伝的な作品と称されている。

 

・・・・・・・・・

 

 同性愛の兄弟物だけに、ちょっと身につまされました。
 まあスチール写真じゃ、も一つ綺麗じゃなかったガエル・ガルシア・ベルナルの女装姿が、動き始めるとかなり綺麗(衣装はジャン・ポール・ゴルチエ!!)だったのが救いでしたが、、、、。

 新進気鋭の映画監督エンリケ(フェレ・マルチネス)の元に、神学校の寄宿舎で共に少年時代を過ごしたイグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が訪ねてくるところからこの物語は始まります。
 いくら少年時代に別れたとはいえ、幼い頃の面影が全くないイグナシオにエンリケはとまどうのですが、彼が持ち込んできた「訪れ」という自筆の脚本には、幼い二人しか知らぬ筈の同性愛の秘密と、彼らの仲を引き裂いたある神父の実体が暴かれていました。

 

 イグナシオは、この脚本を元に、自分自身を主役の「女装美女サハラ」として映画を撮ってくれとエンリケに頼み込み、ついに映画はクランクインします。
 しかしこのイグナシオを、少年時代のイグナシオ本人だとはどうしても思えないエンリケは、事実を確認すべく、イグナシオの故郷を訪ね、そこで隠されたある真実を知る事になります。

 とまあ、こんなミステリー風のストーリーなのですが、例によってアルモドバル監督の映画で「謎解き」がメインの筈もなくw、青年イグナシオの正体を書いてもなんの問題もないと思いますので、堂々とネタバレしちゃいます。
 本当のイグナシオはエンリケと別かれた後、豊胸手術と整形を施し、同性愛者というよりはシーメール(ニューハーフと言った方が判りやすい?)の道を進み、完全に性転換するための費用を捻出するために、幼い自分を犯した神父を脅迫していました。
 実はエンリケの目の前に現れたのは、このイグナシオの弟だったのです。

 では何故この弟が、兄が書いた脚本を自らを兄と偽装してまでエンリケの前に現れたのか、、、まあ、いくらなんでも此処から先は書かないでおきましょう。

 とにかくこの映画は、そんな謎解きに沿って話が展開されるのですが、映画自体のコアは、幼いイグナシオを愛しすぎた神父が彼の恋人であるエンリケ少年に嫉妬するくだりや、エンリケ少年がイグナシオを庇おうとする場面などに現れる、性別や年齢差を超えた愛の描写にあります。
 それにイグナシオの弟・アンヘルが、最初、ヘテロで登場するのに、神父にバックを陥落され男の味を覚えた途端、今度は悪女のように神父を操る側に変化する下りや、同じく彼がヘテロ然とした態度で同性愛者のイグナシオを焦らすあたり等の「モヤモヤ感」などは、アルモドバル監督ならのものでしょうね。
 自分のアナルに相手のペニスを自ら能動的に導き入れて、快楽を吸い出すように楽しむイグナシオ(サハラ)のシーンなんかは、邦画の映画はもちろん、AVでさえあまり見慣れない視点だと思います:汗。
 こういうのをスクリーンで堂々と見せられると、自分の性欲を裸にされたようでちょっと恥ずかしくなります。


 この映画を見た後、少し鬱な気分になった自分を振り返って見ると、兄イグナシオと弟エンリケとの出会い、そしてイグナシオが神父からの性強要行為で女性的役割を自覚した同性愛者として目覚め、やがて性転換に走った事実と、同性愛者の肉欲を利用するけれど本質的には同性愛者ではないアンヘルのありようが、現実の様々な家族の姿に重なって来るからではないかと気が付きました。
 こういったテーマで、日本のマスコミなどで紹介されるものは、圧倒的に問題に理解的な家族や家庭が多いのですが、実際は、そんな問題以前に、その家族自体の有り様自体が重く複雑、かつ多様な場合があったりしますからね。


 アンヘルが映画の中で、女装したサハラを演じ、兄イグナシオに思いを馳せて嗚咽するシーンが、アンにとってのこの映画の唯一の光明です。
 そして幼いイグナシオとエンリケが、映画館の闇の中で仲良くスクリーンを見ながらお互いのペニスをこすりあうシーンの儚いときめきと肉欲が残酷な時の流れの中にあって、微かな輝きを見せる人生の不思議に感動させられました。

 

 

 

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 出石は、兵庫県豊岡市にある城下町、関西では「但馬の小京都」の名でお馴染み。
 関西圏からだと、出石だけを目当てに1泊だと時間が余るだろうから、北へ抜けて日本海沿岸の観光地だとか、播但道を南下して姫路方面とのセットみたいな中継地として面白い町です。

 

 で、出石といえば「そば」が超有名なんですが、アンはつい最近まで、この地方には『そば畑』がないことに気がつかないでいたんです。
 地方に行くと、なんでも「地産地消」みたいなイメージがあるし、古くから引き継がれた伝統ある食べ物なら、当然、その原材料も近くで採れるのだろうと思いこんでいたんですよね。

 

 『出石そば』は、宝永3年信州上田城より、仙石氏がこの地へのお国替えとともに、地元のそば職人を連れてきたのが始まりとされています。
 つまり技術だけが移植されて今に至っているということなんですね。
 信州上田城と聞けば、確かに「そば」が盛んだったろうなと思います。
(ちなみに現在では、地元の組合の方が自前で「そば」を栽培されておられるようです。それがどれ位、「出石そば」に使われているか判りませんけれど)

 

 この出石そば、移植されたそば技術から発展したのを物語るように、色々と拘った食べ方があるようで、今では豊かな食文化を形成しています。

 

 一、汁をお猪口に注ぎ、つゆの味を味わう
 二、最初にそばとつゆだけで麺を味わう
 三、次に薬味として葱、わさびでさっぱりと頂く
 四、山芋、卵で今までとは違った美味しさを味わう
 五、最後は、そば湯で締めてご馳走様

 ・・・って、申し訳ありませんが、アンはこんなの守った事がありません(笑)。
 毎回、その日の気分ですね。美味しく食べられればそれでいい。
 マナーを要求される場面は別ですが、食べる手順を守るのは、鰻の櫃まぶしレベルくらいからかなw。
 例えば定番の皿そばを食べたある日なんかは相方と二人で十皿でしたら、かなり小食でした。
 皿そばは、わんこそばみたいな食べ方で、基本スタートセットが五皿からだし。
 しかも相方は、つゆに割入れる鶏の生卵が気になるようで、とうとう卵をパスしちゃいました。
 ※ 生卵が付かないおそば屋さんもあります。生卵は、栄養価面での昔の知恵なんだろうか?
 アンもこれはちょと微妙(笑)。
 鶉の生卵なら結構、つゆに入れたりするんですけどね(基本、そばの風味には必要ないものだと思うけど)。
 どこのそば粉を使っているのか判りませんが、出来上がったそばは高レベルだし、つゆだって美味しいのに、何故に、鶏の生卵?
 おかげで「おりゅう灯籠」見物に行くまでにあるお餅屋さん、「田子作」で、美味しいぼた餅が食べれましたけど(笑)。
 白米といい、餅米といい、どうしてこの辺りのものはこんなに美味しいんだろう?と思います。
 「田子作」さんのできたての「ぼた餅」は本当に美味しいから、出石に行ったら是非寄ってみて下さい。

 都市に進出してる和菓子チェーン店のものとは、味のレベルが一桁違います。

 

 

 

 

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