〔×0-2:H広島戦〕ヴァイラー監督、退任 | 鹿島アントラーズと歩むブログ

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鹿島アントラーズに関する所感・考察を書いてます。 戦術系より、選手プレーや心理、及びクラブ・監督の戦略が中心かも。 ◇専門家含め世論を読まず、自分の思った是々非々にて書いてるので『くさや系ブログ』かもしれません(苦笑)

 

いやー、先週に更新したブログ、

モロに「今シーズン、全試合フルタイムは

DAZNでも見れてない(追えてない)」という

私の現状の問題点まで、出てしまいました(苦笑)。

 

このブログを始めた、若い頃だったら、

鹿島の試合時間は、調整すれば時間を空けられた

=自然と全試合フルタイム見てた

ので、問題無かったのですが…。

 

『“負けた”と分かってる試合』を、数日後に見る

というのは、私にとっては「苦行過ぎで無理」な様です(苦笑)。

 

当然、その事は自覚してるので、今季はブログを更新しない

つもりでいたのですが、先週マリノス戦の負け方を見てたら

いても立ってもいられなくなり、意見を書いてしまいました。

 

前項に、半分ピンボケのブログを書いてしまった事を

まず、お詫び致します。

 

 

小泉社長が「監督だけでなく、強化・経営側にも反省点と

改善すべき事あります」と言ってる通り、

上田が海外移籍した後に、染野をレンタル移籍させた事を

筆頭に、どちらかと言うとフロントに何らかの大きな失敗が

あった様に、映っています。

 

当然、サッカー界における、交渉事の難しさを

具体的に知らないですが、鈴木満前FDは「日伯韓以外は

詳しくないなりに“完成した交渉の進め方”があった」一方、

 

既定路線で、充分時間かけて、仕事を引継したはず

とはいえ、『主責任者』として吉岡新FDに実際にバトンを

渡したら、思っていた以上に難しく、上手くいっていない

という所でしょうか。

 

この類の話は、プロスポーツ界でよく聞きますからね。

以前に「鈴木前FDから吉岡FDにバトンタッチする時が

最も心配かもしれない」と思ってた時も、実際ありました。

 

ただその後、鹿島の母体が、日鉄からメルカリに変わり

「鹿島として“変えてはいけないモノ”とは何か」を

現在の小泉社長とも共有できてるので、いつの間に

楽観視していました。

 

ですが、世界相手に、実際に駆け引きをする

サッカー界でのクラブ強化は、特に難しい様ですね。

 

 

そもそも論として、'20年代に入った現在

何をもって“欧州路線”というか、Jリーグ開始頃より

明白な線引きは、薄くなってる様にも思えますが、

 

おそらくですが『“ACL優勝”を達成したら、次ステップに進む』

という中長期ビジョンが、鹿島というクラブとして

以前からあり、その中に「欧州の特長も取入れなければ

“現在地”より先に進めない」というポイントも上がっている

のだろう、と思います。

 

『現状に満足した時が、後退の始まり』というのは、

元々のジーコの考え方であり、

鹿島としても「コレは引継いでいかねば」という想いはある

でしょうが、結果的に現在は上手くいっていない。

 

 

ただ、古株サポの1人としては

「方向性は正しかった」と思っています。

 

というのも、昔話となってしまい恐縮ですが

1996年、初めてJリーグ優勝した年のオフに

ジーコは「次はすぐにアジアを目指すべきだ」と言ってたが

 

当時のアジアでの戦いは、

現在の比でなく厳しかったし(※ピッチ外の環境面含めると)

Jリーグの後押しも無かった。(※ナビスコ杯1次L免除なんて

“夢のまた夢”だった)

 

なので、鹿ファミリー全体が「国内で勝つ事に

もう少し酔いたい」「犠牲にするモノの大きさに比べて

得るモノ少なくないか?(※クラブW杯も未創設)」

という雰囲気だった、と記憶してます。

 

その“最初のボタンの掛け違い”が、後に大きく響く。

2001年に、先に磐田に『アジア王者』タイトル取られてしまった。

(当時、海外広告代理店倒産というアクシデント無ければ、

 磐田がRマドリードと、世界クラブ選手権にて公式戦対決を

 する予定になっていた)

 

ご存知の通り、鹿島の『アジア王者』タイトル獲得は

浦和・G大阪にも後塵を拝し、2018年まで、20年以上も要した。

 

(もし、クラブ制作のドキュメンタリー映画に入っていたら

 スミマセン。昔の事は詳しいけれど、最近は行動が伴って

 おらず、恐縮の一言に尽きます…)

 

 

間違いなく、ヴァイラー監督には悪い事をしてしまったし、

別に、鹿島フロントの回し者でも何でもないけれども、

 

「安全策を取って、そこそこの成績を取る」よりは、

「前のめりになって、一旦倒れてしまう」結果になったけども、

コチラの選択をした事は、“ジーコイズム”“鹿島イズム”

に沿っているし、後悔は無いというのが、私の今の気持ちです。

 

その根拠として「なぜ鹿島は、アジアでの戦いを“苦手”とするに

至ったのか」という、実際のクラブの歴史を紹介しました。

 

 

戦力面は「上田が居なくなったから、優勝はもう絶望」

というほど薄くないと思いますし、「リーグ優勝諦めてない」

という姿勢を明確にする為に、断腸の想いで

ヴァイラー監督との契約解除を決断した、と映っています。

 

 

今後も、鹿島らしく、諦めず、真摯に戦い

最終戦まで全部勝てる様

鹿ファミリー皆で、一丸となって勝利を追求しましょう!!!