スウェーデン版映画 「ドラゴン・タトゥーの女」のお勧め | FAKE JAPAN 寂しいエイリアン

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地上に墜ちた寂しいエイリアン、アン・ノラエイリ。

 今日はニールス・アルゼン・オプレブ監督がスウェーデンで撮った映画、「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」三部作のお勧め記事です。
 多分日本では、デヴィッド・フィンチャー監督の「ドラゴン・タトゥーの女」の方が、有名だと思うんだけど、ミステリー好きにならアンはこっちらをお勧め。
 実を言うとアンが、これらの映画を見た順番では、「ミレニアム」の日本語字幕版を見て、次にフィンチャー版「ドラゴン・タトゥーの女」の日本語吹き替えを見て、最後に「ミレニアム」の日本語吹き替え版をって随分、奇妙な事をやったのですが、やっぱり「ミレニアム」の方が何度見ても面白かったのです。

 そりゃ、フィンチャー版「ドラゴン・タトゥーの女」は、オープニングからして「SM風味の007?」って感じで、派手さはあるけど、ダニエル・クレイグがアクションやらないで推理探偵もどきをやっても似合わないし、一番ネックになるのが、肝心のドラゴン・タトゥーの女であるリスベット・サランデルが、この映画の場合、貧弱すぎるって事です。
 主人公はリスベット・サランデルなんだけど、ダニエル・クレイグを映画に持ってきたら、彼を中心に描かなきゃしかたないですからね。
 あの「セブン」とか「ファイト・クラブ」を撮った監督が、「ドラゴン・タトゥーの女」のいう出来の良いミステリー原作を映画化したんだから、凄い作品が出来ると期待したんだけど、こんな事もあるんだなーと(笑)。
 この映画の3年後に撮ったデヴィッド・フィンチャー監督の「ゴーン・ガール」は面白かったけどね。
 デヴィッド・フィンチャー監督の作品って、正体の判らない隠し味で「美味しくなる」みたいな所があるんだけど、「ドラゴン・タトゥーの女」の話の方は、そういう要素を必要としないんじゃないかしら。

 この原作、妙に捻らないで、見てる方が胸苦しくなるほど、主人公たちがただひたすらに、見えない敵と「精神・知能・身体」を振り絞って戦っていく姿を描くのが正解でしょう。

 って事で、ツェッペリンの「移民の歌」とかをテーマに持って来るとか、華々しい作りの割には、フィンチャー版「ドラゴン・タトゥーの女」は、かなり「なんだかなぁ、、」の出来。

 で「ミレニアム」の方なんだけど、スウェーデン映画と言う日本人にはあまり馴染みのない肌触りではありますが、見始めるともの凄く上質な「火曜サスペンス劇場」みたいな感じで、感覚的にも結構しっくり来ちゃったりします(笑)。
 ってか、何と言ってもリスベット・サランデルを演じてるノオミ・ラパスが凄すぎです!
 フィンチャー版ではダニエル・クレイグが演じたジャーナリスト・ミカエルも、こっちはミカエル・ニュークヴィストさんで実にしっくり来ます。

 精神的にはタフだけど、そんなにスーパーマンじゃないミカエルが、リスベットに応援をして貰いながら依頼を解決していく「ミレニアム 1」から始まって、残り2部作まで、ミカエルとリスベット、それぞれの視点を交えながら話が進んで行き、最後には国家機密暴露まで行っちゃいながらも、「やっぱリスベットすげー!!」ってゆー全体の構成が秀逸です。
 三部作で一本が2時間近い長さだから、ホント、長編ミステリーを読んでる感覚を充分味わえるし、好きだワー、こーゆの。


 それにこの映画、LGBT問題に関心のある方、あるいは当事者、その周辺の方々にもお勧め。
 とにかくノオミ・ラパスのリスベットが絶品(見れば判る)。
 こんな風に書くと「なーんだ色物?」って思われちゃうかも知れないけど、「ミレニアム」のバックボーンはスッゴク硬派だし、ある意味では「社会派映画」って言い切ってもいいかも知れない側面もあります。
 あらゆる権力・抑制・差別に立ち向かう一人の女の生き様が凄すぎです。
 まっ、フィンチャー版の「ドラゴン・タトゥーの女」しか見てない人は、騙されたと思って見てけろ~。